六代目山口組 高山若頭が緊急上京! 有力組織親分衆との“密談280分”激撮

六代目山口組 高山若頭が緊急上京! 有力組織親分衆との“密談280分”激撮

(提供:週刊実話)

清崎幹部が刺傷される事件の3日前には、六代目山口組・髙山若頭が上京していた。11月15日、人波が途切れることのないJR品川駅構内で、“防弾鞄”を持った強面の組員らが待ち構える中、スーツ姿の集団が改札口に押し寄せた。

 中心にはサングラスを掛けた髙山若頭がおり、藤井英治若頭補佐(五代目國粹会会長=東京)や高木康男若頭補佐(六代目清水一家総長=静岡)、薄葉政嘉若頭補佐(十一代目平井一家総裁=愛知)、さらに三代目弘道会(竹内照明会長=同)直参らに取り囲まれて、階下の送迎車へと向かった。しかし、その動線に、1カ所だけ無防備にならざるを得ない場所があったのだ。

 「品川駅1階の駐車スペースと2階の改札までは、エスカレーターを使うのが最短距離だが、そこは1人分の幅しかなく上り下りが並列している。髙山若頭のサイドに警備組員が立てず、数メートルではあるが対向に隙ができてしまう。公共の場で事件が起きるのは考えづらいが、抗争が激化している最中だけに、何も起きないとは言い切れない状況だ」(山口組ウオッチャー)

 実際、一行がエスカレーターを下るタイミングで、対向からスーツ姿の男性が単独で上がってくると、捜査員が身を乗り出して警戒態勢をとった。薄葉若頭補佐らも目で安全確認を行い、1階に降り立つと、すぐさま髙山若頭の周囲を固めた。

 10月26日に稲川会(清田次郎総裁、内堀和也会長=東京)へ放免祝いの返礼を行っていたため、今回の突然の上京も各親戚団体への返礼が目的と思われたが、髙山若頭が真っ先に向かったのは意外な場所だった。品川駅到着から約20分後、多くの著名人が眠る寺院に髙山若頭の姿があり、車両から降り立つと、東声会(早野泰会長=東京)の慰霊碑の前に立ったのである。

 髙山若頭の収監中に亡くなった東声会・金海芳雄総裁が分骨されており、弔問できなかったため墓参したようだ。隣には東声会を結成した町井久之会長の墓石が並び、そこにも手を合わせた。さらに、近くにある稲川会・石井隆匡二代目の墓所へも足を運び、冥福を祈ったのだ。

 東声会の町井会長は三代目山口組・田岡一雄組長から兄弟盃を受け、稲川会の石井二代目は三代目山口組・山本健一若頭と兄弟盃を交わした歴史がある。墓前に向かう際にはコルセットを取って寒い中でコートを脱ぐなど、故人への畏敬の念が伝わってきた。その後、東声会本部を訪れて出迎えた早野会長と対面し、15分ほど滞在したのである。

 次に髙山若頭が向かったのは、東声会本部から約10キロ離れた住吉会(関功会長=東京)傘下の武蔵屋一家だった。到着前には関会長が建物内に入っており、中で30分ほど“会談”。見送りには関会長をはじめ柴崎靖忠理事長、永井實総務長、小林忠紘組織統括長らが現れ、穏やかな様子で別れの挨拶を行った。反面、警備につく組員らは常に周囲をうかがいながら、髙山若頭の姿が見えないほどの厳重な警戒を敷き、抗争中だという生々しい現実を感じさせたのである。

 さらに、武蔵屋一家をあとにした髙山若頭は、続けて松葉会(東京)の伊藤芳将会長と2時間にわたって会食したという。

 翌日の午前10時半すぎ、今度は双愛会(千葉)本部を訪れ、椎塚宣会長と顔を合わせた。25分ほどで退出したのだが、午後1時すぎには、稲川会傘下の山川一家に姿を現したのだ。

 ここでは1時間半ほど滞在し、清田総裁は出迎えと見送りの際も笑みを絶やさず、両者に親しげな様子がうかがえたのだった。

 「かつて稲川会では、跡目を巡る問題によって分派した時期があった。その“苦境”を乗り越えた清田総裁だからこそ、話せる内容もあったのだろう」(同)

 関東有力組織への訪問はようやく終了し、当代らとの“密談”は合計280分にも及んだ。分裂終結に全力を注ぐ髙山若頭は、いったい何を語ったのか。

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