エヴァもガンダムWもなかった新潟が、今やマンガ・アニメで街づくり 「ガタケット」立ち上げ人の功績

政治や経済だけでなく、文化も首都圏に集中している。大都市圏と比べて、地方では放送されるアニメや書店に並ぶマンガの数は少ない。そのためにアニメやマンガ関連のイベント、プロの技を学べる原画展もほとんど開催されず、クリエイターも生まれづらい状況となってしまう。新潟市も、そうした地方都市の1つだった。

そんな新潟市をマンガ・アニメ文化で盛り上げてきたのが、坂田文彦さんだ。同人誌即売会「ガタケット」の創設に携わり、新潟県の人々に表現の場を提供し続けてきた。さらには新潟市のアニメ・マンガを活用したまちづくり構想にも協力し、2021年にはこうした功績が認められ、第24回文化庁メディア芸術祭の功労賞を受賞している。

J-CASTニュース編集部は、坂田さんのこれまでの歩みと今後への抱負を取材した。

(聞き手・構成/J-CASTニュース編集部 瀧川響子) 

■「日本のマンガの豊かな多様性を支えてきた一人」

坂田さんは2021年3月12日、第24回文化庁メディア芸術祭の功労賞を受賞した。新潟市の文化振興に関わる「諸事業を有機的につなぐ結節点」として長年尽力してきたことが、贈賞理由として挙げられており、審査委員の表智之さんは「日本のマンガの豊かな多様性を支えてきた一人として、その功績を讃えたい」と評している。

そんな坂田さんが2021年7月、J-CASTニュースのインタビューに応じた。

――坂田さんは1983年から続く同人誌即売会「ガタケット」を運営しながら、新潟市のマンガやアニメに関する取り組みに協力しておりますが、どういう経緯で「ガタケット」発足に関わったのでしょうか。

坂田文彦さん(以下同)「1982年に地元の新聞で、アニメ同好会の活動が報じられていていました。この同好会は同人誌も作っていて、今後も活動を広げていきたいと意気込んでいました。僕は『すごく面白そうなことをしているな』と思い、掲載されていた主催者の住所と名字を頼りに、電話帳を使ってそれらしい家に片っ端から電話を掛けていきました。そして2、30件目くらいですかね、ようやく主催者にたどり着くことができました。
そして、初めてお会いしたのは同年の6月か7月ごろ。『東京のコミケット(編集部注:コミックマーケット、通称「コミケ」)を新潟でやりたい』という話があり、興味を持った僕は『ガタケット』の発足に携わっていくことになりました」

――そして1983年に「ガタケット」第1回を開催したのですね。坂田さんが、イベントを運営する「ガタケット事務局」の代表になったのはいつ頃ですか。

「ちょっと時系列あやふやなんですけど、89年には代表になっているのかな。立ち上げメンバーからずっとガタケットに関わってきていました。ただガタケットの運営は90年までボランティアで、私は数年ほどアニメーターを生業にしながらイベントを運営していました。
しかしヒットマンガやアニメが登場し二次創作(ファンアート)を発表したい人が増え、コミケットもガタケットも急拡大します。伸びていくスピードについていくのが大変な時期が数年続き、ボランティア団体だけで継続するのは困難になりました。イベントのバックアップ機関として専従者や企業が必要になりました。もちろんボランティアスタッフも必要で、今後は両輪で運営していくしかないということになり、1999年、有限会社ガタケット(現株式会社ガタケット)を設立しました」

こうしてガタケットは地域の創作表現の場として発展していく。93年には出展者が500サークルに、1995年には1000サークルとなった。そしてイベント設立から15年近くたって、新潟市から声をかけられた。

■新潟市のイベントに協力することに

――新潟市とイベントを行うようになったきっかけは何でしたか。

「新潟市の教育委員会生涯学習課(当時)が開催するイベント『生涯学習フェスティバル』です。1997年にその課の係長と担当者が私の家にみえられて、『今回のテーマはマンガとアニメで行きたいので協力してほしい。ここでガタケットを開催してほしい』と打診を受けました。同人誌はおろかマンガ・アニメが異質な文化と捉えられていた時代だったこともあるし、ガタケット創設から15年近くたっていたので、『遅まきなお声がけだなぁ』って思いつつも、『ようやく行政からお声がけいただけるような文化になったんだな』という喜びもすごくありました。また、視点を変えれば、行政と同人誌即売会のコラボレーションというのは、おそらく当時日本初の試みだったことを考えると、『遅まき』どころか、非常に画期的なことだったと、当時のご担当者さんには心より感謝をしています。 そうした経緯で、新潟市と協力し『生涯学習フェスティバル』内で『ガタケット』を開催しました。
さらにイベントに併せて、マンガのコンテストを開設しました。これは新潟市から『にいがたマンガ大賞』として継続事業にしていきたいと言われたので、いくつか条件を提示しました。我ながら生意気ですね(笑)そのうちの一つが、複数の出版社を大横断して一つの作品を見てもらえる場とすることです。当時は複数の出版社に見てもらえる機会がなかったんですよ、今でも少ないですけれども」

なお、現在の新潟市のマンガ・アニメ事業は、新潟市文化スポーツ部文化政策課が推進している。

――現在、出版社を横断して評価してもらえる場と言えば「同人誌即売会」ですね。

「コミティア(編集部注:オリジナル作品限定の同人誌即売会)さんの出張編集部などですね。これを、コンテストと言う形で実施したのが『にいがたマンガ大賞』です。このご縁が今後の、新潟の発展に繋がっていきます」

――このご縁はどう繋がっていくのでしょうか。

「やっぱり『にいがたアニメ・マンガフェスティバル』(以降、がたふぇす)かな。2011年から新潟市と『がたふぇす』というマンガとアニメの催事を行っていくことになりました。人気声優やアニソンシンガーのステージ、作品展、痛車展示、コスプレパレードなど様々なイベントを開催しています。
当時、こうしたお祭りごとを『地方』でやるのは夢物語でした。大手のIP(知的財産)を持つ企業さんには『うちの目線は6大都市です。6大都市のシェアが8割なのはご存知ですよね』とハッキリ言われてしまいました。そう言われつつもその企業さんよりご協力を頂けたことには、今でも本当に感謝していますが、地方展開の厳しさは痛感しました。
しかし『にいがたマンガ大賞』で親しくなり交流を深めた出版社さんが、がたふぇすへの出展をご快諾くださりました。正直、当時のがたふぇすの予算は潤沢ではなかったですが、出版社さんたちがご尽力して下さったおかげで開催を続けることができました。
2013年に『新潟市マンガ・アニメ情報館』という常設施設ができた時も、ご縁の深かった各出版社さんや、がたふぇすでご縁の繋がった多くのアニメ制作会社さんにご協力いただきました。ここでは、新潟出身の作家さんを紹介する展示やちょっとしたアトラクションがあります。人気アニメ・マンガ作品等の企画展示なども行っています」

――やはり地方で人気アニメ・マンガ作品等の企画展を開催するのは大変なのですね。

「今は電子書籍やサブスク配信で状況が変わっていますが、新潟で見ることができなかったアニメはいっぱいありすぎて思い出せないほどです。テレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』も『新機動戦記ガンダムW』もやっていなかった。マンガも地方に回ってくる物は限られている。レンタルや友人との貸し借りなどで必死に追っていました。SNSもなかったので、作品の感想を共有することが難しく、アニメ・マンガのいちファンとしても辛かったです。
そのため『新潟市マンガ・アニメ情報館』で企画展を実施することになった時、最初はプロモーターさんも版権元さんも『本当にやれるのか?』って空気感満載だったんですよ。でも『地元のファンはちゃんと見ているので大丈夫です』とプロモーターと版権元を説き伏せて開催し、東名阪でしかやってないような催事も新潟に持ってきましたね。結果は大成功。現在の新潟市マンガ・アニメ情報館では、新潟で放送していないアニメ関連の展示も行えるようになりました」

こうして新潟市は、全国に先駆けてマンガやアニメを活用した街づくりを進めていく。坂田さんはガタケット事務局の代表として、新潟市の「マンガ・アニメを活用したまちづくり構想見直し検討委員会」に参加した。こうした活動が、第24回文化庁メディア芸術祭の功労賞の受賞につながった。

■地方の二次創作イベントの主催、まさかの受賞に驚き

――第24回文化庁メディア芸術祭の功労賞を受賞した感想をお聞かせいただけますか。

「初めて第一報をお電話で頂いたときは変な声を上げていましたよね。いや、驚くというかね、日本語にすると驚くなんだけど、驚愕と当惑が入り混じったみたいな・・・。
メディア芸術祭については以前から知っていました。2013年の第17回に、コミティア実行委員会代表の中村公彦さんが功労賞を受賞されています。この時、嬉しくてすごく泣いたんですよ。『同人誌の世界がやっと国から認められる時代が来たんだ』って。でも中村さんは創作・オリジナルの即売会だから、まだ分かるんです。まさか自分が受賞というのは考えていませんでした。私の一番の生業は『ガタケット事務局の代表』じゃないですか、『地方』の『二次創作がメインの即売会』の主催ですよ。頂戴できるとは夢にも思っていなかったです」

――「二次創作」へのイメージが変わってきているかもしれませんね。

「そうですね、イメージは変わってきています。同人誌違法サイト事件に関する2020年10月6日の知財高裁判決も意義深かったですね。
出版社も昔とは全然違ってきているように感じます。実際にある出版社の編集長さんから『これからうちの雑誌はどうしていくのがいいと思いますか』とアドバイスを求められたことがありました。二次創作の立場の代表に大手出版の雑誌の編集長さんからこのようなご質問をいただいたときは、差し出がましいことは言いませんでしたが、こんな話ができる関係性になったということがすごく嬉しかったです」

――贈賞理由についてはどのように受け止めておりますか。

「新潟の色々な催事の結節点の役割を果たされたっていう風に書かれていますが、もちろん僕一人の力ではない。ご縁がご縁を結んでいったひとつの結果として、そこに関わる皆さんと一緒に賞をいただいたと考えています。私は、たまたまその代表として頂戴しただけです
。もう本当に今まで関わってきた皆さんにも、『おめでとうございます』って言いたいし『ありがとうございました』って言いたい!コロナ禍じゃなきゃ全員で『みんなで祝おう会』みたいなものをやりたいんですけどね」

さらに坂田さんは、特にこの受賞を伝えたかった人がいると話す。コミックマーケット準備会の前代表・米澤嘉博さんだ。

「米澤さんに生きていてほしかったなって、メディア芸術祭の功労賞をいただきましたと伝えたかったです。その前に、きっと彼が彼が受賞していたでしょうけど(笑)一緒にお祝いできていればなと思うと非常に残念です」

米澤さんは2006年10月、肺がんでこの世を去った。坂田さんは涙をこぼしながら、米澤さんへの思いをこぼしていった。

「彼との出会いがなければ、たぶんどこかで隘路にはまり込んでいたと思うんですよ。私にたくさんのご縁を繋いでくれました。
さらに、彼がマンガの世界に果たしてきた役割というのは尋常じゃありません。版権元と同人界がいい関係を築けるようになったのは、紛れもなくコミケットさん、米澤さんのご尽力によるものです。ご自身がマンガ評論家でもあった米澤さんにはマンガ評論家やマンガ家、『日本マンガ学会』等との接点があり、スタッフさんを含めそういう基盤のようなものがあって、コミケットは続けてこられたんだと思います。当時あいまいな存在であった二次創作を、無人の原野を、彼がかき分けた。米澤さんは同人界における最大の功労者だと思っています。本当に感謝しています」

坂田さんは、米澤さんの功績を形に残していく必要があると強く訴えた。

■重なる災害、そしてコロナ禍。今後は

――様々なご縁に恵まれて、新潟市は「マンガ・アニメのまち にいがた」として発展していったんですね。

「苦労はかなりあるんですが、徐々に実績を積み上げた結果です。しかし2005年あたりから、複数の天災が重なりガタケットはにっちもさっちもいかない状態になってしまいます」

――災害はどのような影響を与えたのでしょうか。

「全国ではあまり知られていませんが、新潟県中越地震はおそらくご想像されているよりもすごい被害だと思います。中越地区の経済が悪化し、それに引きずられるように上越地区も悪化しました。その直後に中越沖地震と長野県北部地震、中越大水害、新潟・福島豪雨による水害なども起こる。ガタケットの県内参加者はこれまで、県央・長岡地区の人が40%を占めていました。それが10%にまで落ちました。そして未だに戻ってきていません。銀行などに中越や上越の状況を聞いても『いやー、もう・・・』と首を横に振ります。
それにとどめを刺したのが東日本大震災です。10日後予定されていたガタケットは、会場が避難所になるため中止になりました。先の災害で参加者が激減していた上に、一回催事が中止になった。これは催事業者であるガタケットにとっては致命的で、今思い出してもつらいですね。またイベント業者は災害保険をかけられません。災害が来た時の備えやノウハウを同業者で共有していく組織が必要だと考えました。他にも同人に関わる問題はいろいろあって、助け合う組織が必要だとあらためて強く思ったんです」

――そうして出来上がったのが「全国同人誌即売会連絡会」ですか。

「連絡会の発足は更に遡ります。著作権、わいせつ図画等に対する対応、情報共有の必要性がありました。でも、当時は連絡会を作ることはそれ自体が夢物語でした。呉越同舟というように、それぞれが考えている同人誌即売会の在り方、主義主張があり、侃々諤々だったのですが、コミケットの米澤さんから『いいんじゃないのかな』と、背中を押してもらうことが出来たんです。それがきっかけで、『全国同人誌即売会連絡会』が立ち上がりました」

――今後、コロナ禍に対してはどう取り組んでいくのでしょうか。

「災害や疫病は不測の事態ですが、一定のターンで必ず直面する問題です。新潟はわずか数年間に何度も災害に見舞われるという途轍もない経験をしたから言えることですが、突然来る災厄は経験しないと実感として得にくいことだと思います。そして喉元を過ぎると忘れてしまう。本当はコロナ禍に入る前にしっかりと災害対策を考えておくべきだったように思います。
しかし今、皆が苦しい状態だから真剣に考えられることもあるはず。今こそ全国同人誌即売会連絡会などで、『頑張っていこう』と声を掛け合い、状況を共有して一緒に悩んだり対策を打ち出していったりしたいと思います」

――坂田さんは功労賞を受賞したことを機に、ガタケット事務局の代表を引退されましたが、ガタケットは今後どうなっていくのでしょうか。

「私は6月26日付でガタケット事務局の代表を退任し、新代表に武田優子と高橋大介が就きました。『ガタケット』は10代が作った組織ですので、若い感性のもとで運営してほしいという思いがありました。私は彼らに、知識と経験、ノウハウを伝えつつバックアップをしていきたいと思います。
武田と高橋には、さらに若い世代の育成に力を入れていって欲しいです。そして彼らがまた次の世代にバトンを渡す際には、バトンを渡す側のアドバイザーとしてサポートできればと思います。
現在のガタケットは、会場の問題を解決していく必要があります。東京のように大きい会場がないので一定数集まると密になってしまう可能性がある。東京でイベントを実施しているところの情報も得ながら、やっていく方向性を探っていくしかないのかなと思います。新代表と一緒に突破口を見つけていきたいです」

坂田さんは今後も、サポーターとして同人の世界を支えていくと意気込んだ。

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