九州唯一の六代目山口組親戚団体・福博会14年ぶりの代替わり

九州唯一の六代目山口組親戚団体・福博会14年ぶりの代替わり

(提供:週刊実話)

髙山若頭が都内に姿を現した同日、福岡県には竹内照明若頭補佐の姿があった。六代目山口組の親戚団体である福博会(福岡)が14年ぶりとなる代替わりを迎え、三代目の長岡寅夫会長が勇退するに当たって、金城國泰理事長が跡目を継承。大安吉日の6月5日、盃儀式が執り行われ、六代目山口組から最高幹部らが列席したのである。

 福博会本部は県庁や県警本部、九州大学といった行政や文教施設が林立する福岡市博多区内の一角にあり、早朝から最高幹部や組員が続々と集まっていた。

「福岡に本拠を構える暴対法指定団体のトップ交代とあって、新聞社や報道陣が来とった。岡山で銃撃事件があったから、捜査員や福博会組員が報道関係者らの身元を確認して、怪しい人物が紛れとらんか警戒しとったで」(ベテラン記者)

 本部前には福岡県警や警視庁、兵庫県警などの捜査員約20人が居並び、周囲を警戒。午前9時すぎに、六代目山口組・九州ブロック長の青山千尋舎弟頭(二代目伊豆組組長=福岡)が到着した。10時半前には、JR博多駅に着いた新幹線で、竹内若頭補佐がお付きの組員2人と共に九州入りし、出迎えた弘道会系組長らと送迎車に分乗。福博会本部へと向かったのである。

 その頃、本部玄関先に、この日の主役である金城会長が紋付羽織袴で最高幹部らと姿を現し、出迎えの態勢を整えていた。しばらくして送迎車が滑り込み、背広姿の竹内若頭補佐が降り立つと、金城会長らが式場に案内。これで列席者全員が式場入りし、午前11時から代目継承の盃儀式が始まったのだった。

「後見人」を髙山若頭が務め、名代として竹内若頭補佐が列席。「取持人」を青山舎弟頭が務め、福博会最高幹部らが「見届人」などに名を連ねたという。儀式は、福博会幹部の媒酌により進められ、約40分で終了。新たな当代が誕生したのだ。

 その後、正午ごろから祝宴が開かれ、午後1時には金城会長や最高幹部らに見送られて竹内若頭補佐が式場をあとにした。午後2時前には祝宴が終了し、残っていた青山舎弟頭も帰途に就いたのである。

 福博会は福岡市に本拠を構え続ける独立組織で、平成12年2月に暴対法指定を受けた。福岡市の独立組織が大同団結し、昭和60年に発足された親睦団体「福博睦会」が源流で、全国でヤクザ業界の再編が急速に進んだ平成2年8月には、より強固な結束のもと、代紋を統一した連合組織「福博連合」を結成。これが福博会の前身なのだ。

 地元の独立組織8団体が結集した九州屈指の大組織が誕生したが、平成4年には発展的に解消し、二代目梅津会・梅津明会長を当代とする「福博会」へと組織再編が行われた。連合体組織ではなく、名実共に一本独鈷のヤクザ組織として勢力を張るに至った。

 さらに、翌5年6月には梅津会長が五代目山口組・渡辺芳則組長と舎弟盃を交わして、渡辺五代目の“代紋違いの舎弟”となり、山口組と親戚関係を結んだ。しかし、平成9年9月、梅津初代が病死。跡目を巡って内部対立が起きたが、翌年4月に太住会・和田将志郎会長が二代目を継承。渡辺五代目が後見人となった。

 平成17年に山口組が六代目体制へと移行すると、司六代目が後見するようになり、翌18年4月には和田二代目が総裁に就任(のちに引退)。会長代行だった長岡会長が三代目を継承し、髙山若頭が後見することで、六代目山口組との関係強化が図られたのだ。

 福博会は九州地区で唯一となる六代目山口組の親戚団体であり、夏と暮れには時候の挨拶のため毎年、神戸にある総本部を訪問。山口組が分裂して以降も、六代目側とは変わらず緊密な関係が続いている。

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