世の中おかしな事だらけ 三橋貴明の『マスコミに騙されるな!』 ★第289回 安倍政権の賃金統計の嘘

例えば、筆者は毎月、100メートル走のタイムを計っている、さらに対前年比で何秒タイムが伸びた、あるいは遅くなったと「発表」しているとしよう。今年、ウサイン・ボルトを連れてきて、筆者の代わりに100メートルを走ってもらい、「すごい! 今月は対前年比でこれだけタイムが縮まった!」
 とやることに、何か意味があるのだろうか。

 安倍政権は今年の1月に毎月勤労統計調査のサンプリング対象企業を入れ替えた。それは別に構わないのだが、結果的に、
「給与水準が低い企業が退出し、給与水準が高い企業が参入した」
 形になってしまい、現金給与総額の名目賃金は'18年6月が対前年比+3.3%、7月が+1.5%と跳ね上がった。実質賃金も、'18年6月が対前年比+2.5%、7月が+0.4%と、一見、プラスが続いている。

 調査対象の半分が入れ替わったにも関わらず、対前年比の比較をすることは正しいのだろうか。ちなみに、給与水準が高い新規参入組を除き、昨年も今年もサンプリングに入っている「共通事業所」に限った数字でいえば、グラフの通り、実質賃金は直近でマイナスに落ち込んでいる。

 名目賃金は'18年6月が対前年比+1.3%、7月が0%。これでは物価上昇分をカバーできないため、7月の実質賃金は当然ながら▲1.1%とマイナスだ。特に、実質賃金が「マイナス」であるにも関わらず、サンプル変更で「プラス」と発表されるのは問題である。実質賃金が上昇しているとは「豊かになっている」、実質賃金下落は「貧困化」を意味する。'18年7月の日本国民は、貧困化しているにも関わらず「豊かになっている」と報じられてしまったのだ。

 これで「現実」を判断できるのだろうか? 昨年7月の筆者の100メートルのタイムと、今年7月のボルトのタイムを比較してどうするのだ、という話である。無論、'19年1月以降に現在のサンプルで「対前年比」の数字を出すのは問題ない。とはいえ、今年はダメだ。誰にでも理解できる話だと思うのだが。

 また、サンプルを変更した以上、「サンプル変更による影響」を排除するため、厚生労働省は数字を公表する際に「補正」をかけなければならない。具体的には、0.8%ほどマイナスの数値を発表するべきなのだ。ところが、厚生労働省は共通事業所によるデータを「参考値」としてWEBに掲載していることを理由に、

「補正や手法見直しは考えていない」('18年9月12日 西日本新聞「統計所得、過大に上昇 政府の手法変更が影響 補正調整されず」より)
 とのことである。

 景気を判断する際の重要な材料である賃金統計が、大きく上振れした形で発表され続けている。ちなみに、ほとんどの政治家は省庁のWEBページに掲載されているデータなど見ない。単純に、新聞発表のみで状況を判断する。賃金統計の誤差は、デフレ脱却を目指す安倍政権の景気判断の甘さにつながることになる。

 何しろ最近の日本の賃金統計に関する発表は、以下の体たらくなのだ。
『実質賃金、21年5カ月ぶりの伸びに=6月の毎月勤労統計』(ロイター通信 '18年8月7日)
『6月の名目賃金確報値3.3%増、速報値から縮小 毎月勤労統計』(日本経済新聞 '18年8月22日)
『7月の実質賃金0.4%増=賃上げ広がる』(時事通信 '18年9月7日)
『7月給与総額、前年比1.5%増 12カ月連続プラス』(毎日新聞 '18年9月7日)
 21年ぶりの実質賃金の伸び……。
 7月の実質賃金対前年比0.4%増……。

 補正数値である0.8%を加えなければ、前述の2つとも「現実」ではない。それにも関わらず、各紙の記事には毎月勤労統計における「サンプルの変更があった事実」や「補正をかけていない事実」は記されていない。無論、厚生労働省が記者クラブで配る資料に、サンプル変更や補正の話が載っていないためだろう。日本の新聞記者やテレビ記者は、官僚から受け取ったペーパーについて、何の裏取も、WEBの確認すらせずに、そのまま記事にする。結果的に、日本の「情報」は官僚が恣意的にコントロールすることができてしまうのだ。

 厄介なのは厚生労働省の官僚にしても、別に「嘘」は言っていないのである。サンプル変更や補正を無視すれば、日本の実質賃金が「21年ぶり!」の伸びになったことも、7月の実質賃金上昇も事実なのである。

 しかも、WEBにはきちんと「共通事業所」のデータも載せているため、
「いや、それはWEBを確認しないで、何も考えずに記事を書いているマスコミが悪いのだ」
 と、責任逃れができてしまうのである

 ちなみにサンプル変更はともかく、大きな誤差が出ているにも関わらず、補正なしでデータを発表するケースは、実は今回が初めてである。

 すなわち、厚生労働省の情報リリースには、明らかに「現在の日本では実質賃金が上昇している」という「嘘」を蔓延させたいという意図がある。

 なぜ、この種のあからさまな情報操作が行われているのか。'19年1月になれば、事業所入れ替えによるメッキは剥がれ、賃金は名目も実質も対前年比で落ち込むことになるだろう。それにも関わらず、なぜこの手の「姑息なインチキ」に手を染めるのか。

 理由は今年の11月か12月には、来年10月の消費税増税が最終決定されるためと考える。

「賃金は名目も実質もこれだけ伸びている! 消費税増税の環境は整った!」
 と、やりたいわけである。
 それにしても、安倍政権は「数字」をでっち上げ、平気で発表するまでに落ちぶれたわけだ。まるでソ連である。
 わが国の政治がいかに「狂っている」のかが、賃金統計一つとっても理解できる。

********************************************
みつはし たかあき(経済評論家・作家)
1969年、熊本県生まれ。外資系企業を経て、中小企業診断士として独立。現在、気鋭の経済評論家として、分かりやすい経済評論が人気を集めている。

関連記事(外部サイト)