極心連合会 橋本統括委員長引退の衝撃

極心連合会 橋本統括委員長引退の衝撃

(提供:週刊実話)

昇格や中核組織である弘道会の刷新人事など、立て続けに体制固めを進める六代目山口組で、11月13日、橋本弘文統括委員長(極心連合会会長=東大阪)の引退が発表されたという。六代目山口組ナンバー4で実質的な“若頭代行”を務めていただけに、衝撃をもって業界内に広まった。

 「髙山若頭の留守中に分裂問題が起きたことで、その責任を取ったんやないかいう情報も出とったけど、真偽は不明や。橋本統括委員長は山健組元最高幹部やった植野雄仁・二代目兼一会会長(大阪中央)を極心連合会傘下に引き入れとるし、その植野会長は11月5日に六代目山口組直参に昇格した。橋本統括委員長が果たした役目は大きいやろ。髙山若頭が戻ったことで、自身は身を引き、長年の極道人生にひと区切りつけたんやないか」(ベテラン記者)

 発表の直前には髙山若頭が東大阪に出向き、橋本統括委員長と話したという。自身の本拠地である名古屋ではなく東大阪で会った背景には、慰労の気持ちがあったからだと思われる。

 「もともと2人は同時期に直参昇格した“同期”やし、その前からも関係は深かったはずや。橋本統括委員長から引退についての意向を聞き、決心が揺るがないことを確認したんやろな」(同)

 橋本統括委員長は昭和51年に初代山健組(山本健一組長)に加入し、「山一抗争」では報復戦で戦果を挙げた武闘派だ。渡辺芳則組長率いる二代目山健組で若頭補佐、若頭代行を務め、平成9年に三代目山健組・桑田兼吉組長が銃刀法違反事件で逮捕されると、トップ不在となった山健組を牽引。平成15年には組長代行に就任し、平成17年、満を持して山口組直参に昇格した。その2カ月後には、若頭補佐に抜擢されて執行部入りを果たしている。平成24年、新設された統括委員長に就き、山口組分裂の平成27年には舎弟に直ったが、執行部の中枢を担ってきた。

 また分裂以降、山口組の機関紙『山口組新報』の巻頭で、二度にわたって寄稿文を掲載。平成27年11月(第8号)には分裂への怒りを滲ませながらも組織の将来を見据え、こう綴った。

 〈山口組は家族です。処分された者の若者に責任など何一つありません。軽挙妄動は慎み組員の皆様で兄弟分・知り合い等あらゆる縁を以って彼らに説明し、家に帰るよう説得してほしいと思います〉

 今年7月(第19号)には自身の極道人生に触れ、〈昭和・平成・令和と時代が流れたその中で、菱の代紋のもと約半世紀をヤクザとして生かせてもらい本当に果報者だと思っている。私が人間である以上必ず来るべき時が来る、その時には『我がヤクザ人生に悔いなし』との想いを胸に来るべき時を迎えたいと考えている〉との言葉を寄せていた。そのため今回の引退には、強い決意と山口組への深い思いがうかがえたのだ。

 一方、11月15日には兵庫、大阪、愛知、岐阜4府県の公安委員会が、六代目山口組総本部や神戸山口組本部など計16カ所の使用を制限する本命令を出した。使用制限期間は令和2年2月14日までだが、抗争状態が解消されない限り、3カ月ごとに延長される見通しだ。

 特定抗争指定の可能性も囁かれる中、両山口組の対立は激化の一途をたどり、予断を許さぬ状況となった。

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