京アニに情熱をそそいだ亡き妻へ 「ごめんしか言えない」

京アニに情熱をそそいだ亡き妻へ 「ごめんしか言えない」

「響け!ユーフォニアム」のポスターの前でピースサインをする池田晶子さん。作品の舞台となった京都府宇治市のケーキ店に張られていた=2017年12月(夫提供)

 「私は下手やし、練習せなあかんねん」。寝室でふと目を覚ますと、明かりをつけて机に向かい、スケッチブックに鉛筆を走らせている。テレビを見ていると「手、貸して」と手のモデルを求めてくる。結婚した時の約束で家に仕事は持ち帰らなかったが、画力を磨くための日々のデッサンは欠かさなかった。舌を巻くほどの情熱で。

 「京都アニメーション」第1スタジオ(京都市伏見区)の放火殺人事件から18日で2年。犠牲になった池田晶子(しょうこ)(本名・寺脇晶子)さん(当時44歳)の三回忌を前に、夫(48)が在りし日の姿を語った。

 京都府出身の池田さんはアニメ専門学校を卒業後、京アニに入社。学園ドラマとして国内外でヒットした「涼宮ハルヒの憂鬱」(2006年放送開始)や、高校吹奏楽部の青春を描いた「響け!ユーフォニアム」シリーズ(同15年)で魅力的なキャラクター造形を担った。京アニの名を世に知らしめた立役者であり、多くのファンを獲得した、日本の女性アニメーターの草分けだった。

 「ユーフォニアム」のキービジュアル(広告イラスト)が出来上がり、公式サイトで公開された時のはじけるような笑顔を、夫は覚えている。「見て見て、できたよー、とニコニコニコニコして、まるで子どものようで」。下絵の段階で池田さんに意見を求められ「脚が長すぎる」「体が細すぎる」と言った時は、機嫌が直るまでずいぶんかかった。ただ、作りたいものを作るのではなく、視聴者に楽しんでもらえる作品を作りたい、と考える姿勢は一貫していた。

 そんな池田さんは、仕事と育児との両立に苦心した母親でもあった。子育てや教育方針を巡って夫とは衝突が絶えず、仲たがいしたまま、事件は起きた。

 19年7月18日朝。第1スタジオがガソリンで放火され、炎と煙に包まれた。

 池田さんの職場は2階。夫は中の様子を見たことがあり、そばにらせん階段があり、窓もあることを知っていた。ニュースを見た知人からの連絡で現場に駆けつけたが、まさか逃げられずに亡くなっているとは、想像だにしなかった。夕方になっても池田さんから折り返しの電話がなく、警察に連絡した時、こう聞かされた。「亡くなった人の身元鑑定が必要になる」

 事件後、夫は長男を連れて毎日、スタジオ近くまで献花に通い続けた。「子どもが前を向けるようにするにはどうすればいいか。それしか頭になかった」。母親の死を受け止めさせることでしか、子どもを支えてやれない。夫は池田さんが好きだったスナック菓子を供え、「ごめんね」と書き添えた。

 夫婦の間でボタンが掛け違ってしまったのは、なぜだったのか。池田さんの仕事に懸ける熱量に「うまくいくよう、僕が全面的にバックアップする」と繰り返し伝えていた。ただ、仕事ができるのは家族のおかげだという感謝を、池田さんに知らず知らず求めていたのかもしれない。「他にもっとやり方、言い方があったやろうし、『ごめん』しかない」

 池田さんは京アニの取締役でもあり、創業者の社長夫婦から今後の会社運営を担うことへの期待を一身に集めていた。家族の目から見て、経営に不可欠な「売り上げ」には関心がなかったが、後輩たちが正社員になり、結婚しても出産しても働き続けられるようにするための奮闘は惜しまなかった。

 「僕が何か言うのは、おかしいかもしれない。でも、晶子が懸命に努力していたこと、全てのアニメーターに希望を持って仕事してもらいたいと願っていたことを、皆さんに知ってほしかった」。18日はスタジオ跡地には行かず、子どもと一緒に妻を悼む。【南陽子】

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