「復興の火」三鉄でお披露目 オリンピック「前を向こうとする人たちに元気を」 岩手・釜石

「復興の火」三鉄でお披露目 オリンピック「前を向こうとする人たちに元気を」 岩手・釜石

釜石駅前で「復興の火」として展示される東京オリンピックの聖火のランタンを見つめる三上雅弘さん=岩手県釜石市で2020年3月22日午後0時2分、和田大典撮影

 東京オリンピックの聖火は22日、東日本大震災の被災を乗り越えた復興の象徴・三陸鉄道で運ばれながら、岩手県沿岸の人たちにお披露目された。釜石駅で待っていた三上雅弘さん(56)は震災後、トライアスロン大会を地元の後押しで再開。スポーツには人を励ます力があることを知っている。「前を向こうとする人たちに、五輪が元気を与えてくれたら」。鉄の街から復興の火を見守った。【日向米華】

 釜石港近くで生まれ、県立釜石南高(現釜石高)ではラグビー部に入部した。ちょうど社会人ラグビー「新日鉄釜石」の日本選手権7連覇が始まった頃。スポーツで街が盛り上がる姿を間近に見て憧れたのがきっかけだった。三陸鉄道の開業が5年後に控えていた。 卒業後は、実家の時計店を継ぐために上京して修業した。26歳で故郷に戻ると、新日鉄釜石の高炉の火は消え、街は寂しくなっていた。そんな時、水泳、自転車、長距離走を続けて行う鉄人レース「釜石はまゆりトライアスロン国際大会」に出合う。ラグビー部時代の先輩に「運営を手伝って」と頼まれ、ためらいながら応じたが、釜石のきらめく海を泳ぎ、力を振り絞って走る姿に魅せられた。仕事の合間に練習し、33歳で初参加。4年後には事務局長を引き継いだ。

 あの震災で、釜石市内では1000人以上が犠牲になった。自身は高台に避難して無事だったが多くの知人を亡くし、自宅と店は全壊した。

 数カ月たってもがれきが残る街で、「大会どころではない」とぼうぜんとしていた頃。仲間と海岸を清掃していると、崩れた家の壁に油性ペンで書かれた文字が見えた。

 「いつの日かこの地で、必ずトライアスロンをやろう」

 過去の参加者が書いたことを、後に知った。ボランティアで支えてくれた地元の町内会からも「復興のためにやってくれ」と背中を押された。「スポーツで頑張る姿は、みんなに元気を与える」。3年後、3種目そろっての再開にこぎ着けた。 2018年に自宅を再建。店の再開はあきらめ、同じ鉄の街として釜石市を支援する北九州市の任期付き職員として、仮設住宅を巡る。「9年たっても仮設で暮らす人がいる」。復興はまだ途上だと感じる。

 それでも、19年3月に不通区間が開通し、8年ぶりに沿岸が三鉄でつながった。半年後の台風19号で再び寸断されたが、今月20日に復旧したばかりだ。「津波にも台風にもくじけない姿は被災地の象徴。復興の火を運ぶのにふさわしい」。三鉄から降ろされた聖火に笑顔でうなずいた。

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