「おれ、選挙に出る」 死去の仙谷由人さん、若き改革派が「影の総理」になるまで

「おれ、選挙に出る」 死去の仙谷由人さん、若き改革派が「影の総理」になるまで

「おれ、選挙に出る」 死去の仙谷由人さん、若き改革派が「影の総理」になるまでの画像

民主党政権で官房長官を務めた仙谷由人さんが2018年10月11日、肺がんのため死去した。72歳だった。政治家としての知名度が高い仙谷さんだが、それ以前は労働弁護士としても活躍していた。

弁護士時代から押しが強く、若手議員の頃には「社会党をつぶしますから!」と改革を目指して息巻いたこともあった。後年は民主党政権の中枢で手腕をふるうが、世間の毀誉褒貶を受けることとなる。

「社会党をつぶしますから!」吼えた理由

仙谷さんは東大在学中の1966年に司法試験に合格し、71年に弁護士としての活動を開始。69年から71年にかけて起き、計18人が逮捕・起訴された「ピース缶爆弾事件」には弁護団の一員として参加し、1985年に全員の無罪を勝ち取った。

弁護士時代から40年以上にわたって親交があった元新聞記者の蜷川真夫(現ジェイ・キャスト会長)は、弁護士としての仙谷さんから「大特ダネをもらったこともある」といい、「(喋り方は)ヤクザっぽいが情に厚い人だった」と評する。仙谷さんは90年に社会党(当時)から出馬し初当選。その数年前に「おれ、選挙に出る」と明かされた。当選から数年後には国会議員2人を連れて訪れ、「社会党つぶしますから」。当時の仙谷さんは「改革派」として知られ、改革の志の表現だったようだ。

しかし93年の衆院選では落選。社会党から名称変更した社民党を離党し、96年の衆院選で民主党から出馬して当選。政界復帰を果たした。

総裁選後の石破氏とテレビ対談

09年8月に民主党が政権を獲得すると、鳩山内閣で行政刷新相として初入閣。菅内閣の10年6月から11年1月にかけて官房長官を務め、実力者として「影の総理」の異名を取る。一方で「暴力装置」発言や、対応が賛否を呼んだ尖閣沖の中国船衝突事件が起きたのもこの頃だ。12年の衆院選で落選し、14年に政界を引退。その後もホワイト企業を認証する一般社団法人「ホワイト認証推進機構」の代表理事に就任するなど、労働環境を改善するための活動を続けてきた。

仙谷さんはつい半月ほど前までテレビ出演を続けてきた。9月23日放送の政治番組「時事放談〜ワイドショー政治を叱る」(TBS)では、自民党総裁選に敗れたばかりの石破茂衆院議員と対談し、今の時代は「より正しいことを言っている方が、選挙で負ける」として、石破氏の方が政策的に正しかったからこそ負けたとの持論を展開。自民党内では、「ポスト安倍」の一番手に石破氏がなるとの見方を披露していた。

(J-CASTニュース編集部 工藤博司)