やまゆり園慰霊碑 消えた1本のヤマユリ 姉なくした遺族の思い

やまゆり園慰霊碑 消えた1本のヤマユリ 姉なくした遺族の思い

「死刑判決は間違いだった」と語る遺族の男性=神奈川県で2021年7月8日午後2時43分、中村紬葵撮影

 20日の相模原殺傷事件の追悼式で公開された「津久井やまゆり園」の「鎮魂のモニュメント」(慰霊碑)にある献花台には、事件の犠牲者の数と同じ19本のヤマユリが刻まれる予定だった。1本減って18本になったのは、遺族の男性(62)が「きれいな花で事件に一区切りを付けるのは違う」と断ったためだ。

 「間違いだったのではないか」。事件で姉(当時60歳)を失ったこの男性は、元職員、植松聖死刑囚(31)の死刑判決(2020年3月)が確定し1年が迫ったころ、植松死刑囚だけが罪を背負う司法判断に疑問を抱くようになった。

 20年1月からの植松死刑囚の公判はほぼ全て傍聴した。意見陳述の冒頭では「私は植松聖さんに死刑を求めます」と述べた。ただ、判決後は、植松死刑囚について「まだ若く、かわいそうという思いもある」と語り、心は揺れていた。

 判決後は事件を振り返る余裕もできた。植松死刑囚は事件前、自らの差別的な考えなどを周囲に隠さなかった。男性は「いろいろな人が(植松死刑囚が事件を起こそうとしていたことを)知っていた。誰か止めてくれなかったのかな。1人が悪いわけじゃない」と思いは変わった。

 慰霊碑を整備した神奈川県は「追悼する命が19人と分かるようにしてほしい」と遺族から要望があったとして、19本のヤマユリを彫る案を男性にも示した。男性は当初は同意していたが、死刑判決への疑念とともに、ヤマユリを彫って事件に一区切りを付け、その献花台も含めた慰霊碑に手を合わせることは「つらいものがある」と感じるようになった。

 今年2月、県職員に「姉の分は刻まないで」と伝え、4月には他の遺族にその理由を説明した。19本がそろわないことに申し訳ない気持ちもあるという。

 大勢の人や子供が犠牲になるなど悲しい事件や事故を伝える報道に接するたびに姉のことを思い出す。事件から5年がたつが、今でも最初に脳裏に浮かぶのは、事件発生当初の喧騒(けんそう)や植松死刑囚の公判のことだ。事件前の姉との穏やかな日々の思い出は、まだ事件の記憶の中に埋もれてしまっている。

 男性は静かに言う。「自分が事件を思い出さなくなったら、ある意味、(姉が)成仏したのかなと思う。時間に任せていれば、思い出が穏やかな日々の方に入れ替わっていくんじゃないのかな」【中村紬葵】

関連記事(外部サイト)