飛行機の音に息子「ロシアの爆撃機?」 避難の千葉でも続く警戒

飛行機の音に息子「ロシアの爆撃機?」 避難の千葉でも続く警戒

ウクライナから避難したジャナさん(右)と夫の砂雅洋さん=千葉市中央区で2022年4月20日午後5時27分、柴田智弘撮影

 ロシアがウクライナに侵攻して以来、千葉県内にも多くの避難者が身を寄せる。日本人の夫を頼り、次男と2人で千葉市に避難したジャナさん(52)は、東日本大震災の直後以来、11年ぶりの来日となった。原発事故で日本を離れ、今度は戦火で母国を追われた。母国に残してきた長男の身を案じ、「いつかは帰りたい」と涙を流した。【柴田智弘】

 ジャナさんはウクライナ西部の都市・テルノピリの出身。約17年前、仕事でイギリスを訪れた際、日本企業の技術者として現地に駐在していた砂(いさご)雅洋さん(64)と出会い、結婚した。次男のケンタさん(16)を授かり、2007年に来日した。

 ウクライナへ戻るきっかけは、東日本大震災による福島第1原発事故だった。チェルノブイリ原発事故の経験から、原子力災害に敏感なウクライナ政府は日本を離れるよう勧告。当時5歳だったケンタさんを連れて帰国し、砂さんとは離ればなれの生活が続いてきた。

 子育てをしながら、大好きなドレス作りの仕事にも励む平穏な日々。それが、2月24日のロシアによる軍事侵攻によって一変した。

 ジャナさんが暮らすテルノピリもミサイルに襲われ、一部は郊外に着弾した。昼も夜もサイレンが鳴り響き、安心して眠れなかった。砂さんからは避難を勧められ、ジャナさんは攻撃から2日目の朝、ウクライナに隣接するポーランド経由で日本へ行く決断をした。

 2時間でスーツケースに荷物を詰め、前の夫との間の子供である長男のマイケルさん(32)が運転する車に乗り込んだ。道は同じようにポーランドを目指す車で大渋滞。優先レーンを走るバスに途中で乗り換え、3日がかりでようやく国境までたどり着いた。

 ポーランドの国民は温かかった。食料や水、衣服など必要なものが無償で提供され、一般人が見ず知らずの自分たちを自宅に泊めてくれた。日本大使館で緊急にビザを発給してもらい、パリ経由で3月4日、成田空港に降り立った。砂さんの家に着き、初めて心が落ち着いた。

 11年ぶりの日本は平和で、満開の桜が出迎えてくれた。だが、心は晴れなかった。母国がこれからどうなるのか分からず、生きがいだったドレス作りもできなくなってしまったからだ。

 ケンタさんは日本に着いてからもしばらく、飛行機の音が聞こえると「ロシアの爆撃機じゃない?」と警戒した。激しい市街戦となっているウクライナ東部の子供たちが負う心の傷を想像すると、胸が痛む。

 いま、最も気がかりなのは、母国に残ったマイケルさんのことだ。足が不自由だが、ウクライナ政府が成人男性の出国を禁じたため、一緒に避難できなかった。激しい戦闘が続く東部からの避難民を自宅で保護するなど、支援しているという。

 避難時の別れ際、ケンタさんに「ママを守ってあげてね」と言葉をかけた母親思いのマイケルさん。「また会えるのだろうか」。無事を祈るジャナさんの?を涙が伝った。

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