思想の善悪、判断避けた=三島事件50年、元裁判官が初証言―楯の会被告礼儀正しく

思想の善悪、判断避けた=三島事件50年、元裁判官が初証言―楯の会被告礼儀正しく

陸上自衛隊東部方面総監部のバルコニーで演説する作家の三島由紀夫=1970年11月25日、東京都新宿区

 作家・三島由紀夫と「楯(たて)の会」会員が起こした「三島事件」は25日で50年を迎える。嘱託殺人などの罪に問われた会員3人の公判に関わった元裁判官が22日までに時事通信の取材に応じた。メディアのインタビューに応えるのは初めてで、法廷の様子や時代背景を振り返りつつ、焦点となった三島の思想について「善悪の判断は注意して避けた」と証言した。

 「三島事件(判決)言い渡し、とあるね」。東京地裁で陪席裁判官として公判に臨んだ弁護士の本井文夫さん(76)は、当時つけていた日誌の1972年4月のページを開き、懐かしそうにつぶやいた。

 日誌には「赤軍派」「東大」などの単語も随所に見られる。ノーベル賞候補にも挙がった作家が陸上自衛隊幹部を人質に取り、自決を遂げた前代未聞の事件は、学生運動が盛り上がりを見せた時代に起きた。自衛隊の国軍化を訴え、隊員らに決起を促した三島の思想や言動に焦点が当たり、新聞には「その思想、どう裁く」といった見出しが並んだ。

 ただ、本井さんは「三島さんの考えを理解するのは大切だが、思想の善しあしの判断は裁判に関係なく、注意して避けていた」と明かす。

 三島と行動を共にした被告の3人は当時20代。本井さんと同じ世代で、「礼儀正しく、節度があった。自らの主張を冷静に淡々と述べていた」という。公判では三島の著作が証拠採用され、親交のあった人々が証言台に立った。事件当時、防衛庁長官だった故・中曽根康弘元首相も証人出廷し、本井さんは「(尋問時は)緊張したね」と頬を緩ませた。

 判決は、暴力を手段とした三島らの行為を「民主主義社会の根底を揺り動かすものとして許されない」と厳しく非難。3人に懲役4年の実刑判決を言い渡したが、「死を決して訴え」「動機において私利私欲は全く認められない」と一定の理解も示していた。

 本井さんは判決について「一つ一つの証拠に基づき判断した」と多くを語らなかった。ただ、「自衛隊は違憲という認識が強かった中、三島さんは将来を憂いて行動した。この50年で自衛隊の評価は変わった。三島さんの評価も変わってくるのだろう」と推し量った。 【時事通信社】