讃岐うどんの2強激戦で追い上げる『はなまる』がアルバイトまで大切にする理由「50年変わらない外食業界の働き方を変える」

讃岐うどんの2強激戦で追い上げる『はなまる』がアルバイトまで大切にする理由「50年変わらない外食業界の働き方を変える」

はなまるうどんの快進撃を支える“働き方改革”の中身とは?(写真はダイバーシティ東京店の尾上香織店長)

ニッポンには人を大切にする“ホワイト企業”がまだまだ残っている…。連載『こんな会社で働きたい!』第25回は、セルフ式のうどん専門店「はなまるうどん」を展開する株式会社はなまる(東京・中央区、※以下、はなまる)だ。

* * *

うどんチェーン業界は、丸亀製麺とはなまるうどんの2強時代が続いている。店舗数は丸亀が792店舗(2018年3月末時点)、はなまるが458店舗(18年2月末時点)。

両社とも既存店売上げは右肩上がりで好調を維持するが、直近3年間の店舗数を見ると、4店減→3店増→14店増と出店スピードが鈍化する丸亀に対し、30店増→40店増→43店増のはなまるが急速に差を縮めてきているのが現状だ。

はなまるの創業店舗は、讃岐うどんの本場・香川県高松市にある木太店。高松市に隣接する三木町に生まれ育った創業者、前田英仁氏が2000年5月に開業した。

当時は讃岐うどんブームの真っ只中、香川県内の讃岐うどん店のガイドブック『恐るべきさぬきうどん』が93年に刊行後、地元のタウン情報誌やローカル番組、後に民放キー局でも掲載店舗が続々と取り上げられ、“早い、うまい、安い”讃岐うどんの魅力が全国に伝播、うどん目当てに県外から訪れる観光客が急増した。

ブームに乗り、創業からわずか3年で100店舗を突破。03年は1年間に約130店舗を出店したが、急速な出店に従業員の育成が追い付かず、長時間労働がまん延して離職者が増加。既存店売上高は06年7月まで、実に“33ヵ月連続前年割れ”という長いトンネルから抜け出せず、会社の存続が危ぶまれる事態となった。

この時、“日本全国に讃岐うどんを広めたい”との創業者の思いを引き継いだのが牛丼チェーンの吉野家ホールディングス(以下、吉野家)だった。04年6月に業務提携し、06年5月に子会社化。今年1月、吉野家幹部からはなまるトップに就任した門脇純孝社長はこう話す。

「チェーン店を展開するのは容易なことではありません。10店、20店規模ならなんとかなりますが、それ以上に拡大しようとすると店舗オペレーションをどう標準化し、経験の浅いアルバイトの方々をいかに戦力化していくかなどノウハウが欠かせないためです。

その点、我々には吉野家を全国展開させた経験がある。はなまるうどんをさらに成長拡大させるお手伝いができると考えました」

その言葉通り、業績は徐々に回復。07年10月に200店、11年3月に300店突破と再び成長軌道に乗った。直近18年2月期(17年3月〜18年2月末)の業績も前年比13.6%の増収、43.3%の増益、52店舗を出店するなど好調をキープ。今や吉野家グループ随一の成長エンジンとなった。

吉野家は、はなまるをいかに立て直したか。

まず、讃岐で生まれ育った“はなまるらしさ”を残しつつ、さらに磨きをかけた。例えば、全国展開を果たした現在も取り扱いが簡単な冷凍麺や乾麺に頼ることなく生麺を使用し続け、讃岐うどんのコシと風味を出すためにうどんの粉から自社で製造、“はなまる仕様”の最上級一等粉を用いている。

出汁(だし)へのこだわりも強い。讃岐うどんといえば「いりこだし」だが、いりこ(煮干し)は鰹節とは異なり漁獲量や品質が安定しないため、『讃岐』を掲げる店でも他のダシが使われるケースがある。そんな中、はなまるでは創業時から「いりこだし」を採用し、安定供給の体制を整え、現在も“本場の出汁”にこだわり続けている。

こうした企業努力が実り、前出の讃岐うどん店のガイドブック『恐るべきさぬきうどん(特別版・09年)』では「一番よくいくうどん店」部門で1位に選ばれた。

牛丼と違い、「うどんは気温や湿度、使う水の水質によっても品質が左右される非常にデリケートな食べ物」という門脇社長は日頃からうどん研究を欠かさない。

はなまる社内では、香川県内の讃岐うどん屋を巡ることを“うどんツアー”と呼び、毎年の新入社員研修にも盛り込まれ、門脇氏自身も社長就任後に5度参加している。

「人気店を中心に15店舗ほど行きましたが、麺のコシからダシの風味まで店によって様々。現地の店の店主の方々からお聞きしたのは『時代のニーズに合わせて麺の太さや固さなどを微妙に変化させている』ということです。消費者の方が今、どんなうどんを好んでいるのかを捉え、トレンドに柔軟に対応する姿勢は学ばせていただいている点です」

一方、子会社化する前に高止まりしていた離職率も、今では大きく改善されている。

厚労省の統計では、飲食サービス業の大卒者における就職後3年以内の離職率は50%程度(宿泊業を含む)。はなまるもかつては同程度だったが、吉野家が親会社になってからはジリジリと下がり続け、直近3年間の離職率はおよそ16%だ。

では、外食チェーンの中でも極端に低い離職率をいかに実現したか?

まず04年に子会社化された後、創業者の前田氏は保有株を売却して経営職を退き、それからは吉野家の幹部が社長に就任する流れが定着した。初代社長(06年5月〜)は吉野家のM&A責任者でもあった河村泰貴氏(現・吉野家ホールディングス社長)、2代目(12年9月〜)は常務取締役だった成P哲也氏、そして今年1月1日からは門脇氏が3代目を務めている。

3氏に共通するのは吉野家のアルバイトからの叩き上げであることだ。

「吉野家の安部(修仁)会長もアルバイト出身ですが、経歴や学歴に関係なく、努力次第でいろんなポストに就けるのが吉野家の土壌です」(門脇社長)

バイトを軽視することなく、従業員の努力に報いる――自然とそうした風土がはなまるにも浸透していったという。

17年3月には、高校生の時給を一般のバイトと同等に引き上げた。また『天ぷらが作れる』『麺をゆでられる』など、バイトの昇給基準も明確で初級から中級、上級…と8つの職位に分け、ランクがひとつ上がれば時給は数十円単位でアップ。最上位になるとバイトでもスタッフ店長として店を任され、半期ごとに賞与も支給されるようになる。

さらに、バイトの社員登用に積極的なのもはなまるの特色だ。主にはスタッフ店長を務めたバイトスタッフが社員に登用される流れがあり、平均年収は入社2年目の店長クラスで約400万円、ひとつ上の10店舗ほどを統括するスーパーバイザーになれば約550万円まで上がる。

同社ではここ数年、年50店規模で出店し、今後もその出店スピードは落とさない方針だから「毎年50人の店長と5人のスーパーバイザーが生まれる」(門脇社長)

これには、バイトから社員に登用され、現在はダイバーシティ東京店(江東区)で店長を務める尾上香織さん(34歳)も「性別や経歴に関係なく頑張りが認められれば待遇もよくなる。自分のキャリアアップを描きやすいところがこの会社の魅力」と話す。

とはいえ、社員になれば責任が重くなり、会社によっては売上目標やノルマへのプレッシャーもかかることを考えれば、“気楽なバイトのままで”という選択もある。この点については、バイトから社員に登用され、現在は統括スーパーバイザーを務める斎藤三千子さん(41歳)がこう話す。

「店長にはそれぞれに業績目標がありますが、“ノルマ”というほど固いものではありません。数字よりも『人を育成すること』『店舗のQSCを上げること』が求められていて、売上げはその結果として付いてくるというのが会社の考えだから、直接的に『数字を伸ばせ』『利益を上げろ』『客数をとれ』と上から指導されることがないんです」

ゆえに、現場にノルマ未達や仕事の失敗を咎(とが)めるようなピリピリ感はない。

斎藤さんが店長だった頃、遅刻や無断欠勤が多かった高校生スタッフがいた。3ヵ月間我慢し改善指導もしたが、それでも直らず、斎藤さんは他の従業員に悪影響が及ぶと判断して辞めさせざるをえなくなった。ところが、そのスタッフと仲が良かった、店の従業員の4分の1にあたる5人が芋づる式に辞め、シフトに大きな穴が空いてしまったという。

これが他の会社だったなら、現場の事情も汲み取らずに「何をしでかしてくれたんだ!」と上司にドヤされていたかもしれない…。だが、斎藤さんの上司はそうはしなかった。

「上司のスーパーバイザーに報告したら、『大変な時はお互い様だ』と言って自分も店に出てくれたり、他店のスタッフにもお願いしてシフトの穴を埋めてくれました」

運よく良い上司に恵まれただけなのかもしれないが、斎藤さんはこれを“社風”と捉える。

「弊社には失敗すると包み隠さず『すみませーん!』とすぐに報告してくる社員が多いのですが、それは経営理念に『正直』という言葉があるように、『バッドニュース・イズ・ファースト(悪い知らせは先に報告を)』の社風が浸透しているからだと思っています」

その社風は、逆をいえば“失敗を恐れずチャレンジしよう”との気風にも繋がる。そのため、各店舗では調理に関しては事細かなマニュアルが決められているものの、それ以外の店舗運営については店長や社員に裁量が委ねられている部分が多い。

例えば、スタッフの半数以上を外国人が占めるダイバーシティ東京店では、店のアイドルタイムに尾上店長が自主的に開く“日本語勉強会”が定着。外国人スタッフの接客力向上と、彼らが日本語検定試験に合格することにも貢献し続けている。

「営業中によく『尾上“先生”』と呼び間違えられる(笑)」ようになったのは、信頼関係が築けている証だ。今では外国人スタッフが知人の留学生を店に紹介する流れができ、一時期、店員不足に頭を悩ませていた当時から従業員数は倍増。近隣店舗へヘルプ要員を出せるまでに体制が整った。

斎藤さんの場合は店長時代に店内ポップを自作したり、他の店員と一緒にハッピ姿でメガホンを持って客を呼び込んだり…と「自由に店を営業させてもらえることが楽しかった」という。

当時、福島県郡山市内の店舗で店長を務めていた斎藤さんは現在、都内にある本社ビルに籍を置きながら、統括スーパーバイザーともうひとつの管理職を兼任している。彼女が小学生の子どもを育てる身で、会社のために働くことを厭(いと)わないのは「恩返しがしたい」との思いがあるからだ。そこにはこんな事情がある。

東日本大震災発生後、はなまる社内では被災した社員やバイトスタッフのために募金を集める社内報が流れた。その後、募金に応じた社員から給与天引きで集まった義援金は総額約800万円に。これを避難所手当て1泊2千円のほか、全壊20万円、半壊8万円など、家屋の被害レベルに応じてすべての被災従業員に支給。郡山市で被災した斎藤さんも義援金を受け取ったひとりだ。

さらに、原発事故の影響で自宅付近の線量が上がり、2歳の子どもを抱えながら不安な日々を過ごしていたところに当時の河村社長がこう声をかけた。「心配なら、異動という形でその場から離れる選択肢もあるよ」。

この要請を受ける形で、斎藤さんは埼玉エリアの担当として転勤することになったという。

「あの時は本当に会社から手厚く支援していただきました。仕事で会社に貢献していたら、その分、会社はちゃんと返してくれる。それならもっともっと会社のために頑張らなきゃという思いになりました」

それから数年経った昨年3月、社内に新しい部署が発足することになった。その名もライフ・ワーク・バランス推進部。当時の成P社長“肝いり”の新設部署で、社員の休日日数を増やすなどの社内改革を推進することが目的だった。

これに伴い、立ち上げメンバーとして「副部長に就いてほしい」との異動要請が斎藤さんに下る。ただでさえ忙しい統括スーパーバイザーとの兼任となるため、「正直、お受けするかどうか悩んだ」そうだ。だが、数日悩んだ末に「やろう!」と決めた。なぜか。

「どうしようか迷っていた私に、社長は『この業界の働き方は50年変わっていない。これじゃあ、ダメなんだ』と、『はなまるから外食業界を変えていくんだ』と言いました。社長の思いに“本気で応えたい”と思ったんです」

★この記事の続き、後編は7月8日に配信予定!

(取材・文/興山英雄)

関連記事(外部サイト)