六代目山口組と神戸山口組 緊迫の沖縄上陸に密着!

六代目山口組と神戸山口組 緊迫の沖縄上陸に密着!

(提供:週刊実話)

灼熱の太陽の下、那覇空港に続々とブラックスーツの集団が降り立った。去る7月12日に死去した“沖縄のドン”旭琉會・富永清会長(享年73)に別れを告げるため、全21団体、総勢約100名もの組織関係者が4日間にわたって大挙したのだ。

 各団体のトップや最高幹部らが訪れるとあって、地元の沖縄県警は厳戒態勢を敷いたが、この弔問には別の意味でも緊張が走った。分裂下にある六代目山口組(司忍組長)と神戸山口組(井上邦雄組長)の弔問が予定されていたからだ。

「富永会長が亡くなった直後から、親交のあった関係者たちが極秘で焼香に訪れるんやないか、とも噂されとった。結局、組織関係者は日を改めて弔問することになったんや。義理場での衝突は御法度やし、旭琉會側も日程を分けて弔問を受けることにしたようやから、両山口組のバッティングは考えられんかった。けど、多くの団体が沖縄入りするとあって、警察当局は異様なほど目を光らせとったで」(ベテラン記者)

 7月23日、那覇空港のロビーには、旭琉會関係者らの姿があった。まず、午前10時半ごろに六代目山口組一行が到着。青山千尋舎弟頭(二代目伊豆組組長=福岡)、竹内照明若頭補佐(三代目弘道会会長=愛知)、安東美樹若頭補佐(二代目竹中組組長=兵庫姫路)が姿を現した。一行は旭琉會の出迎えを受けて車両に乗り込み、現地へと向かった。

 会場となったのは、沖縄市内にある旭琉會の関連施設。これまでにも、来賓を迎える際に使われてきたゲストハウスだという。

 その建物2階に祭壇があり、無数の花に囲まれて富永会長の遺影が置かれていた。1階の応接室には山口組の竹中正久四代目や渡辺芳則五代目、稲川会(東京)の稲川聖城初代、稲川裕紘三代目、清田次郎総裁、内堀和也会長、住吉会(関功会長=東京)の総本部長を務める加藤英幸・幸平一家十三代目総長、道仁会(福岡)の小林哲治会長、工藤會(野村悟総裁、田上文雄会長=福岡)の溝下秀男三代目など、富永会長と大物親分との写真がそれぞれ飾られ、生前の広い交友関係も伝わってきた。中でも、住吉会・加藤総本部長との写真は富永会長が肩に手を回しており、同じ大学に進んだ旧知の仲である2人の歴史を写し出していた。

 会場の外では、到着する関係者らの車両に対して沖縄県警の捜査員が停止を求め、念入りに1台1台チェックし、上空にはヘリコプターも旋回。物々しい雰囲気が漂っていた。そんな中、会場に入った六代目山口組一行は、旭琉會・花城松一会長代行や上里忠盛理事長といった最高幹部らに案内されて順に焼香。応接室で改めて挨拶を交わし、引き揚げていったのである。

 六代目山口組の到着から約1時間後には、稲川会の内堀会長と貞方留義理事長ら最高幹部、七代目会津小鉄会(京都)の原田昇会長が姿を現した。焼香を終えると、今度は三代目福博会(福岡)の長岡寅夫会長も会場入りしたのだった。

 翌24日の弔問は最も多く、8団体が駆け付けた。関東関根組(大塚成晃組長=茨城)、道仁会、工藤會、極東会(髙橋仁会長=東京)、住吉会などの順に、続々と那覇空港に降り立ったのだ。

 さらに、前述したように富永会長と親交の深かった加藤総本部長も、幸平一家の最高幹部らを引き連れて到着。東京都外でマスコミが加藤総本部長の姿を捉えたのは、およそ2年ぶりだった。京都府警に逮捕された神戸山口組・井上組長が釈放され、挨拶のため新神戸駅に現れた一昨年7月以来で、報道陣からは、どよめきが上がった。

 続く7月25日、二代目東組(滝本博司組長=大阪)が沖縄入りしたのち、神戸山口組が親戚団体の七代目会津小鉄会(金子利典会長=京都)、九代目酒梅組(吉村光男総裁、木下政秀組長=大阪)と共に総勢約10人で沖縄の地に現れたのだ。

 神戸山口組からは、寺岡修若頭(俠友会会長)を筆頭に奥浦清司顧問(奥浦組組長=東大阪)、中田浩司若頭代行(五代目山健組組長=兵庫神戸)、剣政和若頭補佐(二代目黒誠会会長=大阪北)、山本彰彦若頭補佐(二代目木村會会長=愛媛)、さらに山健組直参の藤岡宏文・誓仁会会長らが弔問。寺岡若頭らは富永会長の遺影に手を合わせ、静かに故人の冥福を祈ったのだった。

★新体制発足に向けた内情

「山口組が分裂した4年前、親戚団体の多くは六代目側を支持し、親戚関係になかった旭琉會は静観した。しかし、富永会長の死によって両山口組が別の日にそれぞれ訪れたところにも、分裂問題の根深さを感じる」(業界ジャーナリスト)

 翌26日には、双愛会(椎塚宣会長=千葉)など5団体が訪れ、最後に予期せぬ人物が姿を現した。山口組分裂問題において、“抗争のキーマン”の一人である弘道会の野内正博統括委員長が、踏み締めるような足取りで会場に入ったのだ。

 祭壇の前に跪いて固く目を閉じる姿からは、激動の時代を駆け抜けた故人への深い尊敬の念が感じられた。また、野内統括委員長は単独だったため、組織としてではなく個人としての弔問だったようだ。
「旭琉會の複数の直参と兄弟分の関係にあるから、駆け付けたと思われる」(同)

 敵対する六代目山口組と神戸山口組、さらに双方の“抗争のキーマン”である野内統括委員長と山健組・中田組長が、時間差とはいえ同じ目的で本拠地から動いたのは、分裂後では初めてのことだった。

 これほど多くの関係者が富永会長の死を悼み、弔問に駆け付けた背景には、長年にわたる血の抗争を経て一本化された沖縄ヤクザの歴史があるからだという。

 極道業界に詳しいジャーナリスト・鈴木智彦氏が言う。
「富永会長は物事を押すだけの親分ではなかった。その人望が求心力の源泉でした。この人がトップでなければ、沖縄の一本化は成し得なかった。業界には、富永会長を慕う人たちがたくさんいる。警察からの圧力などがある“冬の時代”に、これだけの弔問客があったのが、その証明」

 また、事実上、会長不在となった旭琉會について、地元メディアである沖縄タイムスは、〈県警は組織のかじ取り役を誰が担うのか注視している〉(7月25日配信)と報じたが、鈴木氏はこう明かす。
「沖縄ヤクザは過去、凄惨な抗争事件を体験してきたため、心底から平和を望む気持ちが強い。急いで跡目や新体制を決める必要はないし、沖縄の独自性を保つためにも、ゆっくり慎重に決定していくはず」

 他団体の弔問を前に、7月14日、15日には家族葬として通夜と告別式が営まれ、旭琉會関係者らも参列。出棺と同時に米軍戦闘機の轟音が聞こえ、ここが沖縄の地であることを感じさせた。火葬場でも、若い衆を含め全員が富永会長の遺骨を拾い、丁寧に骨壺に納める姿が見られ、沖縄ならではの文化があった。

 富永会長を偲び、4日間にわたって行われた各団体の弔問は、当局が危惧したようなトラブルもなく終了。敵対する六代目山口組と神戸山口組も、“沖縄のドン”の死を惜しむという同じ思いを抱いたはずだが、依然として両者の溝は埋まらないままである。

 7月26日には、兵庫県神戸市内の本部で、神戸山口組が夏季休暇前の挨拶を行った。井上組長の姿も確認され、この日は本部に約2時間も滞在。反撃が間近に迫っているとみられ、緊張が高まっている。

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