盟友渡辺恒雄氏「親の死と同様」中曽根元首相悼む

盟友渡辺恒雄氏「親の死と同様」中曽根元首相悼む

06年4月、東京ドームで巨人渡辺恒雄会長(左)と巨人−広島戦を観戦する中曽根康弘氏

日本電信電話公社や国鉄などの民営化を行った中曽根康弘(なかそね・やすひろ)元首相が29日午前7時22分、老衰のため都内の病院で101歳の生涯を終えた。群馬県出身。「戦後政治の総決算」を掲げ戦後5位にあたる約5年間も首相を務めたが、戦後の新しいリーダー像を示し、スポーツ界や芸能界、メディアとの幅広い交遊関係でも知られる。敬愛した読売新聞グループ本社の渡辺恒雄代表取締役主筆(93)も「ショックです」と悼んだ。

身長170センチ台後半、体重69キロ。1982年、田中角栄氏に続く大正生まれで首相に就任した中曽根氏は、当時戦後では最も長身の総理大臣で、ある意味“昭和の新人類”的イメージをまとっていた。濃い眉、渋い低音の声、頭髪は決して豊かではなかったが、背広のポケットには常にクシと手鏡を入れ、頻繁に自分で手入れしていた。83年の訪米では、ホワイトハウスで日本の首相として初めて英語でスピーチしてみせた。

自民党派閥全盛時代。弱小集団出身で変わり身の早さから「風見鶏」ともいわれながら、長期政権を維持した。ロッキード事件やリクルート事件、東京佐川急便など世間を騒がせた事件で名前が取りざたされた。85年には初の靖国神社公式参拝も実行した。一方で、国鉄、日本専売公社、日本電信電話公社の民営化など数々の政治的遺産を評価する声も多い。

したたかともいえる生き方の背景には、多趣味と多彩な人脈もあった。時間が空けば運動し、油絵を描き、週に1回は座禅を組んだ。スポーツや芸能好きでも知られた。首相就任当時の自宅は、東京・上北沢にある長嶋茂雄さん所有の7LDKの邸宅を家賃40万円で借りていた。首相官邸の庭では毎年2回「芸術・文化人との懇談会」を開いた。市川海老蔵の父・12代目市川団十郎さんの後援会名誉会長を務めたほか、劇団四季・浅利慶太さん、歌手・三波春夫さん、野球の金田正一さんら今は亡き大物たちとの交遊で知られる。

メディアとも特別な人脈を築いた。とりわけ親しかった渡辺恒雄氏は「親の死と同様のショックです」などとコメント。渡辺氏は記者が自宅に来ると、長時間の取材に応じることもあった。中曽根氏の番記者になりたての時の経験から来ているようだ。「ついしゃべっちゃうのも、苦しい思いをした昔を思い出すからな」など中曽根氏との昔話を披露することもあった。

中曽根氏は03年の引退後も、今夏までは都内の事務所に時折顔を出し、ときに切れのいいコメントも出していた。昔から俳句も熱心によんできたが、最も好んだという自作は次のようなものだった。「暮れてなほ 命の限り 蝉(せみ)しぐれ」。

◆中曽根康弘(なかそね・やすひろ)1918年(大7)5月27日、群馬県高崎市生まれ。東大卒。45年海軍主計少佐で退役。47年4月、衆院初当選。55年の保守合同で自民党へ。59年6月、第2次岸内閣で初入閣。82年11月、首相に就任。97年4月に大勲位菊花大綬章を受章した。03年10月政界引退。当選20回。