「黒い雨」被爆者手帳の申請990件に 薄れゆく記憶に焦り 広島

「黒い雨」被爆者手帳の申請990件に 薄れゆく記憶に焦り 広島

「黒い雨」の相談会開催にあたり、「一刻も早い救済を」と訴える(左から)小川泰子さん、前田勝司さん、高東征二さん=広島市中区国泰寺町1の広島市役所で2021年11月18日午前10時12分、小山美砂撮影

 国の援護対象区域外で「黒い雨」に遭った原告全員を被爆者と認める黒い雨訴訟が確定し、広島県内各地で原告以外の「黒い雨被爆者」が被爆者健康手帳を申請する動きが広がっている。県と広島市には、18日までに約990件の申請書が提出された。12月8日には、2014年に解散した「佐伯区黒い雨の会」の元役員らが相談会を開く予定で、参加申し込みを受け付けており、近く1000件を超す見通しだ。

 9月21日、佐伯区五日市町の白川集会所に、約20人のお年寄りが集まっていた。呼びかけたのは、9歳の時に旧砂谷村で雨に遭った前田勝司さん(85)。黒い雨訴訟の確定後、「わしらはどうしたらええんでしょうか」と、訴訟の原告で「原爆『黒い雨』被害者を支援する会」事務局長、高東征二さん(80)に相談したつながりで、高東さんが手帳申請の講師役を買って出た。集まった参加者は白紙の申請書を前に、不安そうな面持ちだ。高東さんは、「放っておいたら国は動かない。我々が行動するしかなく、頑張って申請書を完成させましょう」と励ました。

申請書の詳細な記述に尻込み

 ただ、申請書の字は細かい上に項目が多く、高齢者が尻込みするのもうなずける。被爆当時の家族構成やこれまで手帳を申請しなかった理由、原爆がさく裂した瞬間にいた場所や周囲の様子など、詳細な記述が必要だ。高東さんが記憶の喚起に助言する。「黒い雨を浴びたり飲んだりして、内部被ばくした、いうんがポイントじゃけえ。どこでどんな生活をして、どんな体験をしたんか、書いてくださいよ」

 当時の状況を口々に話し合いながら、76年前の記憶をたどる参加者たち。ただ、困難は多い。「雨が降ったんは学校の帰り道? 夕方遊びよる時かいの」「証人なんておらん、みな死んだんじゃけえ」――。薄らいでいく記憶に焦燥感を抱く人、脳梗塞(こうそく)による手の震えでペンが持てない人など、さまざまだ。「字が書けんけえ、あなた書いてくれる?」と、記者を頼る人もいた。

 58人に体験を聞き取り、冊子「黒い雨 内部被曝(ひばく)の告発」を12年に完成させた高東さんもショックを受けていた。「10年前、生き生きと黒い雨の体験を語っていた人が、しゃべれなくなっている。こうなるまで国が放置していた、ということ。国は責任を自覚してほしい」

 7月、菅義偉前首相は黒い雨訴訟の上告を見送り、原告と「同じような事情にあった」人も救済するとしたが、いまだに何の方針も示されていない。「全ての『黒い雨被爆者』を、一刻も早く救済したい」との思いで、訴訟の支援団体が相談会を開いたほか、高東さんも独自に相談を受け付けた。「佐伯区黒い雨の会」の元役員も立ち上がり、12月に相談会を開くことに決定。すでに手帳申請を済ませた前田さんも今度は支援者として、申請希望者を支えるつもりだ。

 11月18日、高東さんらは市役所で開いた記者会見で「みんないつ死ぬかわからない。国は審査基準を早く改定し、手帳交付を急いでほしい」と訴えた。同会で初代会長を務めたものの、病状が重く訴訟参加は諦めた小川泰子さん(81)も「今更被爆者と認められなくてもいいじゃない、と言う人がいる。でも、70余年も病気漬けの人生だった私たちの気持ちがわかりますか。一日も早く、みんな救ってもらわなければ」、と目元を潤ませながら訴えた。

 相談会は12月8日午後2〜5時、佐伯区役所で。先着50人だが、定員を超えても次回の相談会などで対応する方針。問い合わせは高東さん(080・1928・9097)。【小山美砂】

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