五色の大輪、再び成功を=64年大会パイロット―東京五輪

五色の大輪、再び成功を=64年大会パイロット―東京五輪

1964年の東京五輪開会式で航空自衛隊「ブルーインパルス」が描いた五輪マーク(西村さん、藤縄さん提供)

 戦後復興の象徴となる五色の輪を大空に描いてから57年。航空自衛隊の曲技飛行チーム「ブルーインパルス」が23日、都心上空に浮かぶ五輪マークの再現に挑む。「再び成功を」。1964年大会で飛行した元空自パイロット2人は、東京五輪の開会式を前にエールを送る。

 1番機に乗ったリーダーの松下治英さんら3人は亡くなったが、3番機の西村克重さん(84)=横浜市=と5番機の藤縄忠さん(84)=同=は、同期として今も互いの家を行き来する親しい仲だ。

 大会組織委員会からアクロバット飛行の打診があったのは開会式の1年半前。メンバーの発案で五輪マークを描くことが決まったが、藤縄さんは「やってみたらとてもじゃないが難しい仕事だった」と苦笑する。目視だけで約2000メートル先の前方機を確認し、一定の間隔を保ちながら同時に旋回するのは、輪を一つだけ描くのとは比較にならないほど難しかった。結局、練習では1回も成功しないまま本番を迎えた。

 64年10月10日。目が覚めると窓の外には、前日の大雨がうそのように青空が広がっていた。「これは成功させなければ」。全員に緊張感が走った。

 当日は進行が遅れ、神奈川・江の島上空で待機が続いた。リーダーの松下さんは、ラジオの実況を聞きながら出発のタイミングを図る。「レッツゴー」。ちょうど会場でハトが放たれ、観客の視線が向かったその先に、5機の編隊が姿を現した。

 「スモーク・ナウ」の合図と共にそれぞれが五色の煙を出し、一気に旋回。描き終わって下を見ると、見事な五つの輪が目に入った。「やったー」。酸素マスクの中で何度も快哉(かいさい)を叫んだ。「お客さんがみんなこっちを見ていた。パーフェクトだったのでは」。西村さんは照れながら振り返る。

 再び行われる東京五輪は、新型コロナウイルスの感染拡大で異例の無観客開催となる。藤縄さんが「がんばって成功させてほしい」と後輩たちにエールを送る一方、西村さんは「選手にとってはつらいと思う。医療従事者に感謝するとか、景気が悪いからみんなに頑張ってもらおうという観点で飛ぶのもいいのでは」と、複雑な胸中を明かした。 【時事通信社】