私は「地獄のタイ刑務所」からこうして生還した!(2)「全身から力が抜けていく」

私は「地獄のタイ刑務所」からこうして生還した!(2)「全身から力が抜けていく」

私は「地獄のタイ刑務所」からこうして生還した!(2)「全身から力が抜けていく」

 神戸の実家を処分した代金と兄の保険金など、当時、竹澤氏の懐には3000万円程度の金があったが、

「さんざん競馬でやられて、また小山市に戻った時には、2000万円が消えていました。そこでアジア雑貨の輸入商店を始めたところ、バブル景気を背景にこれが当たって、知人からタイスナックの経営を任されることになったんです」

 しだいに地元ヤクザとのネットワークができると、タイからダイエット薬やバイアグラなどを仕入れ、販売するように。

「それがヤーバー(当時タイで流行していた覚醒剤)の密輸へとエスカレートしていったんです」

 ヤーバーは日本でも人気で、竹澤氏のもとには毎月1000錠を超える注文が舞い込むようになった。タイでの相場は1錠20〜30バーツ(60〜90円)。日本ではこれが1錠1500円程度で買い取られる。当然、密輸のためにタイへの渡航も多くなっていくのだが‥‥。

 そして「その日」はやってきた。02年12月、竹澤氏は仕入れのため何度目かのタイを訪れた。しかし、珍しく地元バイヤーが、事前の注文量がそろわないと言う。不思議に思ったが、一時帰国することにした竹澤氏は空港で23時の便を待つことに。

「ところが、いつもは素通りしていた出国ゲートの保安検査場で呼び止められ、ボディチェックされ、職員の手がヤーバーを隠し持っている太腿に回って‥‥。終わったな、と思いました。全身から力が抜けていくのがわかりましたね」

 翌日から麻薬取締局での取り調べが始まった。両手には手錠。足は頑丈なヒモで結ばれ、薬物専用の刑務所へ移送されると、今度は尻の穴までチェックされ、勾留されることになる。

 裁判が始まったのは、翌03年3月だった。ところが一審当日、竹澤氏につけられた弁護士が、裁判をすっぽかしたというのである。

「ただでさえ、タイでは国選での弁護は金にならない。しかも私は事実関係を争うつもりでしたから、裁判は長引く。弁護士にとっては割に合わないのです」

 結局、たまたま傍聴席にいた女性弁護士が「飛び入り」で弁護を担当することになったが、4月に行われた第2回公判で求刑されたのは死刑だった。

「あまりの重さに、意識を失いそうになりました」

 確かにタイでは薬物の密輸には厳罰が処せられる。とはいえ、いきなり‥‥。

 5月、下されたのは「終身刑」。そして竹澤氏が収監されたのが、バンクワン刑務所だったのである。

 当時、バンクワン刑務所は1番から17番ビルディングまであり、定員の倍近い6200人の囚人が収容されていたというが、

「基本的に全て雑居房で、7〜8人部屋から20〜25人部屋の2種類でした」

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