“謎の放送事故”の真実〜殺人放送事故

“謎の放送事故”の真実〜殺人放送事故

(提供:週刊実話)

◎「村井秀夫刺殺事件」

 1995年に起きた地下鉄サリン事件、その首謀組織であった新興宗教団体のオウム真理教に全国民の注目が集まっている中、教団幹部の村井秀夫刺殺事件が発生した。殺害直後、同教団幹部の上祐史浩が「村井は死ぬ直前に『ユダにやられた』という言葉を残していた」と発言していたことも手伝い、教団による自作自演、口封じのための殺害事件だったと推測された。地下鉄サリン事件の指揮を村井が担っていたという事実、また、オウム真理教が覚醒剤流通に手を染めていたという疑惑(その担当者も村井であったと言われる)、さらに、現在も宗教団体・光の輪を運営する上祐が、初期段階で事件の背後にある勢力の存在をほのめかしていることが、その自作自演説を色濃く匂わせた。しかし、出所してきた実行犯・徐裕行の言葉によると、個人の社会正義的な感情による犯行だったというのが真相のようだ。徐はまた、殺害現場にいた報道機関や警察に至るまで、自らの殺意を見抜いた上で放置されていたようだったと振り返っている。

◎「浅沼稲次郎暗殺事件」

 1960年、当時17歳の山口二矢が、社会党の浅村稲次郎書記長を刺殺した浅沼稲次郎暗殺事件。自民、社会、民主の三党による公開演説で、その日の日比谷公会堂は2500人もの聴衆で埋め尽くされており、ラジオ中継、テレビ中継も用意されていた。事件発生当時はラジオでは生中継、テレビは緊急生中継に切り替わり、国民の多くがその日本放送史上に残る殺人劇を目の当たりにした。ちなみに犯人の山口は犯行翌月に、収監中の東京少年鑑別所で「七生報国 天皇陛下万才」(原文ママ)という文字を歯磨き粉で壁に記し、首吊り自殺している。

◎「豊田商事会長刺殺事件」

 1985年、当時、現物まがい商法で社会的批難を浴びていた豊田商事の会長・永野一男が、自宅で刺殺された。逮捕直前の自宅には多くのマスコミが駆けつけており、突然その輪に入ってきた自称右翼の男2人組(矢野正計、飯田篤郎)は、報道陣に「人からぶっ殺してくれって頼まれてきた」と言い残し、窓を割って侵入後、すぐさま永野を殺害。血まみれで「警察を呼べ、俺が犯人や」とうそぶいた。そして、この一部始終はワイドショーで生中継されていた。予告後の犯行だけに、後日その報道姿勢が問われることとなったが、それにしてもガードマンが3人いての話だというから、永野が生き残る術は皆無だったのだろう。

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