東電OL殺害事件<後>警察はまだネパール人を疑っている【「告白」あの事件の当事者】

東電OL殺害事件<後>警察はまだネパール人を疑っている【「告白」あの事件の当事者】

15年間自由を奪われていた(日本を出国するゴビンダ・プラサド・マイナリさん。手前は妻のラダさん)/(C)共同通信社

【「告白」あの事件の当事者】東電OL殺害事件(後編)

 東電OL殺人事件の容疑者として逮捕されたネパール人のゴビンダ・プラサド・マイナリさんは、逮捕当初から無実を訴え続け、2012年に無罪判決が言い渡された。

 警察のずさんな捜査が冤罪事件を生み出した。私はゴビンダさんが1997年に逮捕されてから、日本で勾留生活を強いられていた間、妻のラダさんや娘さんたちと交流を続けてきた。現在、ネパールの首都カトマンズで暮らしているゴビンダさんは家族と水入らずの生活を続けている。

 ゴビンダさんが出稼ぎのため単身で日本を訪れたのは、事件をさかのぼること3年前の1994年のことだった。その当時、乳飲み子だった娘さんは、すでに結婚し、ネパールから海外に嫁いでいる。

 妻のラダさんは、今の写真を見る限り心労から解き放たれ、2000年に日本に滞在していた時と比べてふっくらとし、健康的な表情をしている。彼らは冤罪の被害者として失ってしまった15年もの時を日々、懸命に取り返している。

 一度は地獄を見て、そこから抜け出すことができたゴビンダさん。その一方で、事件の被害者である女性会社員の魂は、真犯人が捕まらない限り救われることはない。

 果たして、真犯人はどこに消えたのだろうか。この事件で、犯人と結び付くのは、体液以外には巣鴨の民家で見つかった被害女性の定期券だ。民家周辺は外国人が多く住んでいた。

警察から見せられたリストには…

 私は、日本に暮らして30年以上になる日本語も堪能なネパール人の男性から思わぬ話を聞いた。

 彼は、ゴビンダさんが逮捕されてから無罪判決が下されるまで、15年以上にわたって、ゴビンダさんの家族が来日した際のサポートを続け、ネパールから政府要人が来た際には通訳などもしている。

「ゴビンダさんに無罪判決が出てから、半年ぐらいしてからですかね。突然、警察の人が家を訪ねてきたんです。何のことかと思うじゃないですか。そうしたら、ゴビンダさんの事件のことで犯人を捜しているから、協力してくれと言うんです。そのことなら断る理由はありませんから、近所の喫茶店に移動したんです」

 ――どんな内容だったのですか?

「刑事さんはまだ30代ぐらいの若い人でした。事件の時は、警察官をやっていないですよ。その人が私に見せたのはマークしているという人間のリストでした。そのリストは4枚ぐらいの紙に名前が書いてあったんです。それらはすべてネパール人の名前でした」

 ――警察はまだネパール人を犯人だと思っているんですか?

「そうなんですよ。中には私の友人の名前もあった。そのことを友人に伝えたら当然ですけど全く身に覚えがないので、びっくりしていましたよ。そのリストを見た時、あれだけの間違いをして、ひとりだけでなく、多くの人間の人生を狂わせたのに、まだ警察はネパール人を疑っているのかと、怒りというより、悲しみが込み上げてきました」

 ――なんで警察は疑っているんですかね?

「こっちが知りたいぐらいですが、女性が殺された部屋は一時期、ネパール人が借りようとしていたことがありましたからね。そのネットワークの中に犯人がいると思っているんじゃないでしょうか。私のところだけじゃなくて、被害者の定期券が見つかった巣鴨の辺りに暮らしているネパール人のところにも聞き込みに来ているそうですよ。日本は好きな国なんですけど、警察のやっていることは理解に苦しみますね」

 女性会社員が殺害されてから20年以上が過ぎ、事件解決の糸口はまったく見えない。迷惑なのは、迷走する警察の捜査によりあらぬ疑いをかけられているネパール人たちである。 =この項おわり

(ルポライター・八木澤高明)

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