記者として立ち会った大記録 完全試合に興奮と緊張

記者として立ち会った大記録 完全試合に興奮と緊張

広島戦で完全試合を達成した巨人槙原(94年5月18日)

<ニュースの教科書>

先ごろプロ野球、ヤクルトの小川泰弘(おがわ・やすひろ)投手(30)が「ノーヒットノーラン」を達成しました。史上82人目、通算93度目の大記録となりました。2020年シーズンではセ・パ両リーグを通じて初の快挙でした。このノーヒットノーランと並び、もう1つの大記録に「パーフェクト」があります。私は20年以上に及ぶ野球記者時代、パーフェクトとノーヒットノーランを1試合ずつ、「生」で見ることができました。そのときの興奮と緊張ぶりを振り返ってお伝えしたいと思います。【玉置肇】

■体験その1 完全試合

もう、仕事どころではありません!? 興奮と緊張でのどはカラカラ、心臓はバクバクです−。

1994年(平6)5月18日、福岡ドーム(現ペイペイドーム)の巨人対広島。巨人槙原寛己(まきはら・ひろみ)投手(当時30)が史上15人目の完全試合を達成。この試合を、私は同じニッカンの巨人担当記者2人と記者席で目撃しました。現場がどんな状態だったか、振り返ってみます。

「あれっ? ランナーが1人も出てない」。「ノーヒットノーランどころか、このままいったら…」。その場にいた総勢100人ほどの報道陣がざわつき始めたのは、7回表を「0」に抑えた頃。スコアブックを見ると、きれいに3人ずつで片付いています。

ところで、現場にはある「ジンクス」があります。ノーヒットノーランとかの記録達成に備えていろいろ調べ始めると、だいたいそこで途切れてしまう−。それに「あとわずか」のところで大記録に届かず「やっぱりだめか」とガッカリするほうが断然多いのです。

ところが、この日の槙原投手には、ジンクスなど通用しない勢いがありました。8回も3者凡退。満員のスタンドは、槙原投手が投げるときだけ静まり返る異様な雰囲気でした。

東京のデスクに連絡。原稿の打ち合わせや準備を行い、その瞬間に備えます。野球ファンとして快挙に立ち会えるかもしれないドキドキ感、記者として「何を、どう書こう?」というソワソワ感が高まって来ました。

さあ、9回。選手の緊張感もピークに達していました。自らの守備が記録を消しかねないのですから。最後の一塁ファウルフライを捕った落合博満一塁手(同40)さえ、その足取りはいつにもまして慎重だったと記憶しています。

槙原投手の投球内容は、27個のアウト中、三振7、内野ゴロ11、内野飛球6、外野飛球3。槙原投手は試合後「ピッチャーやっててよかった」と笑顔でした。

■体験その2 無安打無得点

私が球場でノーヒットノーランを目撃したのは、1990年6月29日、米国ロサンゼルスのドジャースタジアムでした。当時、メジャーリーグ観戦のため米国出張中。観戦したドジャース対カージナルスで、ドジャースのフェルナンド・バレンズエラ投手(当時29)がノーヒットノーランを達成したのです。

左腕投手で、セットポジションに入る前に天を仰ぐ、独特のフォームが印象的でした。許したのは3四球と1失策による走者だけ。スクリューボールを武器に打たせて取る投球が功を奏しました。記録達成の瞬間、スタンドのお客さんは全員総立ちで拍手と声援を送ったものでした。野球の本場で、生まれて初めてのノーヒットノーランに立ち会えた喜びは、私の財産になりました。

またこの日は、アスレチックスのデーブ・スチュアート投手(同33)が、ブルージェイズ戦でノーヒットノーランを達成。何と、一晩に2試合も快挙が達成されたのでした。

■統計

ノーヒットノーランやパーフェクトは、どれくらいの割合で達成されているのでしょう。プロ野球が始まった1936年(昭11)以降、昨年までに計6万2407試合が行われました。このうちノーヒットノーランは、通算92度ありました。計算すると、ノーヒットノーランは約678試合に1度達成されたことになります。

通算15度達成されているパーフェクトは、約4160試合に1度達成されたことになります。昨シーズンの公式戦試合数が858試合でしたから、ノーヒットノーランは約1年に1度、パーフェクトは約5年に1度の達成となります。

■条件

ノーヒットノーランは、相手を無安打に抑え、同時に無得点に封じて勝つことを言います。日本語では「無安打無得点試合」。達成した投手を「ノーヒッター」と表記します。

「ノーラン」というと、「ノーランナー」と思いがちですが、「ラン」は「得点」の意味。つまり、四死球や失策、捕逸などの走者が出ても、達成条件は満たされます。

パーフェクトは日本語では「完全試合」。これは1人のランナーも出さずに勝利することを言います。四球や味方のエラーで出塁されてもいけません。パーフェクトの方が条件は厳しく、その達成者は同時にノーヒットノーラン達成者にも含まれます。

■記憶

私が野球部デスク時代にテレビ観戦で記憶に残っている「ノーヒットノーラン」が、2試合あります。1つは高校野球「夏の甲子園」での横浜(東神奈川)・松坂大輔投手(現西武)。98年(平10)8月22日の決勝(対京都成章)で達成しました。松坂投手の投球内容は11奪三振、3四球でした。

もう1つは、日本シリーズでの「パーフェクト・リレー」です。07年11月1日。日本ハムとの日本シリーズで、中日が日本一まであと1勝とした第5戦。先発した山井大介投手(同29)が8回まで1人の走者も出さない快投で、1−0のまま9回を迎えます。このとき当時の落合博満監督(同53)は、岩瀬仁紀(ひとき、同32)投手への交代を命じました。

岩瀬投手も1回を3人で片付け「完全リレー」による優勝を達成しました。この交代は、「続投させて完全試合に挑戦させるべきでは?」「個人の記録よりチームの勝利。代えて正解」と球界を二分する議論を巻き起こしました。

◆玉置肇(たまき・はじむ) 83年入社以来20年以上、主にプロ野球の取材にかかわる。94年(平6)には長嶋巨人の「10・8」最終決戦を取材。その経験を買われ? 当欄では野球のほかスポーツ関連の記事、用語などについて説明します。担当したプロ球団は、巨人7年、横浜大洋(現DeNA)3年、3局(セ、パ両リーグとコミッショナー事務局)3年。デスク9年。