築地市場にある売店の意外な“売れ筋”と“究極の接客”

築地市場にある売店の意外な“売れ筋”と“究極の接客”

築地場内にはこうした売店が全部で9つ点在している(イラスト:八木橋)

 2016年11月に豊洲への移転を控える築地市場。約80年に及ぶ築地市場の歴史を支えてきた、さまざまな“目利き”たちに話を聞くシリーズ「築地市場の目利きたち」。フリージャーナリストの岩崎有一が、私たちの知らない築地市場の姿を取材する。

 築地市場内で働く目利きたちにとって、売店は必要不可欠な存在だ。飲み物やパン、カップ麺などを買うだけでなく、たばこを吸ったり、世間話をしたりと、ちょっとした憩いの場として機能している。しかし、場内に点在する売店には「屋号」がない。その背景にある歴史と、そこで働く女性たちの姿を、岩崎が追った。

*  *  * 
 築地市場内には、9つほどの売店がある。そのほとんどが、1坪ほどのスペースで営業を営んでおり、遠目に見れば、駅のキヨスクのようなたたずまいだ。一見するとどこにでもありそうな売店だが、ここは築地。売店も独特の雰囲気をただよわせている。

 売店のある場所は、建物の階段下が多い。店舗そのものの面積はたった1坪程度だが、周りに色とりどりの商品が並ぶ様子は、なかなかににぎにぎしい。

 ペットボトルや缶飲料は、すべて発泡スチロールの箱(以下、発泡)に入っている。暖かい缶飲料は、「ホット」「温」などと書かれたふたで閉められた発泡。冷たい飲料は、ふたのない発泡に氷水とともに入れられている。店頭に4つも5つも並ぶこれら発泡から、客は希望の飲み物を手に取り、20センチ四方程度の、たたんだタオルが敷かれた小さなカウンターにのせ、会計を済ます。飲み物の保管・販売に、電気の冷蔵・保温庫ではなく発泡を使うところが、いかにも築地らしい。

 独特なのは店構えだけではない。缶コーヒーを買えば、「はい、『朝専用』ね」とコマーシャルのキャッチフレーズとともにお釣りを手渡され、たばこを買えば、「これないと、やってらんねえよな」と言いながら、棚からたばこを取り出してくれる。売店で買い物をするたび、今日はどんな声をかけてくれるのか、楽しみになってくる。

 おのおのの売店のたたずまいと売り物に大きな違いはないが、店の「色」はそれぞれだ。言葉のやりとりがさらりとしている店、特定のペットボトルがちょっと安い店、周囲で休憩できるスペースが少し広い店など、さまざま。

 私のお気に入りは、いつも即興で愉快な声をかけてくれる、築地市場正門からまっすぐ入ったところにある売店だ。この店で、詳しい話を聞きながら、仕事の様子をみせてもらった。

 店づくりを始めるのは朝の2時すぎ。この店で働く唯一の男性である古田さんと、ここで働き始めて2年目の八木橋さんの二人で、黙々と開店準備を進める。

 プロパンガスのボンベにつながれたガスコンロに火をつけ、大きなやかんにお湯を沸かし、沸いたお湯を魔法瓶に入れる。カップ麺を購入した客は、この魔法瓶のお湯でカップ麺を作って食べるのだ。もうひとつのコンロでは、缶飲料を湯煎するためのお湯を、大きなタライで沸かしていた。温め終えた缶飲料は次々と発泡に収められていく。

 同時に、別の発泡に水を張り、すぐ近くにある氷販第一売り場で購入した、粉砕された氷の入ったバケツから氷をすくい入れ、缶飲料やペットボトル飲料を氷水につけていく。同じ商品ごとにわけずに、混ぜこぜに入れられるため、各種飲料が準備され終わった発泡は、実にカラフルだ。

 店のカウンター前に1.5メートルほどの長板を渡しスペースを少し広げ、そこにプラスチックのカゴに種類別に入れられた食べ物を並べていく。菓子パン、総菜パン、おにぎり、いなりずしなど。市場で働く人々の忙しさを考慮し、箸やフォークなどを使う必要のない、買ってすぐに片手で食べられるものばかりだ。また、スナック菓子やチョコレート類など、仕事の最中にちょっとつまめるような菓子類も、多く並べられていた。また、店内には、たばこが各種。コンビニとほぼ変わらないだけの種類がそろえられている。

 3時になり店づくりが終わるころ、この道30年に迫る梅本さんが出勤。ダミ声で「おはよう」と声をかけてくれた。

 3時を過ぎるころには、客が来始める。並んだパンをじっと見つめて選び、缶コーヒーを手に取り、すっと場内に消えていく。これからおとずれる仕事のピークを前に、雑談をする人は少ない。

 店の裏では、ビニール袋に商品を小分けにする準備も進められていた。

「頼まれたお客さんには、配達もしてるんですよ」と八木橋さん。小分けのビニール袋は、20セット以上並ぶ。配達をするのも、八木橋さんの役目。袋のうちのいくつかを持ち、さっそく八木橋さんは配達へと出て行った。

 4時になると店の脇にある専用カゴへの、新聞の陳列も始まった。全国紙各紙と、スポーツ紙各紙。スポーツ紙は、全国紙の3倍の量がある。

 築地市場正門からまっすぐに場内へ入ってきたところにあるこの店の前は、往来が多い。5時ごろになると、出勤する帳場さんが次々とお店の前を通り過ぎていく。多いのは人だけではない。6時前にもなれば、3メートルに満たない店前の通路を、ターレが絶え間なくすれ違う。店の前にターレを一瞬止めて、さっとたばこを買う人もいた。

 5時半ごろから10時ごろまでは、とにかく客が途切れない。パンや缶飲料を選び、たばこの銘柄を告げる客とのやりとりが、延々と続く。同時に、八木橋さんによる発泡への飲料の補填(ほてん)も、絶え間なく続けられていた。

 売店の様子や成り立ちを書く以上に、この取材で私は、梅本さんのやりとりを書けることを楽しみにしていた。この日も、梅本節は全開。ごく一部ではあるが、紹介したい。

 総菜パンを買った客に「これ、おいしいのか?」とたずね、品物を選んでいる客へは、「これで終わりか? まだか? まだなのか?」とたたみかける。「姉さんおはよう!」と声をかけた客へは「邪魔なんだよ」と返し、「忙しそうだね」との声には「毎日忙しいんだよ」とこたえる。スポーツ新聞を買いに来た客には「どうした? 負けたか?」とからかい、丸刈りの客へは「あんたそれは、ハゲじゃなくて丸刈りなんだよな」と声をかける。

 この日のベストヒットは、店の前に来た客の顔を見て発したこの一言。「なんか用か?」だ。そう言われた客は「店やってるのに、客に向かって『なんか用か?』はねえよ」と大笑い。思わず私も、一緒に笑ってしまった。

 こうやって書き示すと言葉のひとつひとつはどぎついが、当然ながら、梅本さんの表情に悪意は見られず、嫌な顔をしている客もいない。皆、梅本さんとのやりとりに、ニコニコとしている。

 もちろん、毒吐くばかりが梅本さんではない。「たばこ」とだけ言って手を出す客には即座に特定の銘柄のたばこを選び出し、客の顔を見て「元気になったかい」と目を細めて声をかけることもあった。梅本さんにしかできない究極の接客が、ここにはある。

 梅本さんがここで仕事を始めたのは1987(昭和62)年。台風の時を除いては、毎日勝どきから自転車で通っている。梅本さんは初めから築地で仕事をしていたわけではなく、かつては事務職をやっていたという。「30年近くもやってきたってことは、結局、築地が(自分に)あったっていうことなんだよね」と話してくれた。その言葉に、私も全く異論はない。

 7時を過ぎたころ、山崎さんが出勤。梅本さんと入れ替わるかたちで、店内に入った。

 山崎さんも梅本さん同様、築地は長いのかと思っていたが、山崎さんがここで仕事を始めたのは11年前から。山崎さんのご主人は大正から続いた牛乳店の3代目。3年前に亡くなられた。ご主人が築地市場に縁があったことをきっかけに、山崎さんは11年前、この売店を経営する有限会社婦じ世の顧問に就任。以来、経営を任されるかたちで、この売店に立ち続けている。有限会社婦じ世が経営するのはこの売店のみ。他の売店も、それぞれ異なる会社によって経営されている。

 ほんの少し前までは、現在ある店舗以外にも、たくさんの売店が場内に点在していた。机ひとつに、牛乳とパンだけを並べて販売するスタイルの個人商店が、いくつもあったという。中には、机の後ろにガスコンロを持ち込み、夏はそうめん、冬はうどんを売る店まであったらしい。こういったスタイルの売店は「引き売り(荷車を引いてきて、その荷車上でものを売るとの意味)」と呼ばれてきた。

 かつて、売店が所属する組合組織は二つあった。法人格を持って店舗を構える売店は東京都中央卸売市場たばこ小売組合に、机ひとつで営む個人の売店は東京都中央卸売市場売店組合に加入。引き売りスタイルでの営業は、戦争で夫を亡くした戦争未亡人たちの働き口として一代限りと決められていたため、おのおのの店主の死亡により、順次閉店。東京都中央卸売市場売店組合は2013(平成25)年3月末に解散され、店舗を構えるスタイルの売店のみが残った。

 山崎さんにはなにを尋ねても、すぐ答えが返ってくる。

 築地の仲卸について聞いた時、山崎さんが「616ある仲卸は……」と話し始めた。これまでの取材で、築地場内の人から仲卸の数を正確に聞いたことはなかった。誰も把握していないのかと思っていた仲卸の数を、山崎さんがどうやって把握したのか聞いてみると「あたし、自分で数えましたから」と、さらり。豊洲移転後の場内配置図を見ながら、ひとつひとつ数えたのだと言う。「なんでもちゃんと把握できてないと嫌なタイプなんです」とも。だからなのか、山崎さんが語る話はいつも、正確な数字と正確な状況把握を伴っている。

 そんな山崎さんだからこそ、聞いてみたいことがたくさんあった。まず、なぜ発泡に飲料を入れて販売しているのだろうか。

「ああ、どぶ漬けのことですね。なんで冷蔵庫とか使わないんだろうって思うでしょ。築地の売店はどこも、20アンペアしかないんですよ。これだと、動力(業務用機器で使われる3相200ボルトの電圧を伴った電気のこと)の冷蔵庫を動かすには足りないんです。40アンペアにするには、何十万円も費用がかかるみたいで。だからこうやってるんです」

 売れ筋はなにか。

「多品種少量ですから、絶えず新しい商品を入れるよう工夫はしています。種類で言うと、とにかく飲み物とパンが出ますね。夏はポカリとコーラ。冬は温かいお茶。それから、夏にはスナック菓子が、冬はチョコレートが売れます」

 冬場に缶飲料が売れるのは、飲むことだけが目的ではないという。

「寒くなっても冷たい水を触らないといけないでしょ。だから、ギンギンにあっためた缶コーヒーをポケットに入れて、手をあっためる人が多いんです。マグロのセリをする人たちはマグロの身を触って魚の状態を見極める際に、手が冷え切っていると、脂が溶けないから見極めにくいという話も聞いたことがあります。買った後で冷えた缶コーヒーを、もう一度温めなおしてほしいなんて言って持ってくるお客さんもいるんですよ」

 店のわきに、「ちり紙、祝儀袋、ボールペン、あります」と書かれた張り紙がある。なぜちり紙があえて推されているのだろうか。
 
「持って行ってしまう人がいるからなのか、場内のトイレは紙がないんですよ。だから、築地のトイレには、ちり紙の自動販売機があるんです。自動販売機のは100円。売店で売っているのは60円。売店でちり紙を買う人、たくさんいます」

 みせてくれたちり紙は、「高級京花紙 チャーリー」の文字とともに、花と猫が描かれた、極めてレトロなデザインのものだ。売店を訪ね「チャーリー」と言えば、この紙が手渡される。また、ちり紙とはいえ、用途はほぼトイレ一択。客の中には、「便所紙」や「ウンチングペーパー」と呼ぶ人もいるとのことだ。

 築地がなくなることについて話を聞くと、「稼ぐことしか考えていませんよ。寂しいとか、そういう感傷はないです」と、また、さらり。しかし、山崎さんの思いは、それだけではない。

「なんで築地をなくさなければならないのかって、私だって思いますよ。ただね、築地をなくしたくないのだったら、反対って言ってるだけじゃダメなんです」

 どういう意味なのか。

「反対するだけじゃなくて、じゃあ、われわれはこういう築地にしたいんだっていう形を、新しい姿を描いて提案するということをしなければいけないと思います。築地の中には、いろんな才能をもった人がいるんですから。もと設計事務所のひとや、デザインできる人間だって、築地にはいるんですから。われわれが考える築地はこうなんだって、示さないと」

 山崎さんが考える築地の姿も、話をしてくれた。

「築地を丸ごと文化遺産にすればいいと、私は考えています。外側のアーチ状になった建物(水産物部卸売業者売場の入る建物)は、当時としては珍しい、イギリスの建築家が作ったと聞きました。この建物は重厚で、昭和初期の面影があります。この建物を中心に、築地ごと文化遺産にすれば、もう誰も手をつけられなかったのに。軍艦島だって世界遺産になったじゃないですか。あっちは、人ひとりいない終わったもの。こっちは、なんの問題もなく、今も動いているもの。世界一の魚の流通量をこなしながら、戦前の面影を残す数々の風景が、築地には今もそのまま残っています。わざわざ壊すことなんてないですよ。新しいことだけが素晴らしいわけじゃない。アジアンチックでいつもにぎやかで毎日お祭りみたいな市場なんて世界中さがしてもないんですから」

 山崎さんは、こうも続けた。

「1億総活躍社会なんて最近聞きますけど、体さえ元気だったら、築地ではどんな人でも活躍しています。ここにその(1億総活躍社会の)いいお手本が、すでにあるんですから、新しいことをする必要なんてないんですよ。築地を見に来て学んでほしいくらい。『築地が再建できれば、日本は再建できる』と、私は今も、そう思っています」

 売店で買い求めるものは商品であっても、売店に求めるものは、商品だけではないのかもしれない。築地の人々は、言葉のやりとりも含めたなにかを求めて、それぞれの売店を訪ねているように思った。

 11時を過ぎると、場内の空気はゆったりとしてくる。1日の仕事を終え、帰り際に売店で缶コーヒーを買い一服する人たちは、朝と違い滞在時間が長い。居合わせたものどうしで少しゆっくりとおしゃべりをした後、それぞれの家路につく姿が続く。私もよくその輪にまぜてもらい、名前も知らない方から、築地の昔話を聞かせてもらっている。

 この日私は、魚の入った発泡を載せたカートとともに山崎さんの売店わきでひと休みしている女性に話しかけた。銀座で小料理店を営んでおり、毎日築地に買い出しに来ているとのことだ。「ここは、私にとってはカフェなんです」そう言って彼女は、ふうっとたばこの煙をくゆらせた。

 店員も店主も、ここで働く人々も買い付け客も、築地に来ればみな仲間。仲間が集う憩いの場でもある築地の売店は、イスもテーブルもなくとも確かに、ヨーロッパの街で見かけるカフェと同じような存在なのだろう。

 この原稿を書き終えた今日も私は、山崎さんのカフェで時折骨休めしながら、築地の取材を続ける予定だ。


岩崎有一(いわさき・ゆういち)
1972年生まれ。大学在学中に、フランスから南アフリカまで陸路縦断の旅をした際、アフリカの多様さと懐の深さに感銘を受ける。卒業後、会社員を経てフリーランスに。2005年より武蔵大学社会学部メディア社会学科非常勤講師。アサヒカメラ.netにて「アフリカン・メドレー」を連載中

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