必要なのは「ダメ。ゼッタイ。」ではなく、「やっちゃった」と打ち明けられる社会。薬物依存症治療のパイオニア・松本俊彦が、患者たちに教えられた多くのこと

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違法薬物乱用に対し厳罰化を求める風潮は年々高まっている。だが、依存症治療の専門家で精神科医の松本俊彦(まつもと・としひこ)は、時に「犯罪者を擁護するのか」と叩かれながらも、「必要なのは刑罰ではなく、治療」と世間に発信し続けている。逆風に屈せず、道を切り開いてきた彼の原点を探った。

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■「ダメ。ゼッタイ。」で社会全体が思考停止に

松本が開発した薬物依存症治療プログラム「スマープ」の教本。これを用い、依存症当事者同士が対話を重ね、回復を目指していく

精神科医の松本俊彦が専門とするのは依存症治療だ。

30年近い臨床経験のなかで、覚醒剤、大麻、処方薬、市販薬など、主に薬物依存を抱える患者と向き合ってきた。

現在勤務する、国立精神・神経医療研究センター(東京・小平市)では、自身が2006年に開発した、薬物依存症者が薬物依存から脱却するための集団認知行動療法プログラム「スマープ」を実践している。

週1回90分、約30名の参加者が集い、「(薬物使用の)引き金と欲求」などテーマに沿ったミーティングを実施。毎回、参加者それぞれが断薬に向けた取り組み状況を報告し合いながら、約半年かけて計24回行なう。

「クスリへの渇望はいまだに強い。特に給料日が......」

「クスリへの渇望が非常に強いのは40分くらい。この40分、どうやってしのぐかが課題。俺の場合は熱いシャワーを浴びる」

「俺は激辛の食べモノを食う」

同じ境遇にいるからこそ、ここでは薬物依存症者の本音が飛び交う。「スマープ」の基本方針を、松本はこう説明する。

「なかには、『昨日、滑っちゃいました』(※断薬中に覚醒剤を使ってしまうこと)と告白する人もいる。でも、この場では誰もその人をとがめたり、警察に通報したりはしません。むしろ、滑らずにはいられない痛苦を一緒に受け止め、正直に告白したことをホメます。

私が何より重視するのは、治療からドロップアウトさせないこと。長く継続してもらうためには、患者さんが安心して『やりたい』『やっちゃった』『やめられない』と言える場所が必要なんです」

だが、「スマープ」の臨床現場と、世間との間には埋めがたい溝がある。

「薬物依存に対する私の考え方をメディアでコメントすると、『あの医者は犯罪者を擁護している』などと世間の反感を買うことになります。似たような風潮は精神医療のなかにもあって、『アルコール依存症は診るけど、薬物依存症は犯罪だから診ない』という医療機関はいまだに多い」

現在、松本が薬物依存症の治療と研究に取り組む国立精神・神経医療研究センター(東京・小平市)

松本が、「薬物依存に異様なまでに厳しい」と嘆く社会はいかにして形成されたか?

「厚労省は薬物乱用防止の標語として『ダメ。ゼッタイ。』を34年にわたり使い続けている。その結果、"薬物=悪"という意識が国民全体に植えつけられました。啓発活動ではよく、『薬物は体をボロボロにする』と健康被害が強調されますが、依存症治療の専門医として明確に言えるのは、内臓がボロボロになり、病気のデパートと化しているのはむしろアルコール依存症者であるということ。

それに比べ、覚醒剤依存症者は身体的にははるかに健康的ですが、その点は意外に知られていない。そして、『ダメ。ゼッタイ。』と呪文のように唱え続けていることが薬物依存症者に対する差別と偏見を生み、彼らを回復から遠ざけていることにも意識が及ばない。私の目には、社会全体が思考停止に陥っているように映ります」

「ダメ。ゼッタイ。」や「覚せい剤やめますか? それとも人間やめますか?」などのキャッチコピーが、薬物依存者に対する差別や偏見の温床になったと松本は指摘する

では松本にとって、薬物依存とはなんなのか。

「犯罪ではなく、病気です。刑務所に入ったからといって病気が治るわけではない。必要なのは刑罰ではなく、治療なんです」

■授業をサボり、昼夜逆転の学生時代

神奈川県小田原市に生まれ育った松本は、1980年に地元の公立中学校に入学。校内暴力が吹き荒れていた時代だった。

「教室の窓ガラスや壁は常にどこかが破壊され、生徒が教師を殴る暴力事件も頻繁に発生し、トイレにはたばこやシンナーのにおいが漂っていました」

中学3年時には、小学校時代からの友人がシンナーに手を出し、少年院送りに。当時の松本は「早くこんな学校から逃げ出したい」とへきえきしていた。

高校は進学校に入ったが、周囲は優等生だらけで「一抹の寂しさを感じた」という。たばこや酒を覚え、学校の授業をサボって図書館で読書をして過ごす時間が多かった。

1浪して佐賀医科大学に進学。地方の大学へ進学した主な理由は、「社会人になりたくない。実家から離れたい」という消極的なもので、当時から精神科医を目指してはいたが、その志は特に高いわけでもなかった。

「父親がケチだったのか、医学部以外は下宿は認めないと言われていた。医学部は6年ある。働くまで6年もの猶予がある点に魅力を感じました。精神科医を意識したのは高校生のとき。図書館でたまたま手に取った加賀乙彦の小説『フランドルの冬』がきっかけでした。精神科医の心の闇を描いた作品で、その職業のいかにも憂鬱(ゆううつ)そうなところになぜか惹(ひ)かれたんです」

大学入学後も、医学部の講義にはほぼ出席せず、「映画を見たり、本を読んだり、昼夜逆転の生活」に明け暮れたが、あるとき、「おそろしく単位を落としていることに気づき、医者になる気持ちを失いかけた時期もあった」と言う。

そんな松本の意識を変えたのは、大学2年後期に受けた解剖実習だった。初めて見るヒトの死体に戸惑いながらも、自ら解体した臓器や筋肉、脳組織の切片を観察するうちにさまざまな感情が湧き起こってきた。

「医学を勉強すると、生命の営みというのは、ただ神経細胞の電気刺激で伝わっているだけみたいな錯覚に陥るのですが、実習では、脳とは何か、心とは何か、人間とは何か?を自問自答しながら解剖していました」

そして、実習の最終日のこと。

「遺体を棺(ひつぎ)に納める際に、棺のふたに故人の名前が見えた瞬間、後頭部を鈍器で殴られたような感覚に襲われました。名前こそがその人の生きた証(あかし)なのだ、この名前をめぐって、この人にもさまざまな関係性や物語があったはずだと悟った気がしたんです」

さらに、こう考えた。

「『人の関係性や物語を扱う医者』とは、いったい何科だろうか?と考えたとき、ハッキリと将来の道筋が見えた。明確に精神科医を志したのはこのときでした」

■依存症患者を前に、医師として無力だった

大卒後は佐賀を離れ、研修医を経て神奈川県立精神医療センターの精神科救急部門に配属された。ここには覚醒剤、シンナーによる幻覚や妄想など、薬物が誘発する精神疾患を呈した患者が数多く入院していた。なかには、自傷や自殺の恐れがあったり、他人に危害を加える恐れがあるため、警察に体を拘束されて連れてこられ、閉鎖病棟で強制入院の措置を取らざるをえなくなった患者も多かった。

松本はここに1年半ほど在籍したが、「正直、治療はたやすかった」という。

「閉鎖病棟で向精神薬を投与すると、昨日まで幻想や妄想で支離滅裂な呪文を連呼していた人が日を追って礼儀正しい紳士の姿を取り戻しました。険しい表情のまま凍りついた混迷状態の女性患者は、電気けいれん療法で突然、魔法が解かれたように柔和な主婦の表情を取り戻した。すると、医者は勘違いをするんです。自分にはすごい能力があるのだと」

だが、その万能感はやがて徒労感に変わる。

「すっかり正気を取り戻して退院すると、患者は拍子抜けするほど簡単に薬物を再使用してしまう。そして短期間に何度も入退院を繰り返すことになる。結局、私が施していたのは、『再び薬物を楽しめる状態に戻してあげる』ための治療にすぎなかった。急性期の治療は精神科医療の本当に上っ面の部分で、そこから先がウンと大変なんだということに、当時の自分はまったく気づいていませんでした」

精神科医になって5年目のこと、県立精神医療センターの系列であった依存症専門病院、せりがや病院で医師のポストが空き、補充しなければならなくなった。そこは主に薬物・アルコール依存症者を診る職場で、「泥酔患者に悪態をつかれたり、強面(こわもて)患者に恫喝(どうかつ)されたりする」、誰も行きたがらない不人気ポストでもあった。

若手医師の間での「美しくない譲り合い」の果て、じゃんけんで負けた松本が「1年だけ泣いてくれ」との口約束の下に異動。しかし、この"不本意な人事"で赴任したせりがや病院こそが、依存症治療専門医としての揺籃(ようらん)の地となった。

赴任初日、外来待合室には顔中がピアスだらけの者、髪を赤や青に染めた者、腕に入れ墨が入っている者らが並んでいて衝撃を受けた。そして、依存症患者たちを前に、松本は無力だった。

「依存症には薬がありません。『覚醒剤をやめさせる薬』なんて存在しませんから。それに、ここでの患者の多くは、すでに幻覚や妄想が消失し、表面上は普通の人でした。ただ、目の前に覚醒剤の粉末を置かれれば心臓が高鳴り、全身から脂汗が噴き出し、薬物の欲求に身もだえする。この人たちを断薬させるにはどうしたらいいのか、皆目見当がつかなかった」

薬物による健康被害を説明したところで、「そんなの百も承知だ」と響かず、説教にうんざりした患者は次々に外来から姿を消す。だが、患者と接するうちに気づいたことがあった。

「彼らは皆、クスリに頼らずに済む生き方を教えてほしいと望んでいた。当時の私はその術(すべ)を持っていなかったのですが......」

せりがや病院に赴任して半年が過ぎたある日、自分が担当する患者に誘われて、薬物依存症者の自助グループのミーティングに参加した。会場に到着するなり、松本は息をのんだ。その3ヵ月ほど前、院内に薬物を持ち込み使用するという規則違反により、自分が出入禁止にした患者がそこにいたのだ。「彼は私のことを恨んでいるだろうから、殴られるかも」と身構えていたら、満面の笑みで松本を迎え、ハグを求めてきた。

話を聞くと、「自助グループに参加するようになってから、3ヵ月間クスリをやめさせてもらっています」と言う。それは自身の診察室では見たことがない、「生き生きとした姿だった」。

「薬物依存症者は、クスリを使っている人とはしょっちゅう会っているけど、クスリをやめ続けている人とは会ったことがないという人がほとんど。でも、この自助グループには、苦しい日々を乗り越えて1年間やめ続けた人、3年やめ続けて気持ちにゆとりが出てきた人、さらには10年以上やめ続けて薬物のない生活が当たり前になっている人がたくさんいました。

その存在は、クスリをやめたいと思っている依存症者にとっては、身近な希望となる。私たち医者は症状を良くすることはできるけれど、希望を与えることはできません。自助グループは"仲間と共にクスリをやめ続ける"力を与えてくれる場所なのだと知りました」

■パンドラの箱を開けたある患者との出会い

時折、冗談を言って取材陣を和ませる。松本が理想とする、人々が安心して「誰か」に依存できる社会は実現するか

松本は、「私は精神科医として、要所要所で薬物依存の当事者から教えられながら成長させてもらっている」と強調する。

特に忘れられないのは、せりがや病院時代に出会った20代の女性患者だ。覚醒剤の強烈な渇望から逃れようと、彼女は自ら病院を訪ねてきた。松本らは入院病棟で受け入れることにした。ところが、夜になると「病室に男の影が見える」と叫び、幻視によるパニック状態に陥ることがたびたびあった。

結局、看護師が常駐するナースステーションの一角にベッドを置き、彼女はそこで就寝することに。その後、1ヵ月間順調に依存治療プログラムをこなし、最終的には「先生、私、頑張るから」と、笑顔で退院していった。

ところがその数日後、彼女から松本の元に電話があり、「先生、退院したらすぐにシャブやっちゃったよ。病院じゃダメみたいだから、今から警察に自首する」と一方的に言って、電話を切ってしまった。松本はいやな予感がして折り返したが、つながることはなかった。それから3日後、警察から電話があり、彼女が留置場で首をつり、自殺したことを知らされた。以来、松本は治療方針を変えた。

「それまでは問診の際、あくまで現在生じている症状と問題を中心に情報収集していましたが、薬物依存症者の心や頭の中で何が起きているのかを正確に把握したいと考えるようになり、患者の過去について積極的に聞くようになったのです」

実は、依存症治療では患者の過去には深く立ち入らないのが通例だという。過去を掘り起こすことで凄惨(せいさん)な話が出てきた場合、「患者がよけいに混乱し、治療は収拾がつかなくなる」からで、そのため、「精神科医は駆け出しの頃から"浅い面接"を心がけるように教わる」と松本は言う。

だが、女性患者の死をきっかけに、必要と感じれば恐れずに"パンドラの箱"を開ける治療へと転換すると、新たな発見があった。

「自殺した女性患者と同様の症状を示す複数の患者を診察したのですが、彼女たちは共通して、トラウマ体験を抱えていました。父親から毎日ひどい暴力を受けたり、親戚のオジサンからレイプされたり、そうした記憶がフラッシュバックすることでパニック状態に陥るのです。だから薬物依存症者には、PTSDやうつ病といった精神疾患を併発している人が多い」

それは男性患者も同様で、幼少期の虐待被害など、逆境的な体験を持つ人が半数以上という。

「そうした苦痛を一時的に消してくれるがゆえに、薬物を手放せない状態になる。つまり快楽を得るためではなく、『苦痛を緩和するため』に薬物に頼る。これが、薬物依存の本質です」

薬物依存とは、犯罪ではなく病気であり、必要なのは刑罰ではなく治療である――薬物依存の背景にある、患者たちの人生に触れることで、松本は確信を深めていった。その下地の上に開発した冒頭の「スマープ」は、患者の治療の場であると同時に、薬物依存症の治療や支援に携わる専門職のための教育ツールでもあるという。

「専門医や支援者の方々には、たくさんの当事者と出会いながら、薬物依存症に関する理解を深めてもらいたいのです。私がそうであったように」

約10年前まで、「スマープ」は松本が自院で細々と実践する程度だったが、今では45ヵ所の薬物依存症の専門病院と、47ヵ所の精神保健福祉センターが導入。松本が大切にする、「クスリをやっちゃった」と言える治療の場は全国に広がっている。

だが、松本が描く理想の社会に向けてはまだまだ逆風が強い。

「薬物依存症者に対する世間の処罰感情は今も根強くありますが、気になるのは今年6月、厚労省が大麻取締法に『使用罪』を創設する方針を固めたこと」

これまで、同法は大麻の所持や栽培などを禁じていたが、麻農家も大麻の成分を吸い込む恐れがあったため、使用については法規制の対象外だった。

「現行の大麻取締法で検挙される人の大半は20代以下の若者です。尿検査の際、覚醒剤は使用後72時間くらいまでしか成分が検出されませんが、大麻の場合は最低でも30日間は出る。『使用罪』が創設されれば、どんどん若者が逮捕されて『前科者』になっていくと思います」

使用罪創設に向けた有識者会議には松本も出席していたが、国の薬物政策に染みついた刑罰意識は、「岩盤のように硬く、分厚かった」と痛感した。だが、松本は1ミリもブレない。

「私は薬物依存問題に必要なのは、刑罰よりも治療であることを多くの患者から学んだ。彼らのためにも、罰で脅して人を管理する社会ではなく、薬物依存症に苦しむ当事者が安心して失敗を語れ、助けを求めることができる社会をつくっていきたい。これは私なりの挑戦であり、闘いでもあります」

●松本俊彦(まつもと・としひこ) 
1967年生まれ、神奈川県出身。国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所薬物依存研究部長。93年佐賀医科大学卒業。横浜市立大学医学部附属病院精神科、国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所司法精神医学研究部、同研究所自殺予防総合対策センターなどを経て、2015年より現職。『誰がために医師はいる――クスリとヒトの現代論』(みすず書房)ほか著書多数。

取材・文/興山英雄 撮影/本田雄士 写真/時事通信社

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