人生をともにした被爆建物、姿変え保存 90歳の奥本さん「これからも一緒に」 

人生をともにした被爆建物、姿変え保存 90歳の奥本さん「これからも一緒に」 

建て替えられた「広島アンデルセン」の前で戦前に思いをはせる奥本博さん=広島市中区で2020年6月12日、山田尚弘撮影

 広島市中区の繁華街にある被爆建物で、レストランを兼ねたパン販売店の「広島アンデルセン」が8月1日に再オープンする。老朽化に伴って建て替えられたが、爆心地から約360メートルで原爆に耐えた旧帝国銀行広島支店時代の外壁の一部が活用され、引き続き市の被爆建物として登録される。すぐそばで生まれ育ち、家族6人を原爆で亡くした後もともに歩んできた被爆者の奥本博さん(90)は「よく残してくれた」と目を細める。

 鉄筋コンクリート造り2階建てだった銀行の建物は、往来が絶えない本通商店街に面して1925年に完成した。ルネサンス様式を基調とし、4本の石柱とアーチ形の窓が特徴だった。幼い頃、吹き抜けの天井の高さに驚いたことを奥本さんは覚えている。日が暮れると、玄関の前に玩具と果物を売る二つの露店が出た。海水浴へ、遊園地へ、遊びに行く時はいつも待ち合わせ場所にした。

 15歳で旧制中学に通っていた45年8月6日。勤労動員で広島市仁保町(現南区)の板材集積場にいて強烈な光を目にした。爆心地から南東に約4・1キロの場所だった。広島駅近くの親戚宅で一夜を過ごし、翌7日、金物店を営む自宅へと煙がくすぶる原子野を歩いた。自宅のはす向かいにある銀行は屋根の大部分が抜け落ち、西側の外壁が大きく壊れた。中にうずくまる人影も見えたが、恐ろしくて声をかけられなかった。建物にいた行員約20人は全員が犠牲になったとみられている。

 7人いた家族のうち、無傷だったのは疎開していた祖母だけだった。全壊した自宅から父は遠く離れたまちに運ばれ、間もなく骨になって帰ってきた。13〜6歳の弟妹3人は遺体すら見つからず、土に埋もれていた小さな骨を4歳だった末妹のものだと信じることにした。自宅の土蔵で被爆した母はみるみる痩せ細り、足をさする奥本さんに「もう、ええよ」と言って数日後に息絶えた。

 高松市の親戚宅に身を寄せた後、49年に再び広島へ。修復を終えた銀行が営業を再開した50年には元の場所に家を建て、結婚して金物卸売会社に勤めたのちに紳士服店を開いた。商店街のにぎわいも戻った67年、銀行の建物はパン製造販売会社のタカキベーカリーに買い取られ、改築されて広島アンデルセンに生まれ変わった。中にできたレストランで2人の子供らと味わう洋食は格別だった。

 奥本さんは、2001年に店を閉めた。年を経るごとに商店街に軒を連ねる店舗の顔ぶれは変わり、広島アンデルセンも2年前に取り壊されて地上5階建てに一新された。だが、被爆後も地域を見守り続けてきた東側の外壁は、耐久性や安全性などを踏まえて約50平方メートルが切り取られ、2階部分にはめ込まれた。奥本さんは言う。「うれしいのですよ。今までも、これからも、一緒に時代の移ろいを見られるのですから」【山田尚弘】

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