李承晩ライン70年「苦難知って」 帰還した漁船員の写真発見

李承晩ライン70年「苦難知って」 帰還した漁船員の写真発見

「李承晩ライン」で抑留された漁船員らが浜田駅に帰還した際の写真。発見した川上譲治さんは「出迎えた人たちの思いが写真からよく分かる」と話す=島根県浜田市で2022年1月6日午後1時42分、萱原健一撮影

 1952年に韓国が一方的に設定した海上境界線「李承晩ライン」を侵犯したとして拿捕(だほ)・抑留された島根県内の漁船員らが浜田市に帰還した際に撮影された写真が見つかった。13年間の調査で探し当てたのは同市長浜町の写真家、川上譲治さん(71)。今月18日で李ライン宣言から70年を迎えるのに合わせて川上さんは16日、漁師たちの苦難の歴史を伝えるパネル展を同市熱田町の長浜まちづくりセンターで開く。

 李ラインは52年1月18日、韓国の李承晩初代大統領が海洋主権を宣言して朝鮮半島周辺の公海上で設定した境界線。韓国は日韓基本条約を締結する65年6月までの13年間、李ラインを根拠に多数の日本漁船を拿捕し、船員らを抑留した。川上さんによると、県内でも54年11月から63年9月までに浜田漁港及び長浜漁港所属の底引き網漁船7船団8隻が拿捕され、船員93人が抑留された。川上さんは、このうち少なくとも8人が浜田市や松江市などで存命であることを確認したという。

 川上さんが見つけた帰還船員の写真は、58年2月2日と4月27日に当時の国鉄浜田駅で撮られたモノクロ写真8枚と画像データ1枚。横に3枚ずつ並べると3枚のパノラマ写真になる。2月の写真は駅構内で県内出身の17〜48歳の船員29人がいずれも緊張した面持ちで並んでいる。その船員らを駅前広場で漁業関係者や市民らが漁業組合ののぼりなどを掲げて出迎える様子も。4月の写真も構内で23人が硬い表情で横一列になっている。

 浜田市出身で大阪芸術大で写真を学んだ川上さんは2007年、約40年ぶりに帰郷し、石見地方の風物などを撮ってきた。また、太平洋戦争中に旧日本軍に徴用され、浜田漁港から戦地へ送られた「徴用漁船」とその乗組員の歴史を調べ、09年にはパネル展を開いた。その際、新たに集まった情報の中に李ライン関係の写真があったという。以来、写真の所有者を探しながら、地元紙の記事を丹念に調べ、県内の抑留者93人の消息を追った。21年2月、漁業関係者が保管していた資料からオリジナルプリントが見つかったという。

 「釜山近郊の収容所に3年3カ月も抑留された船員もおり、その間、残された家族らは『夫を早く返せ』と街頭デモ行進をした。戦中・戦後の外交に翻弄(ほんろう)された漁民とその家族たちの苦難の歴史を知ってほしい」と川上さんは話す。

 パネル展は午前10時半〜午後4時。入場無料。当時の状況を伝える資料映像を約30分間上映した後、発見した写真や当時の新聞記事などで作った20点のパネルを川上さんが解説する予定。問い合わせ先はまちづくりセンター(0855・27・4614)か川上さん(080・6337・8058)。【萱原健一】

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