山口組六代目 共政会 24年ぶり「兄弟盃」の真意

山口組六代目 共政会 24年ぶり「兄弟盃」の真意

(提供:週刊実話)

乗客で賑わう日曜のJR岡山駅は、早朝から異様な雰囲気に包まれていた。明らかに観光客ではないスーツ姿の屈強な男たちが構内を埋め尽くし、鋭い視線を放つ。防弾チョッキを着用し、左腕には「警察」「捜査」と書かれた腕章をつけ、陣取っていた。機動隊も出動し、地元の岡山県警だけでなく、警視庁、兵庫、広島、愛知、福岡などの県警捜査員も駆け付け、動きを注視していたのである。

 2月16日、六代目山口組(司忍組長)の安東美樹若頭補佐(二代目竹中組組長=兵庫姫路)と、六代目共政会・荒瀬進会長(広島)が兄弟分となる縁組盃儀式が執り行われ、岡山県警は警察官250人を動員して厳戒態勢を敷いた。神戸山口組(井上邦雄組長)との対立が激化する中、岡山市内にある六代目山口組直系組織・二代目大石組(井上茂樹組長)本部で挙行されることになったからだ。

 山口組分裂直後の平成28年5月、岡山では神戸山口組傘下池田組(池田孝志組長=岡山)の若頭が三代目弘道会(竹内照明会長=愛知)のヒットマンによって、射殺される事件が起きていた。しかも、大石組は池田組からわずか1キロの距離に位置し、そこに六代目山口組の“指揮官”である髙山清司若頭が入るとあって、衝突が懸念されたのだ。

 髙山若頭の出所後、六代目山口組で昇格人事など体制固めが行われる一方、神戸山口組直参を狙った事件が続発。直近では、三重県桑名市にある髙山若頭の自宅に中野会(解散)に所属した元組員が銃弾を撃ち込む事件も発生。中野会の出身母体は山健組だったため、疑惑を呼んだ。

 三重県警は組織的な犯行との疑いを強めていたようで、事件自体、神戸山口組による徹底抗戦の構えを示したものとも考えられた。この事件の直後、六代目山口組は公共の場での暴力沙汰や、組事務所への発砲を禁止するなどの緊急通達を出したが、一部関係者の間では内容の真意について憶測が囁かれたほどだった。

「双方に“報復の理由”がある状態で、組員たちの怒りもピークに達しとるはずや。髙山若頭の岡山入りに警察が神経尖らせるのも当然やろ」(関西の組織関係者)

 それを察してか、盃当日に入ると思われていた髙山若頭は、薄葉政嘉若頭補佐(十一代目平井一家総裁=愛知)と共に、前日ひそかに岡山へ到着していた。しかし、当日は六代目山口組の執行部メンバーが新幹線や車両で岡山に入っており、バッティングの危険性があることに変わりはなかった。

 緊張が漂う中、大石組にはこの日の主役である共政会・荒瀬会長と六代目山口組・安東若頭補佐が到着。続いて、取持人の合田一家・末広誠総長(山口下関)と最高幹部らが姿を現し、列席者全員が揃った。

 三代目福博会(長岡寅夫会長=福岡)・坂元常雄組織委員長の媒酌のもと、儀式は午前10時前に幕を開け、髙山若頭は後見人である司六代目の名代として列席。双方の最高幹部が見届け人として名を連ねたという。

 大石組周辺では、本部に通じるすべての道路に警察官が配置され、車止めを設置して検問を実施。報道陣への身分確認と所持品検査も行われた。岡山県警本部長が視察に訪れたほどで、県警を挙げて両山口組の衝突回避に動いたようだ。

 異様な緊迫感とは裏腹に、儀式の終了後、コンパニオンを乗せた車両が大石組に横付けされ、本部内で祝宴がスタート。1時間ほどで終了すると、末広総長らの見送りに出た髙山若頭の顔には笑みが浮かんでいた。

「友好団体との兄弟盃は平成19年9月に二代目親和会・𠮷良博文会長(香川)と、当時の山口組幹部が交わして以来、久々や。もちろん、神戸山口組との対立が始まってからは初。共政会との縁組盃は24年ぶりになるし、ヤクザ業界の“平和共存路線”をより強めたわけやな」(ベテラン記者)

 歴史を振り返ると、山口組が共政会と親密な関係を築いたのは、渡辺芳則五代目時代だった。

 平成2年1月、山口組舎弟の初代誠友会・石間春夫総長が北海道札幌市で三代目共政会系右翼団体構成員に射殺される事件が発生。山口組の報復が相次ぎ全面戦争が危惧されたが、3月に和解が成立。その席上、双方幹部の縁組の話が浮上し、2カ月後に共政会・沖本勲理事長と桑田兼吉・三代目山健組組長が五分の兄弟盃を交わした。後見人を渡辺五代目、取持人を宅見勝若頭、特別検分役を中西一男最高顧問、共政会・藪内威佐男副会長が務めた。

 さらに平成8年2月には、共政会四代目を襲名していた沖本会長と、山口組若頭補佐に昇格していた桑田組長、四代目会津小鉄(京都)の図越利次若頭(のちの五代目会津小鉄会会長)の3人が、お互いに五分の兄弟盃を交わす「三兄弟盃」が執り行われ、以後も共政会と関係強化が図られたのだ。

 今回の兄弟盃についても同様のことがいえるが、山口組分裂抗争が激化しているだけに、まったく違った見解を示す関係者もいる。

「共政会との兄弟盃である上、取持人に合田一家総長が就いた。つまり、六代目側寄りの山陽道組織を固めた格好だ。しかも、特定抗争指定で主要本部が使えないとはいえ、わざわざ池田組も本拠を構える岡山で挙行した。神戸山口組への牽制とみている」(他団体幹部)

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