森喜朗「密室伝説」 就職も首相就任もエンブレム問題も「みんな密室だった」

■白紙の答案の最後に


 辞任して川淵三郎氏に会長の座を譲ろうとしたことが、新たな批判を浴びることとなった森喜朗・東京五輪組織委員会会長。「なぜ後継者を指名できるのか。密室で決めるな」――。そんな批判をご本人はどれだけ受け止め、理解できているだろうか。というのも「密室」と森氏はもともと「密」な関係にあるからだ。人生の節目節目で、密室感漂う、別の言い方をすれば不透明感あふれるエピソードが飛び出すのである。

 今回の“無念の辞任”の機を捉えて、森氏の過去の「密室伝説」を振り返ってみよう。

 まず「就職編」。

 森氏は早大卒業後、産経新聞に就職しようと考える。

 コネで当時の社長を紹介してもらい、推薦を約束してもらったものの、採用通知が来なかった。実はその年、同社は新人採用を控えていたからである。それなら採用も何もあるはずがない。

 しかし、これに激怒した森氏は会社に直談判。その後の経緯は本人がこう語っている(2015.07.22 読売新聞朝刊)

「その後入社試験をやるという連絡がありました。私は『試験は受けない。受ければ成績が悪いことを理由に断られる』と言い張りましたが、『受けないと採用しない』と言われ、仕方なく受けました。白紙の答案の最後に『天下の水野社長(注・当時の社長)は約束した青年の夢をこわしてはならない』と書き加えました。
 まもなく採用通知があり、産経新聞にめでたく入社することになりました」

 このエピソードは本人お気に入りのようで、著書などでも披露しているのだが、普通に考えると無茶苦茶な「ズル」であり、公正な競争などとはかけ離れたルートで就職したとしか言えない。

 もちろん、当時、コネ入社などは珍しくもないのだけれども、それを堂々と語るセンスは珍しい。

 当時、同じように同社への就職を希望していた若者からすれば、これほど不透明な話もあるまい。

■「次は森さんで」


 次は「首相就任」編。

 政治家に転身してからもっとも有名な「密室」にかかわるエピソードは、首相就任の際のこんなプロセスに関係している。

 2000年4月2日未明、小渕恵三首相(当時)が病気で倒れてこん睡状態になる。

 同日の夜に、ホテルに集まった自民党幹部らが話し合い、「次は森さんで」と決めた。

 当時の森氏は幹事長。これで実質的に後継首相が決まってしまったのである。

 そもそも小渕首相の入院や病状にまつわる情報もごく一部の者のみが知る状況で、密談によって「次への流れ」が決まったのだから、およそ民主主義国家とは言えぬプロセスだった。

 当然、このプロセスは当時、各方面から批判を浴びることとなる。国会でも「不透明な密室劇」と野党の追及を受けている。

 このあと「密室」「不透明」といった批判は森内閣につきまとうこととなった。

 当時の報道では、組閣も一部で情報を独占して決めた、として「密室だ」と内輪の反発を招いていた。

 また、退陣の際も「密室」で決まったと伝えられている。

 多くの人は忘れているだろうが、東京五輪の開催決定後も、森氏は「密室」批判を受けたことがある。

 エンブレム問題だ。当初決まっていたエンブレムの選考過程が、盗作疑惑をきっかけに問題視されたのだ。

「2020年東京五輪のエンブレムが白紙撤回された問題で、大会組織委員会は28日、選考過程のわかりにくさ、密室性といった旧エンブレム選考の反省点をまとめ、理事会で報告した。森喜朗会長は記者会見で『エンブレムを撤回したことで2020年に大きな期待をしている国民の皆さまにご心配をおかけし、おわびします』と陳謝した」(2015.09.29 朝日新聞朝刊)

■自分に近い人の意向を


 こうした森氏の思考パターンを考察するうえで、わかりやすいのは近年の自民党総裁選に関する発言かもしれない。

 議員引退後も、「キングメーカー」として振る舞ってきた森氏は、総裁選のたびに考えを示してきた。

 その際、常に槍玉に挙げられたのは石破茂元幹事長である。

 森氏は石破氏に離党経験があることを再三批判してきた。

 2012年の総裁選では石破氏が地方票で圧勝したのに、国会議員票で安倍晋三前首相に負けたことをわざわざ当人に指摘したこともある。

 むろん「国会議員票で負けた意味」を考えるのは石破氏が考えるべき課題であろうが、一方で森氏は、自身が持て囃す他の候補者が「地方票で完敗した意味」については気にならないようだ。

 ここから読み取れるのは、少数の選ばれた人、あるいは自分に近い人の意向をより尊重したがるということではないだろうか。

 そして今回、強い批判を浴びたのが冒頭に触れた川淵氏への後継指名だ。

 わざわざ見える形で自宅に呼びつけて「次は頼む」と勝手に依頼する。

 これがおかしなことだと思わなかったのも、就職や首相就任などでの“成功体験”があったからではないか。

「偉い人」が「ルール」や「民意」にとらわれることなく、物事を決める。それこそがベストだという思考パターンだ。

 むろんこの方法がうまく行くことも珍しくない。

「みんなの意見」を聞いていては何も決まらないことも多い。

 また自民党に限った話ではなく、こういう考え方の政治家が他にいるのも事実。「議会制民主主義というのは期限を切ったあるレベルの独裁を認めること」と語ったのは民主党(当時)の菅直人元首相である。

 果たして森氏の退場は、日本的な密室システムの崩壊につながるのか。

 政治部デスクに聞いてみると、

「森さんはすでに政界引退し、選挙の洗礼も受けていませんし、会長に就任した経緯を振り返っても『ザ・密室』でした。今回の『川淵禅譲案』は、その不透明さを批判するSNSでの動きを受け、累が及ぶのをなんとしても避けたい政権側がNOを突きつけたわけです。菅政権が磐石ではないという事情はあるにせよ、永田町の常識は世間の非常識と言われた時代が終わろうとしているのかもしれません。権威とか既得権益やそれを振りかざすような振る舞いは、これまで以上に攻撃対象となるでしょう」

デイリー新潮取材班

2021年2月16日 掲載

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