竹村さん失踪後に次々と拉致事件が…警察はどう対策したか【消えた核科学者 警察庁拉致関係リストの真実】

竹村さん失踪後に次々と拉致事件が…警察はどう対策したか【消えた核科学者 警察庁拉致関係リストの真実】

(写真)友永翔大

【消えた核科学者 警察庁拉致関係リストの真実】#29

 プルトニウム製造係長 竹村達也さん

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 1972(昭和47)年、茨城県東海村の動燃(現・日本原子力研究開発機構)で働く科学者・竹村達也が失踪した。大阪大学工学部を卒業し、米アルゴンヌ国立研究所にも留学、帰国後はプルトニウム製造係長も務めていたエリートだ。その後、竹村の名前は警察庁の拉致関連リストに登場する。

 日本政府が認定している拉致被害者は12事件17人いる。最も古い事件は1977年の9月19日。石川県の宇出津海岸で久米裕(当時52)が失踪した。最後の事件は83年7月ごろ、有本恵子が欧州で失踪した。

 しかし、竹村達也が失踪した72年の時点で茨城県勝田署の刑事が「北に持っていかれたな」と言っている。つまり、警察は72年の時点ですでに北朝鮮による拉致を疑っていたことになる。

 もし警察が竹村が失踪した時点で情報を共有し、拉致に対する警戒態勢を取っていたら、その後の拉致事件は防げたのではないだろうか? 竹村の部下だった動燃の元科学者から、当時の勝田署の刑事の言葉を聞いた時に思ったことだ。なにしろ竹村のケースは、核不拡散の堅持という国家の危機管理まで問われかねない一大事である。

 当時の警察は北朝鮮による拉致を警戒していたのか。私はまず、警視庁の公安部長や内閣情報調査室長を歴任した警察官僚に竹村の件を聞いてみた。しかし、全く知らなかった。警察での仕事人生を振り返った時、北朝鮮による拉致事件を防げなかったことをとても悔いていた人物でさえ、こうである。

 警察庁長官経験者にも取材した。竹村の失踪事件について伝えた上で、@「日本の警察がいつから北朝鮮による拉致を疑い始めたか」Aそれをいつから警察全体で共有したのかの2点を尋ねた。すると、以下のようなメールが返ってきた。

「竹村達也さんというかたの件については、行方不明になったこと自体を含め、存知するところは何もありません」

「北朝鮮による拉致事件全般については、もちろん、それらは、重大な事柄でありますから、現役の頃は、それなりの関心をもって仕事をしていたと思いますが、私自身、外事警察の経験はなく、事件を直接担当したことはありませんので、お尋ねの2点についても、確たるお答えをするに足る鮮明な記憶は、ないのです」

「警察庁長官として、全般を見ていたのだから、何か覚えているだろうと言われるかもしれませんが、退官後、記憶は茫漠としております」

 警察庁長官も知らなかったのなら、警察が組織として、竹村の失踪事件を機に北朝鮮による拉致を防ぐ対策を取ったとは考えられない。

 政府が北朝鮮による拉致を認めたのは、88年3月の国会での梶山静六・国家公安委員長の答弁だ。だが日本の捜査当局がいつから拉致を疑い、どのような対策を取ってきたのかは明らかになっていない。 =敬称略(つづく)

(渡辺周/「ワセダクロニクル」編集長)

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