世の中おかしな事だらけ 三橋貴明の『マスコミに騙されるな!』 第372回 全ての国民を守る

筆者は、中国武漢発祥の新型コロナウイルス感染症パンデミックを受け、繰り返し、
「全ての国民を例外なく守らなければならない」
「全ての地域を例外なく救わなければならない」
「全ての企業を例外なく助けなければならない」
 と、訴えてきたわけだが、別に綺麗ごとを言っているわけではない。国民国家として「当然」であり、かつ日本国には可能であるためだ。

 日本国民の「権利」は、別に神様が与えてくれた恩恵ではない。人間には、生まれながらに保有している権利などない。

 権利とは、あくまで我々が共同体に所属し、「認めてもらっている」からこそ存在している。

「日本国民の基本的人権は、侵すことができない永久の権利として、日本国憲法により保障されている」

 と、反発したくなった人がいるだろうが、まさしく日本国民の基本的人権は「日本国」という共同体のルール(憲法)により「認めてもらっている」のだ。

 分かりやすい例を出すと、ダニエル・デフォーの名作『ロビンソン・クルーソー』である。カリブ海の無人島に漂着したロビンソンには、一切の権利がない。権利を認めてくれる共同体が「無人島」には存在しないのだ。

 国民国家の国民は、国家が認めているからこそ、諸権利を保有している。だからこそ、我々は「他の国民の権利」をも、自らの権利と同じように守らなければならない。

 疫病と恐慌により、多くの国民が苦しんでいる状況で、
「政府は全ての国民を守れない。優先順位をつける必要がある」

「公務員や高所得者、生活保護受給者は、現金給付を受け取るべきではない」

 といった「国民選別論」は、国民国家を破壊し、我々の権利を侵害する考え方だ。非常事態発生時に国民を選別するとなると、「次の選別時」に我々や家族が「選別から外れる」可能性が生じることになる。

 他人の権利が侵されるのを放置しておきながら、「自分の権利だけは未来永劫、守られる」などという、甘い話はないのである。

 第一次補正予算で決まった、一人当たり10万円の現金給付は、全ての国民が受け取るべきだ。その上で、余裕がある国民は、速やかに消費として支出すればいい。誰かが消費におカネを使えば、別の誰かに所得が生まれるからだ。

 あるいは、安倍政権は全国に緊急事態宣言を発令したにもかかわらず、対策費用を事実上、各地方に丸投げした。(第二次補正予算で、ようやく地方交付税の臨時交付金が決まったが)となると、財政的に余裕がある自治体のみが、住民を救えるという話になってしまう。

 日本国は、自然災害大国なのだ。例えば、大震災が発生した際に、被災者となった「我々」を、誰が救ってくれるだろうか。外国ではない。別の地域に住む、同じ日本国民だ。

 災害列島に住む以上、我々は可能な限り分散して暮らし、それぞれの地域で経済を発展させなければならない。具体的には、財やサービスの生産能力を蓄積するのだ。

 いずこかの地域で大災害が発生した際には、過去に積み上げた経済力を用い、別の地域の国民が助けるのだ。「困ったときは、お互い様」という国民意識(ナショナリズム)なしで、我々はこの日本列島で生き延びることはできない。

 また、コロナ禍と第二次世界恐慌を受け、さまざまな業態の企業が苦境に陥っているが、これは「自己責任」とやらなのか。

 無論、高度成長期であっても、経営破綻した企業は存在した。その種の企業までをも「例外なく助けなければならない」と言いたいわけではない。とはいえ、疫病蔓延で政府が(事実上の)経済活動の停止を要求し、結果的に苦境に陥った企業が倒産するのが「自己責任」なのだろうか。そんなはずがないのである。

 そして、いかなる事情があろうとも、企業が倒産すると、国民経済の虎の子である「経済力(財・サービスの生産能力)」が消滅する。となると、コロナ危機が終息したとしても、経済の「V字回復」など絶対に不可能である。何しろ需要は政府が貨幣を発行すれば、いくらでも創出できるが、供給能力は「投資の蓄積」によってしか高まらない。

 投資の蓄積には時間がかかるが、供給能力の消滅は一瞬だ。企業が倒産し、人材が離散してしまえば、それまでなのである。そして、一度、消滅した供給能力を再び同じ水準に引き上げるのは至難の業だ。

 というわけで、日本政府は「全ての国民、全ての地域、全ての企業」を守らなければならないのだが、その際には必ず「余裕がある国民や地方まで救うのか。ゾンビ企業を生き長らえさせるのか。新陳代謝が必要だ」といった、鬱陶しい議論がでてくる。だが、今は非常時なのである。

 この非常時に「ここまでは余裕がある国民。ここから先だけ救おう」などと、神学論争を繰り広げてどうするのか。「余裕があるか、否か」といった抽象的な議論をしたところで、結論が出るはずがない。

 全ての国民、全ての地域、全ての企業を例外なく救う。これでいいのである。

 が、それでも国民選別論や地方放置論、企業の新陳代謝論、そして「自己責任論」が収まることはないだろう。その理由は実に単純で、多くの国民が「日本は国の借金で財政破綻する」と、嘘の財政破綻論を信じ込み、それをベースに思考するためだ。

 変動為替相場制の独自通貨国(例:日本)が、財政破綻する可能性はゼロである。何しろ、日本円建ての国債など、日本銀行が買い取ってしまえば返済負担は消滅する。無論、政府の国債発行(貨幣発行)で需要が過大になり、インフレ率が急騰していくならば話は別だが、現在の日本は「超デフレーション」たる恐慌の最中なのだ。

 我が国に財政問題などない。と、理解すると、筆者の言う「全ての国民、地域、企業を救う」ことが、実のところ難しくないことが理解できるはずだ。単に、政府が国債を発行し、必要な支出をすれば済むのである。

 我が国を破壊してきた「自己責任論」の後ろに、「財政破綻論」があるという事実を知ってほしい。

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みつはし たかあき(経済評論家・作家)
1969年、熊本県生まれ。外資系企業を経て、中小企業診断士として独立。現在、気鋭の経済評論家として、分かりやすい経済評論が人気を集めている。

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