韓国・文在寅大統領に教えたい「従軍慰安婦の真実」〜その3〜

(その2からの続き)


従軍慰安婦に対する賠償を日本政府に求めた初の裁判は、2004年に最高裁で原告の敗訴が確定している。その原告のなかに金学順(キム・ハクスン)さん、文玉珠(ムン・オクチュ)さんがいた。韓国の人々は、金、文両ハルモニの“慰安婦稼業”後を知れば、目を剥くに違いない。


文ハルモニの訴訟では、3年間の慰安婦時代に貯金した計2万5145円の返還要求を日本に起こしているが、当時の2万円は、別の慰安婦の体験記によると「千円もあれば故郷の大邱に小さな家が一軒買えた」という。


つまり文ハルモニはたった3年のあいだに、韓国の大邱で25軒の大家になれる大金を手にしていたことになる。そもそも強制連行されたセックス・スレイブが、これだけの貯金をしたという事実は、日本の裁判所を納得させるものではなかった。


それに加え、金ハルモニの供述は証言のたびに設定が変わった。連行された時期は1939年だったり1941年になったり、あるいは《200〜300人の部隊がいる「中国南部」の慰安所に連れて行かれた》とUレポートには書かれていたが、その直後の顔出し会見では《検番の養父に連れられて行った所が「華北」の日本軍300名余の部隊だった》(1991年8月15日付ハンギョレ新聞)に変わったり…。あまりのデタラメぶりに歴史家の秦郁彦氏は調査意欲を失い、担当弁護士も頭を抱えたほどである


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大金を元手に貸金業

ここで言われた“中国南部”と“華北”とではイタリアとノルウェーくらいの距離と気候の違いがある。証言する元慰安婦が地域と時期を特定すれば、そこに旧日本軍の何部隊が展開していたか記録からさかのぼることができるのだが、訴訟団は正体がばれるのを隠すために、あえてそうさせたのだろう。


金ハルモニの訴状には《趙元讃(救出者=アヘンの売人)に付いて南京、蘇州そして上海へ逃げた。上海でふたりは夫婦となり、フランス租界(中国内の外国人居留地)のなかで中国人相手の質屋をしながら身を隠し、解放の時まで生活をした》との証言がある。


当時から上海はアジア有数の大都市で、なかでもフランス租界はニューヨークやパリのような中心地。金ハルモニはそこで、相当な手持ちの資金を必要する貸金業をオープンしていたというのだ。「慰安所を脱走した」と証言してから約2年後のことになる。


“かわいそうな慰安婦”にしては、金ハルモニは“大根過ぎる”と心配の声が聞かれたゆえんだ。


(その4へ続く)


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