信楽高原鉄道事故から28年 遺族ら結成「鉄道安全推進会議」が活動に終止符

信楽高原鉄道事故から28年 遺族ら結成「鉄道安全推進会議」が活動に終止符

山崎正夫・JR西日本社長(当時)に抗議文を手渡す吉崎俊三さん(右端)=滋賀県甲賀市信楽町黄瀬で2007年5月14日、蒔田備憲撮影

 1991年5月に起きた信楽高原鉄道事故の遺族らが結成した市民団体「鉄道安全推進会議」(TASK)が6月、活動に終止符を打つ。国や鉄道会社に対して四半世紀以上、事故調査と被害者支援の重要性を訴え続けてきた。事故現場近くでは今月14日、追悼法要が営まれる。TASKの一員としては最後の参列となる下村誠治共同代表(60)は「団体はなくなっても、安全・安心な社会の実現を訴え続けていきたい」と語る。【土居和弘】

情報開示求め、国を動かす

 TASKは滋賀県甲賀市(旧信楽町)で信楽高原鉄道とJR西日本の列車が正面衝突し、42人が死亡した事故の遺族らが93年に結成した。事故に関する旧運輸省の報告書はわずか12ページ。被害者への情報提供すらない。「遺族や被害者の気持ちはないがしろにされていた」とTASK事務局長の佐藤健宗弁護士は、当時を振り返る。

 設立趣意書には、「奪われた命はかえってくるものではないが、事故の悲惨な犠牲を将来にいかすことはできる」とうたわれた。国内にはなかった鉄道事故の専門調査機関の設置を訴え続け、国土交通省内には2001年、航空・鉄道事故調査委員会(現運輸安全委員会)が誕生した。

 しかし、信楽事故の当事者だったJR西は05年、乗客と運転士計107人が死亡する福知山線脱線事故を起こした。「信楽事故の原因を究明し、教訓にできていたら脱線事故は起きなかったのではないか」。佐藤弁護士は、脱線事故の遺族らでつくる「4・25ネットワーク」にアドバイザーとして参加。一方でTASKは日航ジャンボ機墜落事故(85年)や、兵庫県明石市歩道橋事故(01年)の遺族らとも連携し、国に情報開示の拡充や被害者支援の充実などを求めた。下村共同代表も歩道橋事故の遺族の一人。「TASKがあったからこそ、国内の大規模事故の遺族らの連携が生まれた」と指摘する。

 国交省は12年に公共交通事故被害者支援室を設置。「犠牲を将来にいかす」という、TASKの思いは確実に社会を変えていった。ただ初代会長の臼井和男さんが05年、2代目会長の吉崎俊三さんが昨年死去。中心メンバーも高齢化が進み、6月23日に大阪市で開く総会を最後に解散することを決めた。

 今年4月に開かれたTASKの活動を振り返る会合の中で、ノンフィクション作家の柳田邦男さんは「遺族らがたゆみなく訴え続け、具体的な提言をしていけば実現できることがあると示した。日本の安全文化を変えた」と評価した。下村さんは「メンバーは皆、事故が二度と起きないようにと強く願っていた。その遺志を今後も訴えていく」と話した。

  ◇信楽高原鉄道事故

 1991年5月14日、滋賀県甲賀市(旧信楽町)の信楽高原鉄道(単線)で、高原鉄道の普通列車とJR西日本の快速列車が正面衝突。42人が死亡、600人以上が負傷した。大津地裁は2000年、業務上過失致死傷罪などに問われた高原鉄道社員ら3人に執行猶予付き禁錮刑を言い渡し、確定した。JR側は刑事訴追されなかったが、遺族が起こした民事訴訟で大阪高裁が02年に過失を認定した。

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