「だから僕は義足を見せて歩く」 手足3本失った男が真冬でも半ズボンを履く理由

20歳の時に右手と両足を事故で失った山田千紘さん(30)は、義足をつける時は基本的に半ズボンを履く。自ら義足を見せるのだという。「隠すことはない。自分らしく」。その考えの背景には何があるのか。山田さんが語った。

【連載】山田千紘の「プラスを数える」〜手足3本失った僕が気づいたこと〜 (この連載では、身体障害の当事者である山田千紘さんが社会や日常の中で気づいたことなどを、自身の視点から述べています。)

■義足は、多くの人にとって見慣れないもの

僕は義足を履く時、半ズボンで歩くようにしています。義足が見えるからです。

義足は、多くの人にとって見慣れないもの。僕も手足を失うまで見たことがありませんでした。

子どもたちの多くも、義足を見たら不思議がるでしょう。僕がたくさん義足を見せて、歩いて、発信すれば、見慣れていく。子どもたちが大人になった時、義足をオープンにして歩くことが普通になっていればいいなと思っています。

幼い頃から手足がないことで、恥ずかしい思いをしてしまったり、いじめられたりするのであれば、僕がみんなの前に立って義足の姿を堂々と見せる。そうすれば、後に続く子どもたちがきっと楽になる。だから僕は義足を見せて歩きます。

冬は上が厚着で下が短パンだと合わないから、長ズボンにすることもあります。パーカーくらいなら半ズボンでいけるけど、ダウンジャケットならスウェットですね。それでも、裾をまくれば義足の棒です。何なら見せちゃうくらい。スーツの時も、少しめくれば義足が見えます。

義足が気になる人もいるかもしれません。でも、多くの人に見てもらうのも、僕の使命だと思っています。「人と違う体を隠すことはない。自分らしくいればいい」。僕の体を見た人にそう伝えたいです。

■新しい「引き出し」の提供

僕の発信の意義は、新しい「引き出し」の提供にあると考えています。今YouTubeで発信していることでいえば、料理、坂道の上り下り、1人暮らしの家事、爪の切り方まで、ありのままの日常を見てもらっています。

手足のない人が世の中にいて、その人はどんなことができるかを知る。カッコいいと思える。そうやって社会を知り、考え、人や物事を見る視点を増やすことが、「引き出しを持つ」ということかなと思っています。

引き出しが増えるほど豊かな感性に繋がります。子どもの頃にどれだけ感性を磨いたかで、大人になってから物事を捉える幅が広がっていく。

「世の中にはいろんな体の人が当たり前にいるんだ」という感性が身につけば、学校で同じクラスに手足のない子がいても、気にせず仲良くなれるんじゃないか。手足があるということは、思っているほど当たり前じゃないんだ。僕の発信が、そんな風に思ってくれるところまで繋がっていけばいいなと願っています。

(構成:J-CASTニュース編集部 青木正典)

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