六代目山口組 高山清司若頭が出所 東京-名古屋間緊迫の10時間に密着!分裂抗争「新たなる進撃」

六代目山口組 高山清司若頭が出所 東京-名古屋間緊迫の10時間に密着!分裂抗争「新たなる進撃」

(提供:週刊実話)

刻一刻とその時が迫っていた。10月18日・午前2時30分、高い塀に囲まれた東京・府中刑務所の門前には、赤く光る棒状の誘導灯を手にした警備員が多数配置されていた。周辺は閑静な住宅街だ。住民が寝静まった時間帯に、その一帯だけ異様な雰囲気が漂う。

 数台のパトカーや車両が定期的に巡回し、六代目山口組(司忍組長)の組員とみられる2人組も現れ、小雨の降る中、ギラついた目で周囲を警戒する。約2時間後、報道陣が続々と集まり始め、ジュラルミン製の盾を持った機動隊員が、門の前に立ちはだかったのだ。

 立入禁止の黄色いテープで規制線が張られ、車道の両側に報道陣がひしめき合う状態となった。しばらくすると門が開けられ、竹内照明若頭補佐(三代目弘道会会長=愛知)が乗った出迎えの黒い高級ミニバンが敷地内へと入った。間もなく出所すると見られ、現場は緊張で張り詰めた。

 午前6時前、府中刑務所の長い並木道を、先ほどの高級ミニバンが徐々に出口へと向かう。一斉にカメラのフラッシュが焚かれ、黒い車体が光る。一瞬で門を通り過ぎたが、後部座席にはキャップ帽を被って首に白いコルセットを着けた人物が確認された。約5年4カ月ぶりに、六代目山口組・髙山清司若頭が社会復帰を果たしたのである。

 目的地の名古屋への帰還は始まったばかりだった。府中刑務所から約30キロ離れたJR品川駅では、警視庁の捜査員が厳戒態勢を敷いて待ち構えていた。エスカレーターを上がった2階の改札付近は、記者がとどまることも許されず、報道陣は1階降車場の一角に集められた。捜査員らがボディーチェックを行った上、荷物の中身まで調べるなど、不審者が紛れ込んでいないか徹底的に確認。

 組側の警備も厳重で、到着の約1時間前からホームまでの髙山若頭の動線にガード組員が立った。広範囲にわたって十数メートル間隔で1人ずつ配置につき、全体数を把握するのは困難なほどだ。その組員たちは常に周囲を見渡して通行人の動きに注意し、ただならぬ気配を感じさせた。

 しかし、それ以上に捜査員の数が多く、警視庁のみならず兵庫県警、愛知県警など各地から捜査員が駆け付け、ホームは防弾チョッキを着込み鋭い視線を向ける男たちで溢れ返った。

 藤井英治若頭補佐(五代目國粹会会長=東京)と高木康男若頭補佐(六代目清水一家総長=静岡)が降車場で待つ中、午前6時半すぎにガード車両を引き連れて髙山若頭の乗った車両が到着。表情は見えなかったが、足取りは収監前と変わらず、しっかりとしていたのである。

 髙山若頭がホームに下りると、その姿を確認した報道陣が殺到。無数に浴びせられるカメラのフラッシュを気にすることなく、悠然とベンチに腰を下ろした。高木若頭補佐が話しながら笑顔を見せる反面、竹内若頭補佐は直立不動で髙山若頭を見つめる。また、距離を置いて複数の弘道会最高幹部、直参、警備組員が取り囲み、新幹線が到着する時間を待った。

 午前7時17分、新幹線が到着すると、一団は吸い込まれるようにしてグリーン車へと乗り込み、捜査員やマスコミもあとを追う。不審な人物が乗り込んでいないか、車内も弘道会の直参らが見回り、カーテンが閉まっていた洗面スペースでは、立ち止まって足元を確認するなど警戒を緩めることはなかったのだ。

 到着駅であるJR名古屋駅でも、駅構内の警戒には地元の愛知県警が多数の制服警官や捜査員を動員。髙山若頭が送迎車に乗り込む場所に規制線を張るなど、不測の事態に備えていた。

 到着ホームに礼服姿の最高幹部らが姿を現したのは、午前8時半前のことだった。青山千尋舎弟頭(二代目伊豆組組長=福岡)、橋本弘文統括委員長(極心連合会会長=東大阪)、森尾卯太男本部長(大同会会長=鳥取)、江口健治若頭補佐(二代目健心会会長=大阪浪速)、野村孝若頭補佐(三代目一会会長=大阪北)、安東美樹若頭補佐(二代目竹中組組長=兵庫姫路)、さらに清田健二幹部(十代目瀬戸一家総裁=愛知)、薄葉政嘉幹部(十一代目平井一家総裁=愛知)の姿が見られた。

 橋本統括委員長らはグリーン車付近で待ち、周辺を20人近い捜査員や、弘道会の最高幹部、組員が囲んで監視の目を光らせる。到着時刻が近づくにつれて次第に緊張が高まり、出迎える最高幹部たちの表情も引き締まっていった。

★本拠地への“帰還”で笑顔も

 午前8時47分、定刻通りに新幹線が入線。髙山若頭が降り立つと、ここでも報道陣が押し寄せたが、表情を変えずに青山舎弟頭らの挨拶を受け、階下へと向かったのである。

 エスカレーターで青山舎弟頭が話しかけると、初めて髙山若頭の口元が綻んだ。さらに、「帰ってくるまで生きてかなアカンと思うてました」という趣旨の言葉を掛けた途端、髙山若頭が笑い声を漏らし、顔を近づけた橋本統括委員長とも笑顔で言葉を交わしたのだ。

「本拠地に帰還したことで、ようやく安心したんやろな。マスコミの多さに驚いたような表情を浮かべとったけど、すぐに気に留めなくなって、車両に真っすぐ向かとったで」(ベテラン記者)

 しかし、髙山若頭が車両の待機場所に姿を現すと、前へ前へと出る報道陣を捜査員が押さえに掛かり、そこに野次馬も加わって名古屋駅は大混乱に陥った。雨の中、傘を差し掛けられた髙山若頭が車両に乗り込んだあとも、騒々しさがしばらく続いたほどだ。

「山口組のナンバー2いうこともあるが、分裂抗争が起きとる最中での出所やからな。普段、ヤクザに関しては事件のときくらいしか取り上げないテレビ局や新聞社の大手メディアも、注目しとったわけや」(同)

 ましてや、出所の8日前には、敵対する神戸山口組(井上邦雄組長)の中核組織・五代目山健組(中田浩司組長=兵庫神戸)の近くで、組員2名が弘道会系組幹部によって射殺される事件が発生していた。業界内外では、髙山若頭という“指揮官”の復帰によって、さらに抗争が激化する可能性も指摘される。そうした危険性も含めて、情勢が動くとみられているのだ。

「髙山若頭は、重症の場合には歩行も困難になる難病指定の後縦靱帯骨化症を患っとって、体調面も懸念されとった。けど、新幹線を下車してから、わずか4分で送迎車に乗り込んどるし、歩くペースは服役前と変わらんかったで。頸椎を保護するため、首にコルセットを着けて杖を突いとるのも前と同じ姿やしな。変わったんは、山口組が分裂したいうことだけや」(同)

 この日、髙山若頭の最終目的地は名古屋駅から約10キロ離れた弘道会系事務所だった。当初は、兵庫県神戸市内の六代目山口組総本部で祝宴が開かれるはずだったが、山健組系組員射殺事件を受け、兵庫県警によって10月11日に使用制限の仮命令が出されたため、急きょ場所が変更されたのだ。

 直参が一堂に会すとなると、それなりの広さが必要となり、これまでに葬儀が執り行われてきた兵庫県内の関連施設が有力だった。ところが、出所の数日前から、兵庫県ではなく愛知県に場所を移すとの情報が漏れ聞こえていた。

「弘道会本部や傘下組織の十代目稲葉地一家の組事務所には、大勢を収容できる大広間があるが、ここも愛知県警によって規制対象となった。そこで、使用制限が掛かっておらず、適当な広さを確保できる同じ弘道会傘下の三代目髙山組本部が候補として浮上した。
 しかし、そこも違うとなり、警察当局は情報収集に追われたようだ。結局、現在は事務所として使われていない佐々木一家で開かれるとなったわけだ。ここなら万一、規制された場合もリスクは低いからだろう」(業界ジャーナリスト)

 佐々木一家には、名古屋駅で出迎えた執行部メンバーが先に到着し、中部ブロックの直参、さらに弘道会直参、OBと見られる古参メンバーも集まり、髙山若頭の“帰還”を待っていた。報道陣もカメラを構えており、品川駅から追った本誌取材班に対し、愛知県警の捜査員が顔写真入りの身分証と名刺の提示を要求。名刺が偽物ではないことを確かめた上で、鞄の中身も調べる念の入れようだった。

「すべては、山健組での射殺事件の影響や。ヒットマンが週刊誌カメラマンに扮して、山健組の定例会の現場に来とったんやからな。事件は、そのあと捜査員が職務質問して車内を調べとった際に起きたが、今回もマスコミの中に紛れとって、同じようなことになったら、警察の面子は丸潰れやで。そうならんためにも、異様なほど警戒しとったわけや」(前出・ベテラン記者)

★組員の引き抜き禁止を厳命

 午前10時すぎ、佐々木一家の駐車スペースに執行部メンバーが並ぶ中、警備車両を従えた車がギリギリまで横付けされ、髙山若頭が降り立った。散髪に寄っていたようで、伸びていた髪はスッキリと整えられていた。この日は、正式な祝宴ではなく執行部らとの懇親の席が設けられ、髙山若頭の到着後に始まると思われた。ところが、出迎えの態勢が続き、その20分後、司六代目が駆け付けたのだ。

 出迎えに立った髙山若頭に対し、司六代目は笑顔を向けた。その第一声は「元気やったか?」だという。約5年4カ月ぶりに再会を果たした2人は、固い握手を交わしたのち建物内へと入り、これまでの空白を埋めるかのように約2時間、過ごしたのである。

 執行部や中部ブロックの直参が引き揚げると、髙山若頭は弘道会の祝宴に出席した模様で、到着から約5時間後の午後3時半、ようやく帰途に就いたのだった。

 翌19日、同じ佐々木一家に、六代目山口組の直系組長全員が全国から駆け付け、盛大な祝宴が行われた。司六代目はこの日も駆け付け、1時間半ほど滞在した。

「祝宴の席では、組員を代表して森尾本部長が、『組員一同、お帰りをお待ちしておりました』と出所を祝う言葉を述べたそうや。その後、若中の森健司・三代目司興業組長(愛知)以下、髙山若頭の服役中に直参昇格した面々が挨拶をしたらしいで」(前出・ベテラン記者)

 結束を固めた祝宴は、和やかに終了したと思われ、各直参は帰途に就いた。しかし、髙山若頭や執行部メンバーが引き揚げたのは、さらに1時間後だった。
「服役中も外でのことは耳に入っていたと思うが、直接の報告を受けて実態を把握するためにも、時間を費やしたのではないか。そこから今後の戦略を練るには、時間がかかるはずだ」(前出・業界ジャーナリスト)

 ところが、間髪いれず六代目山口組内に重要通達が出されたのである。
「敵対組織の組員との連絡を禁じ、引き抜きも行わないように、いう内容やったと聞くで。“帰参”を希望する組員から相談があった場合に限り、執行部に届け出ることが義務付けられたとも。これまで活発に切り崩し工作が展開されて、昨年8月には離脱者の受け入れ期限が定められたりしたが、方針の転換が図られたわけや。
 火種になりかねず無用な逮捕者を出さないための守りの姿勢なのか、逆に“喧嘩”をしていくからいう攻めの姿勢なのか、真意は分からんな」(関西の組織関係者)

 突然の方針転換について、ある消息筋はこう推察する。
「組員引き抜きの規模は、それぞれの組織によって異なるだろうから、六代目山口組傘下組織の勢力数に、差が出ることを防ぐためだったようにも思える。いずれにせよ、何か大きな動きに繋がることが予想され、髙山若頭の現場復帰によって六代目山口組、神戸山口組、任侠山口組(織田絆誠組長)の三つ巴抗争は新局面を迎えるはずだ」

 過去、髙山若頭は、直系組長の“大量処分”など大ナタを振るってきた。その原動力は、司六代目率いる山口組の結束を死守するためであったとみられる。
「今回の分裂劇は、髙山若頭の社会不在中に起きたことで、並々ならぬ思いを持っているだろう。すでに策を練って出所を迎えたのかもしれない」(同)

★稲川会会長が単身、名古屋に

 復帰直後に、その辣腕ぶりを見せた髙山若頭は、翌20日も名古屋市内で重要会合に臨んだ。関東から稲川会(清田次郎総裁=東京)の内堀和也会長が、出所祝いのため訪れたのである。

 ところが、最高幹部らと共に名古屋入りすると思われた内堀会長は、単身で名古屋駅に姿を現した。お付きの組員は数名いたが、いつもとは明らかに様子が異なっていた。
「稲川会としてではなく、個人的な祝いで訪問した可能性もある。もしくは、連日、名古屋駅に組織関係者たちが入れ替わり立ち替わり来ているから、大勢で駆け付けて六代目山口組側に迷惑を掛けることを避けたかったのではないか」(山口組ウオッチャー)

 この後も親戚団体による祝い訪問が予定されており、出所早々、髙山若頭は多忙を極めている。

 また、出所直前の10月15日には、六代目山口組の鈴木一彦舎弟(旭導会会長=北海道)が恐喝教唆の容疑で北海道警に逮捕されていた。鈴木舎弟には昨年3月、旭川市に住む30代の歯科医師から金を脅し取るよう組員らに指示、実行させたとの疑いが掛けられたが、逮捕のタイミングには当局の執拗さが感じられるという。

「この事件では、50代の歯科医師が旭導会本部に患者のカルテを送ったとして、横領の疑いで捜査が進められている。鈴木会長はそうした郵便物を把握できる立場にあり、このカルテを巡って、今回の被害者である30代の歯科医師をゆすろうとしたというのが警察の筋書きだ。鈴木会長が、そのカルテの存在を知っていたと決めつけている時点で違和感があるし、髙山若頭の祝いの席が近いことを知っていて仕掛けているのだから、単なる嫌がらせ捜査にしか思えない」(関東の組織関係者)

 さらに10月15日には、使用制限の標章が玄関ドアに貼られた弘道会の“神戸拠点”に対し、兵庫県警が家宅捜索を実施。容疑は山健組本部近くで起きた組員射殺事件に関連したもので、同事務所の捜索は事件後初めてだ。それだけに徹底した捜索が行われたようで、捜査員が引き揚げたのは着手から実に2時間後のことだった。この場所で弘道会系組員が銃撃される事件(8月21日)が発生して以降、赤色灯を点けた捜査車両が近くの路上で警戒に当たるなどしていたが、使用制限の仮命令が出されてからは静まり返っていた。

 だが、采配を振る髙山若頭が敵対組織に与える影響は大きいとみられ、分裂抗争の行方が危ぶまれている。

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