若頭補佐、幹部を増員 髙山若頭復帰から初の新人事

若頭補佐、幹部を増員 髙山若頭復帰から初の新人事

(提供:週刊実話)

髙山若頭が復帰することで、分裂終結に向けた動きを加速させるため、新たな体制固めが行われるものと予想されていた。実際、“第1弾”となる直参3人の昇格人事が発表されたのだ。

 六代目山口組への忠誠心の深さを評価した内容といえ、今後の組織内の結束強化にも影響を及ぼすものと思われた。特に、薄葉政嘉・十一代目平井一家総裁(愛知)が「幹部」から若頭補佐に昇格して執行部入りした背景には、分裂抗争に突入して以降、常に臨戦態勢を敷いてきたことが反映されていると思われた。

 昨年3月、兵庫県尼崎市の路上で神戸山口組の古川恵一幹部(兵庫尼崎)を平井一家系組幹部2人が襲撃。古川幹部が狙われた理由については、神戸山口組への移籍などが取り沙汰された。

 「古川幹部は山口組が分裂した年の12月に、神戸山口組に電撃移籍しとる。けどな、全国を激励訪問して回っとった竹内若頭補佐が古川組本部に来て、他の直参も一緒に古川幹部の関係先で食事をして団結を再確認した直後の移籍やったんや。六代目側としては苦々しく思うとったはずやで」(関西の組織関係者)

 さらに、一昨年1月には神戸山口組・正木組(正木年男組長)の最高幹部が長野県で襲われ、平井一家から逮捕者が出た。

 そうした活発な動きが影響したのか、今年9月には何者かによって平井一家本部に銃弾が撃ち込まれる事件が発生。こうした“代償”もさることながら、敵対組織と直接対峙し、複数の逮捕者を出してきたことは、平井一家の勢いを感じさせたのである。

 それは、野村孝若頭補佐(三代目一会会長=大阪北)が新たに大阪北ブロック長に就任した背景にも、同様のことがいえた。

 「平成28年の2月から3月に掛けて、一会は富山県で神戸山口組に移籍した組織と壮絶な対立を繰り広げたんや。自身の傘下から移籍が出たとあって、すぐさま“粛清”に動いたとみられた。今後はブロック内で判断することも増えるはずやから、そうした行動力のある組員を抱えていることが、ブロック長任命の決め手となったんやないか」(同)

 また、篠原重則・二代目若林組組長(香川)が、若中から「幹部」に昇格。篠原組長は長年にわたって慶弔委員を務め、慶弔副委員長を経て今年4月には慶弔委員長に就任した。事務局長と兼任しながら、組織に貢献してきたのだ。

 「墓参から法要、葬儀、祝宴など山口組のあらゆる行事の準備を、かなめ役としてこなしてきた。その仕事量は相当なものだったはず。それだけではなく事務局長も兼任してきたのだから、実直な姿勢が評価されたのだろう」(前出・山口組ウオッチャー)

 執行部とブロック長の顔触れも変化したことで、六代目山口組は新たな体制で分裂抗争に臨むことになった。こうした強化人事は、今後も続けられるとみられ、早くも業界内外では憶測が飛び交っている。

 「春の大型人事など節目の時期に行われてきたが、今後は散発的に新人事が発表される可能性がある。分裂終結に向けた体制固めには、士気向上と組織の引き締めが目的としてうかがえるため、これまで以上に意味深いものになるだろう」(同)

 さらに直近では、神戸山口組・池田組(池田孝志組長=岡山)で舎弟頭を務めていた山田一・三代目杉本組組長が、六代目山口組に“帰参”した。

 岡山県津山市に本拠を置く三代目杉本組は神戸側・二代目宅見組(入江禎組長=大阪中央)から脱退し、一時は独立組織として活動。その後、六代目側の二代目竹中組(安東美樹組長=兵庫姫路)に参画したが、今年1月に神戸側の池田組所属となった。

 「山田組長は結果として六代目山口組に戻ることになった背景には、何らかの事情があったように思える。そもそも処分状が出されたのは、宅見組から絶縁処分を受けたときだけで、竹中組からは出ていなかったことにも、違和感があったしな」(他団体幹部)

 髙山若頭の出所から、わずか2週間ほどで定例会中止によるブロック会議制や、新人事が打ち出されるなど、次々に動きをみせる六代目山口組。目指す先は分裂終結であるが、まだ作戦の全貌が見えない今は不気味さが感じられる。

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