「コロナで亡くなった人に、世界一手厚い弔いを」開高賞作家・佐々涼子ノンフィクション、ある遺体安置所の物語

「想送庵カノン」代表・三村麻子氏。想送庵カノンは昨春以来、コロナで亡くなった遺体を引き受けてきた。遺体との対面も叶わない遺族の悲しみに、代表の三村麻子氏や職員たちはどう向き合ってきたのか?

医療現場が逼迫した昨年春、コロナで亡くなった人の遺体は行き場を失い、東京都は「葬儀崩壊」の危機に直面していた。それを回避するため、コロナ患者の遺体を安置する施設として都の委託を受けたのが葛飾区の「想送庵カノン(そうそうあんカノン)」だった。リスクも伴うなかで職員たちはどのように死者を弔(とむら)ったのか――。

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■医療器具が残ったままの若い女性の遺体

新型コロナウイルス感染症で亡くなった人の遺体を安置する場として、東京都から委託を受けていた施設がある。葛飾区の想送庵カノンだ。2020年5月から7月の2ヵ月間のことだ。

ここは遺体を最大20体まで収容できる遺体安置施設である。こう書くと、テレビドラマに出てくるような、暗く冷たい「モルグ」を想像するかもしれないが、そんなイメージとは大きく異なっている。

館内には大小の洋室、和室が14室あり、葬儀や火葬までの間、遺族は遺体に24時間付き添える。部屋の色調は白、ブラウン、ピンクなど多様だ。祭壇のあるホテルといった雰囲気で、故人と過ごす最後の家族旅行の場と表現するとしっくりくる。

「たとえ大きな悲しみのなかにあっても思い出を語るときには笑いがこぼれたり、ご家族同士でおしゃべりが止まらなかったり。時間と共にご家族の表情はさまざまに変化していく。いろいろなドラマがあるんですよ」

そう語るのは、カノンを立ち上げた三村麻子さん(57歳)。ここから故人を葬儀場へ送り出したり、そのまま施設内で葬儀を行なったり、火葬場へ送り出したりと、その使われ方も多様。「新しい形態のサービスなので、説明するのが難しいんですよ」とほほえむ。

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カノンには葬儀を行なえるホールのほか、大小さまざまな部屋があり、遺族は出棺まで故人と共にゆっくり過ごすことができる

近年、高齢化により死者が増加する一方で火葬場の建設は追いつかず、遺体安置所も不足している。2019年1月に開設され、貸し葬儀場と遺体安置所を兼ね備えたカノンは、葬儀業界で注目を集めた。看護学校の空き校舎をリノベーションした施設は大きく、大規模災害時の一時遺体安置所としても葛飾区と協定を結んでいる。

そして開設後1年で新型コロナのパンデミックが起きた。流行当初、東京都内の病院で亡くなったコロナ患者の遺体は、院内の霊安室に安置できず、病室や感染症病棟の一角に置かれた。

遺体を受け入れられる火葬場は限られ、対応できるところでも一日5体ほどが限界だった。そのため、長いときには1週間以上の「火葬待機」が発生。3月はまだ寒かったが4月になると気温が上がり遺体は傷み、腐敗臭も強くなった。遺体安置という面でも、医療現場は疲弊していたのだ。

「病院側からなんとかしてほしいと都に訴えかけがあり、都も海外のように多数の死者が出る可能性を考慮して安置所を探していました。当初、都からお話があったときは悩みましたが、都の担当部長が『コロナの治療にあたっている病院の負担を軽減したい。東京都は、世界に類を見ない手厚さでご遺体を安置したい』とおっしゃる。それなら、とお引き受けしました」

都は「都内の病院の共有霊安室」という扱いでカノンを借り上げた。預かった遺体の60%はその後のPCR検査で陰性と判明している。だが、運び込まれた段階ではそこまではわからない。リスクを伴うなかで、カノンの職員たちは手厚い安置のために心を砕いた。

「コロナで亡くなった遺体は粗末に扱われるのではないかと、ご家族は皆さま心配していらっしゃいました。ですから私たちは制約の中、世界一手厚い弔いをしようと心を込めました」

ある高齢者は介護施設のショートステイでコロナによる肺炎を発症。面会制限で家族にも会えぬまま病院で亡くなった。棺(ひつぎ)の中の遺体と会うことも叶(かな)わず、花を手向けることもできない。遺族の悲しみはいかばかりか。

そこで職員たちは遺族の求めに応じ、棺の上にバラを一輪一輪、手向けていった。カメラを回し、40分延々と花を供える姿を映し続ける。やがて棺は花に埋まった。遺族は安堵し、その動画を何度も見返したという。

ある若い女性は肺炎で緊急入院した後亡くなり、カノンに運ばれてきた。透明の納体袋に入れられた遺体は服を着ておらず、救命措置のためなのだろう、呼吸器を留めるためのホチキス状の医療用クリップがついたままだった。なんとかしてこれを外してさしあげたい――三村さんは強く思った。彼女もまた最愛の娘を若くして亡くしている。

「若い女性の体に器具が残っている。どんなに苦しかったろう......。母親は子供の痛みを、自分の痛み以上に感じます。陰性が判明すれば、彼女はご両親の元へお帰りになられる。この姿のままでは酷だと思いました」

だが、都との取り決めでコロナの疑いがある遺体は納体袋から出せないとされていた。そんなとき、袋に傷があるのが目に入った。取り決めの条項には「納体袋が破損している場合は袋を交換する」とある。袋を再度破損させないため、器具の撤去をさせてほしいと都に申し出ると、遺体の処置を許された。

職員たちは防護服とN95マスクを着け、遺体を袋から出すと丁寧に器具を外し、清潔なワンピースを着せて新しい納体袋に入れた。その後、陰性が判明。女性は父母の元へ美しい姿で戻っていった。

ほかにも、コロナで亡くなった人を弔うため、さまざまに心を砕いた。故人と会うことさえ叶わなかった家族のために、火葬場へ向かう霊柩車(れいきゅうしゃ)は遠回りをして家の前を通り、家族は別れを告げた。

■語らうことで、死が「腑に落ちる」

それから約1年。いまだにコロナは終息の兆しを見せない。病院や介護施設では厳しい面会制限が続いており、終末期でも限られた人しか会えなくなった。葬儀も参列者同士の感染リスクから全国的に縮小傾向にある。

だが一方で、こんなときだからこそじっくりと故人に向き合って送り出したいと望む声も多くなっている。カノンの利用者数は、前年の約2倍に増えているという。

「ご遺族には、ご遺体と一緒に過ごす『弔いの時間』が何より大切です。でも、ご自宅に安置できない場合、ご遺体と過ごせるのは通夜や葬儀の間のわずか3時間ほど。大切な人の死を受け入れ、きちんとお別れするためには時間が必要なんです」

特に都市部では住宅事情などから、遺体を家に連れ帰れないケースが多い。すると遺族は葬儀の間の数時間しか故人と過ごすことができず、死を受け入れ損ねてしまうというのである。死と向かい合い、納得するためには、時間をかけて故人のそばにいることが必要なのだ。

ある日、カノンの一室で、高齢女性の遺体に娘がひとり寄り添っていた。部屋では折り紙をしたり、本を読んだりして時を過ごしていたという。彼女は三村さんにこんな話をした。

「認知症になってから母は違う人になってしまいました。でも、懐かしいワンピースを着た母とこうやって過ごしていると、私の知っている母が戻ってきてくれた気がします」

カノンには、自死や事故の遺体も多くやって来る。行政書士で葬祭カウンセラーの勝 桂子(すぐれ・けいこ)さんは昨年12月、21歳の長女を自死で失っている。

彼女は幼い頃から「死にたい」という衝動に苦しんでいた。定時制高校に6年間在籍し、今春卒業の予定だった。

「離れて暮らしていたんですが、前の晩、帰ってきたときに進路のことで強く言ってしまいました。次女や友人に遺言めいたLINEが届き、ひょっとしたら今度は本当にやってしまうかもしれないと思いました」

娘は外出中に自ら命を絶った。日付の変わる頃、警察からの電話で勝さんは娘の死を知った。そのとき警察は、「明日、検視官が来たら連絡するので、葬儀社を連れてきてください。そのとき、棺も持ってきてもらってください」と告げた。勝さんは、「自分は仕事柄、懇意にしている三村さんに頼ることができるが、一般の人はどう対応するんだろう」と驚いたという。

三村さんたちはすぐに遺体を引き取りに来てくれた。勝さんは悩んだ末、フェイスブックで娘の死を周囲に知らせた。

「葬祭カウンセラーとして、娘と親交のあった皆さんひとりひとりに、彼女が死を選んだ理由をちゃんと感じ取り、納得してほしい。自殺は人に言えないことだという世間の考えを払拭(ふっしょく)したいと思いました」

最初は娘の友人を数人呼んで自宅で葬儀をしようかと考えた。だが、当時娘と同居していた友人が方々に連絡を取ってくれたことで参列者が増えると考え、カノンのふたつの部屋を借りることにした。一室に遺体を安置、もう一室は「思い出部屋」として娘の愛用品などを飾った。

「若い子が自死すれば、皆さん『どうして?』と思いますよね。娘と同居していた友達が、娘の気持ちを代弁するように皆さんに話をしてくれた。2時間も一緒に過ごすと、皆さん、腑(ふ)に落ちた顔に変わるんです。高校の先生方は、文化祭でコスプレしたり合唱部で歌ったりする娘の元気な姿を見ていたので、驚かれていました。でも、娘の同級生たちとカノンのソファでじっくりと語らううちに納得できたようでした」

友人たちは、娘の写真や洋服などを「思い出部屋」に持ち込み、故人の好きな世界を表現するようにディスプレイした。「まるで文化祭ですよね」と勝さん。

「普通のお葬式では誰かと話をしたくても、ご焼香を上げて香典返しをもらって、流れ作業のように帰らされる。でも本当は、語らう時間こそが大事なんです」

4日間にわたり、さまざまな人がこの場に集まり、勝さんは自分が知らない娘の横顔に触れることになった。

「自分とは別の角度から見ている人の話を聞いて、ようやくその人の全体がわかることもある。そこで死が腑に落ちたり、納得できたりするのだと思います。娘は心を病んでから薬漬けで、長い間本当の娘ではなかった。でも棺の中から聞こえてくる娘の声は、元気だった頃の幼い娘の声でした。棺の中にはもう苦しみはなかったんです」

■「娘の体があるうちは離れられなかった」

現在、"時短葬儀"といえるような、手順を省いた弔いが増えている。その風潮を三村さんは憂う。

「死を受け入れる過程を登山にたとえるなら、時短葬儀は3000m級の山をダッシュで駆け上がるようなものです」

「グリーフ」という言葉を聞いたことがあるだろうか。「悲嘆」と訳され、死別に伴い身体、精神に起こる状態変化を指す。ショック期、喪失期、閉じこもり期、再生期のプロセスを経て、人は時間をかけて悲しみを乗り越えていく。だが、時短葬儀を選んだことを後悔し、「病的グリーフ」に陥り、専門家によるケアが必要になる人も少なくない、と三村さんは言う。

「死を納得できるまで落としこんでいない。腑に落ちていないんです」

三村さんは葬祭の司会業からこの世界に入った。カノン設立前は、実家の一階に小さな貸し葬儀場を作り、葬送のトータルアドバイザーとして活動。その傍(かたわ)ら、自身が理想とする施設の設立に向けて物件を探していた。

彼女の娘、香夏子(かなこ)さんが亡くなったのはその最中、2016年11月のことだった。香夏子さんは13歳のときに卵巣がんを発症。珍しいがんで、切除する以外治療法がなかった。

臨床心理士になる夢を抱いていたが、4回の開腹手術と抗がん剤治療を繰り返し、2年3ヵ月の闘病の末、命を閉じた。医療器具がついたままの若い女性の遺体を見て、いたたまれない気持ちになったのは、手術で傷だらけの娘の姿と重なったからだ。

香夏子さんが亡くなる1ヵ月前には父親を失っている。

「父の葬儀のとき、香夏子は終末期に入っていて具合が悪くて。それでも火葬場についていくと言いました。凜(りん)とした強い娘でした。その1ヵ月後には娘も同じ火葬場で荼毘(だび)に付すことになりました」

実家で営む葬儀場に遺体は安置された。

「闘病生活ではずっと一緒でした。だから死んでしまっても、娘の体があるうちはひとときも離れられなかった。大理石の冷たい床に寝袋を敷いて、せめて棺の端でもいいからと、触りながら寝たんです」

それまで、故人と一緒に過ごしたいという遺族の依頼を、三村さんは管理上の理由で断り続けてきた。

「こんな気持ちだったのか、最愛の人のそばにいたいと思うのは当たり前のことなのに、本当に申し訳なかったと後悔しました」

娘の葬儀の後、三村さんは「燃え殻になってしまった」という。そこに知人から元看護学校の校舎を紹介される。香夏子さんの誕生日の前日だった。

「ここを見たとき、強い運命を感じました。自分はここで新たな事業を立ち上げるのだろうと」

カノン(香音)という名には、いくつかの由来がある。ひとつは観音菩薩から。ひとつは「亡き人に香りと音は届く」という信念から。そして香夏子さんの名前から。「香夏子さんの足音」という意味だ。

遺体の修復・管理を行なう処置室。奥の扉の向こうは遺体を冷蔵安置するスペース

処置室入り口付近には、故人が休めるようにとの思いを込めたソファが置いてある

家族の形態が変わり、葬儀の形も変化している。しかし弔いの本質はこれからも変わらないだろうと三村さんは語る。

「偲(しの)ぶ時間を持つことなく骨になったら、あまりにあっけないではありませんか。弔いは残された人々が命に向き合い、悲しみを抱きながらも自分の人生を歩むためのスタート地点。愛と感謝を込めて手厚く供養することで、故人の生きざまをお手本に明日からもっと頑張ろうと感じることができる。それが本来の弔いの形なのだと思います」

●ノンフィクション作家 佐々涼子(ささ・りょうこ) 
1968年生まれ、神奈川県出身。早稲田大学法学部卒業。2012年、『エンジェルフライト 国際霊柩送還士』(集英社)で開高健ノンフィクション賞を受賞。昨年上梓した『エンド・オブ・ライフ』(集英社インターナショナル)は本屋大賞2020年ノンフィクション本大賞を受賞。

撮影/本田雄士

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