「障害者をメディアで見せてはいけない」の空気感を変えて 手足3本失った男がパラリンピックに期待すること

【連載】山田千紘の「プラスを数える」〜手足3本失った僕が気づいたこと〜

東京パラリンピックが2021年8月24日に開会するが、五輪に比べると関心は低い。メディアの取り上げ方を見ても、その傾向は明らかだ。

20歳の時に事故で左腕以外の手足3本を失い、現在YouTubeやSNSを通じて障害に関する情報を発信している山田千紘さん(29)は、東京パラリンピックへの関心が高まり、競技や選手のメディア露出が増すことを願っている。

健常者と障害者いずれの立場も知り、パラスポーツやパラアスリートとの接点もある山田さんが、パラリンピックに期待することとは。本人が語った。

(この連載では、身体障害の当事者である山田千紘さんが社会や日常の中で気づいたことなどを、自身の視点から述べています。)

■「障害者をメディアで見せることが憚られる」空気感

オリンピックのアスリート、特にメダリストはテレビに引っ張りだこ。では果たしてパラリンピックのメダリストがメディア引っ張りだこになるかというと、そうはならないと思います。「障害者をメディアで見せてはいけない」。そんな空気感が見受けられるのが理由です。

先日、乙武洋匡さんが「ワイドナショー」(フジテレビ系、2021年8月1日放送回)に出演した時、視聴者からのSNSの書き込みに「びっくりした」と乙武さん自身がYouTubeで語っていました。いつもはジャケットを着ることが多いけど、この日は半袖シャツで腕まくりをして番組に出演していました。手が見えていたことに「半袖はエグい」「腕はあまり見せないでほしい」などと書き込まれたと話しています。

でも、それは障害のある本人にはどうしようもできないことですよね。テレビに出るとそういう声に晒されることになってしまうから、テレビ側も障害者を出演させづらいのではないか、と思いました。

僕もYouTubeチャンネルを運営していますが、立ち上げた当初の動画には「気持ち悪い体」「カメラの前に出てくるな」といったコメントが届きました。今はだいぶ減りましたが、かつてそんな言葉を投げかけられたことは今でも記憶に残っています。

今回東京パラリンピックを通して、こういうアスリートがいた、こういう障害がありながら頑張っている選手がいた、といったようにポジティブな形で注目されれば、パラリンピックが終わった後の障害者全体に対する認識も大きく変わるきっかけになると思います。

ダイバーシティが叫ばれる世の中になり、自国開催で「オリパラ」とも言われてオリンピックと一緒に盛り上がって、注目度は過去のパラリンピックより遥かに高いです。逆に今回のパラリンピックで何も変わらなければ、今後も変わらないかもしれません。テレビをはじめ、メディアでの取り上げ方が重要な意味を持ってくるのではないかと思います。

そうして障害者がもっと見慣れた存在、当たり前にいる存在の世の中になればいいなと思います。知って理解することで、自分が恵まれていることに気づく人もいるかもしれません。

■選手個々の「ヒストリー」を知る意味

僕も9年前の事故の後、自分の可能性を探ろうと思って、パラリンピックが頭に浮かびました。パラスポーツに挑戦しようと思い、21歳ごろの時に車いすバスケットボール、車いすラグビー、水泳をやりました。

でも実際に競技に取り組んで、こんなに難しいスポーツばかりなのかと思い知りました。自分が「車いすに適した体ではない」ということも知りました。参加したチームの監督にも言われました。片手では両手がある人と同じように車いすを操作できない。水泳も左腕だけで泳ぐのが難しく、勝手に体が沈んでいきます。

当たり前ですが、パラリンピックは立とうと思って誰でも立てるステージではありません。パラスポーツはオリンピックの採用種目ほど競技人口は多くないけど、どの選手もいろんな困難の中でとてつもない努力をして、大会を目指しています。挑み続ける姿は勇気をもらえます。

その世界の一端を、僕は手足を3本失ってから知りました。でも、多くの人は手足を失わなくても知るきっかけがたくさんあります。その1つが今回の東京パラリンピックです。

メディアでの情報発信も大事になると思います。パラリンピックは十人十色、いろんな障害のあるアスリートが出場しています。選手個々の「ヒストリー」を掘り下げ、知ってもらうことで、勇気が沸いてくる人もいるでしょう。

メダルを獲得したアスリートが物凄い人というのはもちろんですが、メダリストでなくても、パラリンピックの舞台にたどり着くまでにはそれぞれの過程があります。オリンピックのように、「今まで興味がなかったけど、選手のことを知ったら競技を見たくなった」「実際に競技を見たら感動した」という空気になってほしいなと思います。

僕の友人にも東京パラリンピックに出場する選手がいます。走り幅跳び(T63)日本代表の小須田潤太選手(オープンハウス)。僕の1歳上で、僕が事故に遭ったのと同じ時期に、国立障害者リハビリテーションセンター(埼玉県所沢市)に入院していました。小須田君は右足を切断してから東京パラリンピックを目標に競技を始め、力をつけて、本当に日本代表まで上り詰めました。

のめり込んだら一生懸命やるタイプ。一緒にリハビリしていた時から刺激をもらっていました。退院後も会っていたし、代表内定の連絡が来た時も一緒に食事をしていました。「頑張ってください」と伝えて、全力で応援しようと思ったし、僕としても励みになっています。「メダルは無理だ」と言っていましたけど、もし取ってくれたらかじらせてもらいたいですね(笑)。

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