名横綱に続き総理大臣輩出を、地元友人が語る菅少年

名横綱に続き総理大臣輩出を、地元友人が語る菅少年

菅官房長官(右)と記念撮影する幼なじみの藤原寛文さん(同氏提供)

安倍晋三首相の後継を決める自民党総裁選は14日、投開票される。一貫して、戦いを優位に進めた菅義偉官房長官(71)が生まれた秋田・秋ノ宮村(現湯沢市秋ノ宮)は、第38代横綱照国(てるくに)を生み出した地でもある。

名横綱・双葉山をも破った横綱に続き、次は総理大臣となる自民党総裁が誕生するかもしれない−。菅氏の少年時代からの友人が、ともに相撲に汗を流した「ヨシヒデ」への期待を語った。

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スポーツ万能で、相撲でも無敵の強さだった−。菅氏と小中学校が同じで今も親交が深く、同市で「ラーメン藤」を経営する藤原寛文さん(74)は、菅少年の姿を今もよく覚えている。「小学生のころは、官房長官とよく相撲を取って遊んでいました」。

2人が育った秋ノ宮村は戦前から戦後にかけて活躍した横綱照国の出身地で、同じ秋ノ宮小の卒業生だ。少年たちにとって相撲は身近なスポーツだった。菅氏の取り口は、「相手をたたきつけることは絶対せず、そっと手をそえ、転ばないような格好ですくってあげる。懐が深くて強く、優しかった」。身長165センチ、細身の現在からは想像できないが、相撲で汗を流す日々だった。

藤原さんは、角界の最高位横綱を生んだ地から、今度は総理大臣が誕生するかもしれないことに、喜びを隠せない。しかもその人物は幼い頃からの友人だ。昨年、官邸で菅氏と再会した。「会えば昔に戻ったような気持ちで、幼なじみだから『義偉』と気楽に呼んでしまう」。菅氏の返事も「おう、ヒロ坊。今日はどうした?」。少年時代の愛称で呼び合い、近況や、互いに愛好する空手の話題に花を咲かせた。

菅氏の少年時代を「政界に進むとは全く思わなかったが、普通の人にないオーラはあった」と藤原さんは回想。「去年会った時、総理をやるのかという話をしたが『いや、全く考えてないよ』と」。菅氏は、故小此木彦三郎氏の秘書を皮切りに、横浜市議、衆院議員、総務相、官房長官と着実にステップアップしてきた。「(キャリアを)描いてたのかな。それを聞いてみないとね」。いずれ、本音を聞いてみるつもりだ。

「体には特に気をつけてほしい。何事もなく進めてもらえれば」と期待を寄せる。菅氏は14日、自民党新総裁に選出される見通しだ。横綱に次いで、おらが地元が生む2人目の「最高位」は総理大臣。「決まったらお祝いの電報を送らないとね」。藤原さんは笑顔で話した。【山田愛斗】

○…菅氏は官房長官就任後、東京開催の大相撲秋場所で3回、優勝力士に内閣総理大臣杯を手渡した。安倍晋三首相の代理で13年、18年は白鵬、16年は豪栄道。13日に始まった秋場所は27日が千秋楽。「菅首相」として迎える可能性が高い。首相の立場で初の国技館登場はあるのか?

◆照国万蔵(てるくに・まんぞう)1919年(大8)1月10日生まれ、秋田県雄勝郡秋ノ宮村出身。本名は大野(旧姓・菅)万蔵。伊勢ケ浜部屋所属で、昭和初期に活躍した第38代横綱。前人未到の69連勝を達成した第35代横綱双葉山のライバルだった。35年(昭10)1月に初土俵。39年5月に新入幕。42年5月に当時最年少の23歳4カ月で横綱に昇進した。戦後、51年春場所の全勝優勝など幕内優勝2回。通算成績は318勝112敗74休。53年1月に引退し、荒磯、後に伊勢ケ浜を襲名。77年3月20日に58歳で逝去。174センチ、162キロ。

◆秋ノ宮 秋田県南部に位置し山形県新庄市などと隣接。旧名は雄勝郡秋ノ宮村で現湯沢市秋ノ宮。1889年4月1日に発足。1955年4月15日に横堀町、院内町と合併して同村は廃止、雄勝町が発足。2005年3月22日に同町、稲川町、皆瀬村が湯沢市に吸収合併された。戦時中に旅情ミステリー作家・内田康夫氏が疎開していた。雄勝町は平安時代の女流歌人・小野小町の生誕地とされている。また、大関清国(きよくに)も輩出している。