「顔を出して闘う 差別ない社会を」北三郎さん、16日に初の本人尋問 強制不妊手術訴訟 

「顔を出して闘う 差別ない社会を」北三郎さん、16日に初の本人尋問 強制不妊手術訴訟 

裁判の手話通訳を見て昨年末から手話の勉強を始めた北三郎さん。「少しでも聴覚障害の人と話せるようになりたい」=横浜市神奈川区で2020年1月11日、上東麻子撮影

 全国の障害者らに不妊手術を強いた旧優生保護法(1948〜96年)を巡る国家賠償請求訴訟で、東京地裁に提訴した北三郎の名で被害を訴える男性(76)=東京都=が16日、初の本人尋問に臨む。1年半前の提訴時は顔と実名を伏せたが、裁判の途中から顔を出して闘う決意をした。「国の責任をはっきりさせることが、差別のない社会の実現につながります」。公開の法廷で訴える。【上東麻子】

 1月8日、雨天の横浜地裁。2016年7月に相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」の利用者19人が殺害された事件で起訴された植松聖被告(29)の初公判前、傍聴席を求める約2000人の列に北さんの姿があった。

 「事件被害者に強制不妊の被害者がいたかもしれない」。自らの裁判の支援者にそう聞いたのは昨年の夏ごろだった。確かめることはできなかったが、一部地域で福祉施設の入所者に手術が推進された時代があった。「命を奪われた人の中に自分と同じ苦しみを抱えた人がいたのでは」。居ても立ってもいられなくなった。

 植松被告は捜査の中で「障害者は価値がない」と殺害の動機を語った。事件を予告した衆院議長への手紙には「日本国と世界のため」と書いていた。それは、「不良な子孫の出生を防ぐため」「公益上必要であると認めるとき」に不妊手術を強制できると法文に明記した旧法の思想と同じだった。

 「被告の言葉は『優生手術』と呼ばれた強制手術と似ている、と感じます。今、国を動かす人が同じ考えだったら? そう思うと、背筋がぞっとします」

 傍聴券は当たらなかったが、裁判を伝えるニュースに聴き入った。心がざわついたのは、裁判所が被害者を「甲A」「乙B」などの記号で呼んだことだった。18年5月の提訴当初は顔を伏せた経験から、旧法下の時代に社会に根づいた差別や偏見が、法律がなくなった今も続いていると改めて感じた。

 「私も妻が生きている時は手術のことを告白できませんでした。だから、その気持ちは痛いほどよくわかるんです。問題は、強制不妊を進めた国の責任があいまいにされたから、差別や偏見が残っているということではないでしょうか」

 顔を出して活動を始めたことで、これまで隠し続けてきた事実を亡き妻の姉妹に告げることができ、胸のつかえが消えた。義姉たちは驚きながらも、事実を受け止め、裁判を支えてくれている。

 昨年4月、強制不妊手術の被害者に一時金320万円を支給する救済法が成立した。法律には「おわび」が明記されたが、その主体は「我々」とあいまいにされた。厚生労働省の第三者審査機関で一時金支給が認められた337人(昨年12月現在)は、国が把握する被害者数の1%強だ。

 「一時金が支給されても、差別や偏見がなくなるわけではありません。国のせいで狂わされた人生に対し、国は責任を認めて謝罪してほしい。今なお差別を恐れて被害を言い出せない人や、孤独な闘いをしている人がいます。裁判所は、私たちの声をしっかりと受け止めてほしい」

北三郎さん

 中学2年だった1957年、仙台市の児童自立支援施設(当時の教護院)に入所中、何も知らされないまま不妊手術された。結婚後、40年連れ添った妻に手術を告白したのは、2013年5月に病死する直前だった。18年1月の報道で国策手術だったことを知り、「個人の尊厳」などを保障する憲法に反するとして提訴したのは五周忌の月。不妊手術被害者と家族でつくる「優生手術被害者・家族の会」共同代表。8地裁に提訴した24人の中には聴覚障害者も多く、昨年末から手話を学ぶ。

関連記事(外部サイト)