防空監視哨から五輪マークの茶わん 1940年「幻の東京五輪」記念か 愛媛

防空監視哨から五輪マークの茶わん 1940年「幻の東京五輪」記念か 愛媛

三机防空監視哨の遺構で見つかった茶わん。大人用とみられる=愛媛県伊方町二見で2019年6月6日、松倉展人撮影

 桜の花柄に五輪マークが描かれた茶わんが四国最西端の愛媛・佐田岬半島にある戦時中の「三机(みつくえ)防空監視哨(しょう)」(伊方町三机)の遺構から見つかった。戦局の悪化で日本が開催を返上した1940(昭和15)年の「幻の東京五輪」を記念して生産された可能性が大きいものの、産地や生産年は不明。発見した市民グループのメンバーは同じような例などの情報提供を呼びかけている。

 発見したのは、佐田岬半島の自然や文化、民俗などを見つけ、考えるグループ「佐田岬みつけ隊」事務局を担当する町見郷土館主任学芸員の高嶋賢二さんと、隊員で伊予史談会常任委員の多田仁(じん)さん。昨年10月、遠見山(標高130メートル)の山頂付近にある三机監視哨の遺構で採集した。茶わんは口径10・7センチ、高さ5・9センチで半分に割れていた。五輪マークと桜の花を描いている。桜には絞り染めのような模様で「日の丸」に見える絵柄が入っている。

 戦時中、佐田岬半島には三机、三崎、伊方と3カ所の監視哨があった。当時の国民学校や青年学校の生徒、卒業生らが動員され、食器や食料を持ち込んで24時間態勢の空襲監視を終戦まで続けた。近年に「みつけ隊」などが各所を探査したところ、内径約3メートルの円筒状の壕(ごう)に入って爆音や機数を人間の耳で聞き分ける「聴音壕」の遺構が確認されたほか、隊員が飲食に使ったかまど跡、陶磁器、ガラス製品の破片などが数多く見つかっている。

 高嶋さんは「当時、日本の五輪を意識して作られたのだろうか」と絵柄から推測する。「幻の東京五輪」の杯、茶わんの出土、確認例は富山など各地であり、五輪マークとともに、国威発揚を願った開催年「皇紀2600年」を示す「2600TOKYO」の文字が入ったものも。高嶋さんは「当時の茶わん、日用品などで同じような例があれば情報を寄せてほしい」と呼びかけている。情報提供は「佐田岬みつけ隊」事務局の伊方町・町見郷土館(0894・39・0241)へ。【松倉展人】

1940年「幻の東京五輪」

 当時の東京市がアジア初の五輪開催都市として立候補。1936(昭和11)年7月末の国際オリンピック委員会(IOC)総会で日本の嘉納治五郎委員が招致演説し、ヘルシンキ(フィンランド)を9票差で破った。しかし翌37年からの日中戦争が泥沼化し、日本は38年7月に開催を返上した。代替開催地となったヘルシンキも第二次大戦により開催を断念し、夏季五輪は48年ロンドン大会から再開した。

防空監視哨

 日中戦争が始まった1937(昭和12)年の防空法で制定された監視施設で、警察の管理下にあった。「愛媛県警察史」(県警本部刊)によると、39年7月には松山、八幡浜、宇和島に監視隊本部があり、県内25カ所に監視哨が置かれた。当時の隊員数は1169人。同書には「レーダーもなく双眼鏡が唯一の装備」とあり、その双眼鏡も41年7月の時点で「25カ所のうち9カ所に備えられていたに過ぎなかった」と記されている。

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