中曽根元首相、晩年まで期待した憲法改正論議の進展

中曽根元首相、晩年まで期待した憲法改正論議の進展

中曽根康弘元首相

中曽根康弘氏は首相として戦後第5位となる1806日を務め、昭和の政治史に大きな足跡を残した。

今月20日、安倍晋三首相が憲政史上1位の在職日数を達成した直後の訃報。ともに長期政権を築いた2人には、憲法改正の実現という共通目標もある。中曽根氏がたびたびエールを送ってきた首相は、哀悼の談話を発表するとともに、持論の改憲への決意をあらためて示した。日本オリンピック委員会(JOC)の山下泰裕会長らゆかりの人も、中曽根氏との思い出を語った。

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安倍首相が、憲政史上1位となる首相在職日数を達成して、9日。首相として昭和政治史に足跡を残し、大正、昭和、平成、令和の4時代を生き抜いた「大勲位」が、この世を去った。

孫で、17年衆院選で初当選した自民党の中曽根康隆衆院議員によると、最近の中曽根氏は10月22日に行われた「即位礼正殿の儀」をテレビで見て、喜んだという。憲法に関する新聞記事も切り抜いて読み込み、「(持論の憲法改正に)並々ならぬ思い」(康隆氏)を最後まで持ち続けていた。

昨年5月27日に100歳を迎え、コメントを発表した際も、健康長寿の秘訣(ひけつ)を、「規則正しい生活」と「飽くなき探求心と知的好奇心こそ肝要」だと記した。そんな中曽根氏は、安倍首相が持論とする憲法改正への道のりを最後まで気にかけていた。

中曽根氏は、超党派の国会議員らでつくる「新憲法制定議員同盟」の会長として、毎年の大会であいさつ。16年には「改憲の実現に挑戦しており、大いに評価し期待する」と、首相を激励。「世論の動向をみれば、改憲の必要性を受け入れつつもちゅうちょがある」と、国民への説明の必要性に触れたこともある。

改憲の議論は国民の間でも賛否が割れ、政策に腰を据えられる長期政権でなければ難しい。しかし安倍首相のもとでも、与野党議論のめどすら立っていない。

中曽根氏が03年に引退勧告を受けた際、最後通告を持参した「使者」が、当時自民党幹事長だった首相だ。中曽根氏と浅からぬ縁がある首相は談話で「戦後史の大きな転換点でかじ取り役を果たした」と業績をたたえた上で、「憲法改正の必要性を訴えてきた強い思いは、時代を超えて受け継がれる」と、改憲への思いをあらためて訴えた。

◆中曽根康弘(なかそね・やすひろ)1918年(大7)5月27日、群馬県高崎市生まれ。東大卒。45年海軍主計少佐で退役。47年4月、衆院初当選。55年の保守合同で自民党へ。59年6月、第2次岸内閣で初入閣。82年11月、首相に就任。97年4月に大勲位菊花大綬章を受章した。03年10月政界引退。当選20回。

○…東京・豊島区の中曽根元首相の自宅には供花を届ける車が数台訪れた。関係者が、自宅1階で対応に追われていた。著名人などがこの日、訪れた様子はなく、周辺は静まりかえった。