黒柳徹子も「彼女のような女性になりたい」 戦後日本女性のあこがれ背負った森英恵さん

【森英恵さん死去】ハナエモリのドレス愛用の黒柳徹子、森さんの憧れ語っていたことも

記事まとめ

  • ファッションデザイナーとして活躍した森英恵さんが2022年8月11日に、亡くなった
  • 「ハナエモリ」のイブニングドレスを愛用してきた黒柳徹子は憧れていたという
  • 主婦となっても、欧米で活躍する姿は、多くの人に勇気を与えてくれたと回想していた

黒柳徹子も「彼女のような女性になりたい」 戦後日本女性のあこがれ背負った森英恵さん

「ハナエモリ」のブランドで知られ、ファッションデザイナーとして国際的に活躍した森英恵さんが2022年8月11日、亡くなった。96歳だった。

1960年代から海外に進出。「蝶」をモチーフとしたデザインで人気を博し、日本ファッション界のトップランナーとして走り続けた。まだ女性の社会進出が難しかった時代に、早々と欧米で大成功。知的で気品ある容姿も相まって、戦後の日本女性のあこがれを一身に体現した人だった。

■グレース王妃ら世界のセレブに愛される

1926年、島根県生まれ。東京女子大卒。48年、戦時中に勤労動員で知り合った元主計将校と結婚。主婦となってからドレメことドレスメーカー女学院(現・ドレスメーカー学院)でファッションを学び、51年、友人と東京・新宿に小さな洋装店を開業した。

新しいセンスにあふれた店はたちまち評判になり、まだ若かった三宅一生や高田賢三、コシノジュンコらが通い詰めた。やがて銀座にも出店。そのかたわら、小津安二郎監督「秋日和」「秋刀魚の味」、日活作品「太陽の季節」「狂った果実」、大島渚監督「青春残酷物語」など全盛期の日本映画400本以上の衣装デザインも手がけ、どんな注文にも応じられる服作りの腕を磨いた。

65年、ニューヨークのコレクションに初参加。友禅染の生地を使うなど日本の伝統に根ざしたドレスが注目され、米国に拠点を移す。「東洋と西洋の融合」をテーマに国際的なファッションデザイナーとして活動を開始し、77年にはパリに進出。東洋人として初めて、パリのオートクチュール組合に加盟を許された。

モナコのグレース王妃や、のちに大統領夫人となるナンシー・レーガンら世界のセレブも顧客だった。昭和天皇が75年、米国を公式訪問したときの公式晩さん会では、米国側の女性に「ハナエモリ」のドレスを着用した人が目立った。国内では日本航空スチュワーデスの制服を約20年にわたり手掛けた。美空ひばりさんも晩年の約10年は、森さんのステージ衣装を愛用し、ラストコンサートでの不死鳥をイメージした衣装は有名。バルセロナ五輪日本選手団の公式ユニフォームも担当した。96年に文化勲章を受章した。

■「神様から色のよく映る目をもらった」

「私のデザインの象徴といわれるチョウは、故郷のモンシロチョウ」としばしば語った。 標高約300メートル、中国山地の南西部にある自然豊かな人口数千人の小さな町、六日市町(現在の吉賀町)で育った。父は開業医で地元の名士。ハイカラ趣味の文化人で、ロシア人の洋服屋の仕立てた服を愛用し、娘の服は、三越や高島屋からメールオーダーで取り寄せていた。

五人きょうだいの次女。長兄が東大医学部に進んだことなどもあり、小学校4年の時に母らと東京に引っ越す。絵を描くのが好きで美術学校への進学を強く望んだが、父親に反対され、女子大に。結婚後、「きれいなものを作って子供たちに着せたいし、自分も着たい」と軽い気持ちで洋裁を習い始めた。自伝的著書『ファッション』(岩波新書)では、「いつも亭主に従っているのではなく、自主的に仕事をしたいという思いがあった」と語っており、戦後の新しい時代の女性の生き方を先取りしていた。

新宿に開いた店には、進駐軍の将校夫人らが来るようになり、洋服を日常着としている外国人と身近に接することで目と腕を鍛えた。また、映画の衣装デザインの仕事は、どんな学校に入るよりも勉強になったという。「太陽の季節」の南田洋子のワンピース、「狂った果実」の石原裕次郎のアロハシャツ、「秋日和」の岡田茉莉子のスーツ......。主役はアップが重要で、襟元や袖口の見せ方、キャラクターを強調する布地選びなどを学んだ。

ちょうど映画がモノクロからカラーに移る過渡期。のちにデザイナーとして世界の舞台に躍り出て「色で勝負」できたのは、「神様から色のよく映る目をもらったのと、カラー映画で勉強させてもらった」ことが大きいと回想している。

■「あんな風にずっときれいでいられたら」

すらりとした長身。人柄も魅力にあふれ、ファンが多かった。8歳年下で「ハナエモリ」のイブニングドレスを「ザ・ベストテン」や「紅白」で愛用してきた黒柳徹子さんは、雑誌『別冊太陽』の「森英恵――その仕事、その生き方」特集号(平凡社、2011年12月刊)で「森先生は昔から知的で物腰が柔らかく、近代的でありながら感じの良い日本人女性だった」と称賛。「彼女のような女性になりたい、あんな風にずっときれいでいられたら」と憧れていたという。

そして、「ハナエモリ」の一番の要素であるエレガンスは、「森英恵先生自身が持っているエレガンスなのだと思う」とも語り、主婦となって二人の子を育てながら、欧米で活躍する姿は、多くの人に勇気を与えてくれたと回想。「第二の人生を始めたい」と思った人の道しるべになったと、日本の戦後女性史の中で森さんが果たした大きな役割を強調している。

森さんは2004年にオートクチュールからは引退したが、創作意欲は衰えず、13年にはオペラ「夕鶴」の舞台衣装を担当。主役の「つう」を和服ではなく、白いドレス姿にしてアッと言わせた。2015年には故郷の島根県で回顧展も開かれた。戦後の混乱期を経て、世の中がパッと明るくなった時代に咲いた、大輪の花のような人だった。孫にモデル・タレントの森泉さん、森星さんがいる。

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