堀江謙一さんの単独太平洋横断ヨットが「ふね遺産」に 当時は「密航」扱いも

 兵庫県芦屋市在住の海洋冒険家、堀江謙一さん(82)が1962年に世界で初めて単独太平洋横断を達成した際に乗った小型ヨット「マーメイド号」が、公益社団法人・日本船舶海洋工学会の「ふね遺産」に認定された。日本では当初「密航事件」「人命軽視の暴挙」などと扱われた太平洋横断。堀江さんは当時国内での評価は民間の菊池寛賞が唯一だったと振り返り、「公的な団体から評価してもらえることは、もう一生ないだろうと思っていた」と手放しで喜ぶ。半世紀を経て評価された、その理由とは――。

人命軽視の「暴挙」と批判も

 62年5月12日夜、当時23歳だった堀江さんはマーメイド号に乗り込み西宮港(兵庫県西宮市)を出発。途中、3回の嵐に遭いながら94日間かけて直線距離で約8700キロを単独航海し、米サンフランシスコ湾に到着した。米国で堀江さんは「英雄」として扱われた。連日、テレビや新聞のインタビューに追われ、サンフランシスコ市長から名誉市民として迎えられた。一方、日本では旅券を持たずに出国したことなどから捜査対象となる「密航事件」や人命を軽視した「暴挙」として批判する声もあり、賛否が分かれた。

 しかし、米国での歓迎ぶりが報道されるにつれ、日本でも「快挙」と称賛する雰囲気に。多くの日本人に勇気を与えた「時の人」となり、航海日記「太平洋ひとりぼっち」を出版後、63年に菊池寛賞を受賞。2011年には、その後の数々の冒険を含めて海の魅力を発信した功績で内閣総理大臣賞を受賞した。ただ、最初の太平洋横断自体を公的に評価されたことはないといい、「50年以上たってこういうことが起こるとは考えもしなかったので望外の喜びだ」と感慨深く語る。

 ふね遺産は、次世代に伝えたい船舶海洋技術や産業、文化の発展に寄与した船や資料などを顕彰するもので、同学会が年1回公募し、学会長や有識者が審査して認定している。マーメイド号は7月に20年度の遺産に認定され、現存船では10件目となった。同年度は他に、ビキニ環礁付近の水爆実験で被爆した大型木造船「第五福竜丸」や原子力船「むつ」、大型高速カーフェリー「さんふらわあ」などが認定された。

近海向けだった合板を材料に

 マーメイド号は、日本を代表するヨットデザイナー、故・横山晃さんが外洋航行向けに設計した「キングフィッシャー」と名付けられたモデルで、全長5・8メートル。それまで外洋向けのヨットはチークやマホガニーの無垢(むく)材を材料にしたが、マーメイド号は主に近海向けの建材だった安価な合板を採用した。

 太平洋横断の成功によって、合板製ヨットは実際に外洋航行に適していることが証明され、量産に向いた繊維強化プラスチック(FRP)が登場する60年代後半まで合板製のヨットが盛んに造られる流れを生むきっかけとなった。同学会は「合板を使用した本船は、堀江氏が初めて単独太平洋横断を果たしたことで、キングフィッシャー型船型と相まって、優れた外洋航行性が証明された」と評価し、戦後史に残る堀江さんの冒険が船の製造技術の進歩に与えた歴史的、社会的な意義を認めた。

 同学会によると、マーメイド号は64年から半世紀以上にわたり米サンフランシスコ海事博物館で屋外展示され、数回の修復を経て18年10月から室内で常設展示。当時のマストや帆布も保管されている。それを知った長谷川和彦・大阪大名誉教授が資料を集め、ふね遺産に応募したという。学会では認定証とプレートを同館に贈った。

 冒険から58年を経た堀江さんは80歳を超えた今も、同じマーメイド号と名付けたヨットに乗っている。新たな航海も計画しており、「太平洋横断は僕にとって高校のヨット部の延長で、今も思いは同じ。したいと思っていることをやっているだけ」と、10代の頃と変わらない冒険心を抱き続けている。【稲田佳代】

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