保阪正康の「不可視の視点」 明治維新150年でふり返る近代日本(53) 関東大震災は近代日本史をどう変えたのか

保阪正康の「不可視の視点」 明治維新150年でふり返る近代日本(53) 関東大震災は近代日本史をどう変えたのか

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関東大震災は近代日本史の方向を初めて明確に示すかたちになったと言い得る。どういう意味かというと、目に見える形の変化を余儀なくさせた。同時に、目に見えない変化(人心の変化といってもいいのだが)を促した。

それが現実に目に見える形になるのは、5年、10年先のことであった。ちょうど大正デモクラシーの教科書を基に社会常識のフレームを学んだ世代が、実は昭和の戦争時の価値観に最も強い違和感を持ったとも言える。今回は、この関東大震災が近代史のどのような部分に影響を与えたのか、考えてみたいと思う。

有限の世界に生きていることを実感させられた人々

関東大震災はあえて3点を浮き彫りにしたといっていいだろう。その3点とは以下のような展開である。箇条書きにする。

(1)形あるものは壊れる。人工的建造物は永久不変ではない。
(2)閉鎖集団に不確実な噂を入れると自己増殖を始め、異様な行動をとる。
(3)国民の精神、思想に対する天譴論(編注:てんけん、天罰のこと)という考えが登場した。

この3点をより具体的に見ていくと、近代日本の地肌が浮き彫りになってくる。(1)についていうなら、作家の田山花袋、佐藤春夫、正宗白鳥などが、今回の地震で私たちはある現実を理解しなければならないと書いている。人類の文化、文明などは天変地異であっけなく崩壊する、そのことを知っておかなければならないといったエッセイや短い原稿を書いている。これは確かに当時の人々の心理を代弁していて、震災の恐怖を率直に語っている。有限の世界に私たちは生きている、そのことを改めて実感しなければならないという意味であった。

閉鎖集団で不安な噂が流れると...

同時にこのことは、社会の中に無常観やデカダンスの風潮を生んだのも事実であった。あるいは「死」に対する逃避が生まれたといってもいいように思う。関東大震災から数年を経ずして生まれたモボ(モダンボーイ)やモガ(モダンガール)という都市の退嬰現象などはその一例である。1930〜31年(昭和5、6年)ごろから爆発的な現象であった自殺ブームなども、こうした例に数えて間違いはないであろう。この「生あるものは必ず滅びる」といった心理上の受け止め方は、関東大震災の残した傷跡といっていいのではないか、と私には思えるのである。

(2)はこの震災時に中国人、朝鮮人、そして日本の社会主義者や無政府主義者が、一般国民が組織する自警団によって惨殺されている。あるいは軍人たちによっても殺害されている。例えば、朝鮮人が井戸に毒を投げたとか、不穏な動きをしている、さらには社会主義者が暴動を企んでいるといったルーマー(噂)が意図的に流された。これには警察などが流した噂もあったというのである。こうした虐殺事件は、日本社会のヒステリー状態が生み出したと言われているのだが、それにしてもその規模といい、犠牲者の数と言い、事件の広がりは異常という以外になかった。そのために。こうした虐殺を起こすのは日本人の宿痾ではないとの意見さえ起こった。海外のメディアも極めて大きく扱ったというから、日本としては公式に正確なコメントを出す必要があった。

しかしつまりは、こうした事件は自然に収まるのを待つという姿勢だったから、この問題は曖昧な形で語り伝えられることになった。日本としては海外のメディアなどに正式に正確な方向を伝えるべきであった。この問題が解決したのは、私の見るところ、2011(平成23)年3月の東日本大震災であった。ほぼ90年近くを経てのことであった。この大震災は関東大震災に匹敵する内容であった。しかし関東大震災時のような虐殺事件などはなかった。いわばかつてのような不祥事件は全くなかったのである。これは何を意味していたのか。

人は閉鎖集団の中にいると、不安なルーマーが流れてくると異様な行動に走るのである。

「天譴論」が広がり見せた理由

関東大震災時には、日本社会は情報閉鎖集団であった。まだメディアも充分発達していなかった。そういう集団の中に意図的なルーマーを投げ入れるのである。するとどうなるか。その集団は恐怖と不安と、そして敵対意識を高揚させ、暴力化していく。あるいは残酷化していく。そういう変化は日本だけでなく、どこの国でも、どの時代でも起こりうるのだ。そのことは情報の公開、情報の正確な流れ、そして悪質な情報を排斥するシステムが出来上がることこそ暴走する人心を生まないということになるだろう。

そのことを関東大震災は教えていることになる。自警団のような病的心理は社会そのものが病んでいることでもあった。社会主義者を惨殺した亀戸事件、無政府主義者の大杉栄が陸軍内部で暗殺された事件などは、そういう病的心理が社会の中軸に据えられていたことがはからずも裏づけたのであった。

そして(3)を見ていくことにしよう。このころの日本人は道理から外れ、あるいは退嬰(編注:たいえい、進んで新しいことをする意欲に欠けること)に流されているから、天が変わって罰を加えたというのがこの天譴論であった。渋沢栄一などが唱え始めて広がった。この考えも一部の人々に受け入れられていった。(第54回に続く)




プロフィール
保阪正康(ほさか・まさやす)
1939(昭和14)年北海道生まれ。ノンフィクション作家。同志社大学文学部卒。『東條英機と天皇の時代』『陸軍省軍務局と日米開戦』『あの戦争は何だったのか』『ナショナリズムの昭和』(和辻哲郎文化賞)、『昭和陸軍の研究(上下)』、『昭和史の大河を往く』シリーズ、『昭和の怪物 七つの謎』(講談社現代新書)、『天皇陛下「生前退位」への想い』(新潮社)など著書多数。2004年に菊池寛賞受賞。