大阪・西成のベテラン労働者たちが振り返る「嗚呼、わが青春の大阪万博」

大阪・西成のベテラン労働者たちが振り返る「嗚呼、わが青春の大阪万博」

1970年の大阪万博は総来場者約6400万人(奥に見えるのが「太陽の塔」)。周辺のインフラ開発も一気に進んだ

2025年大阪万博の開催決定を受け、これが景気回復につながるのか、それとも税金のムダ遣いなのかという経済効果に関する議論が続いている。では、約50年前の1970年に同じ万博が開催された当時、大阪経済はどう盛り上がっていたのか?

記者は多くの日雇い労働者が暮らす大阪・西成(にしなり)のあいりん地区を訪れ、当時の現場を知る70歳以上の"レジェンド労働者"たちに話を聞いた。

「当時の大阪は、五輪(64年)が終わった後の東京より景気がよかった。来てみたら、仕事だけじゃなく人情味もあるし、面白いしで、居ついちゃったんだ」

そう語るAさんは茨城県出身。万博の2年前に大阪に来て以来、建築現場などで働いているという。当時の大阪では、万博開催に伴うインフラ整備やビル建築、住宅地造成など、山ほど仕事があった。

「職安に一歩足を踏み入れた瞬間、シャツを引っ張られて『兄ちゃん、仕事あるから行こう』って連行されるんだよ。給料は日当7000〜8000円くらい。物価を考えたら今のオレの日当1万2000〜1万3000円よりよっぽど値打ちがあるよ。稼いだ金は全部その日に使った。半分でも残してたら、今頃こんなザマにはなってないだろうなあ(笑)」(Aさん)

そう言いながらも、話す様子はとても楽しそうだ。

続いては、10代で長崎から大阪に来た大工職人のBさん。

「給料は長崎時代の何倍もあって、昼も夜も仕事があったから、月に100万円くらい稼いだ。半分は家に仕送りしても使い切れん。酒、競輪、競馬、ボート、女、全部やった(笑)。あの頃は梅田や大阪城の辺りにも、あちこちに女が立っててな。千林という場所の路地の奥が穴場で、1回4000円でな......」

やはりすごく楽しそうに話す。まさに青春時代なのだ。

「その代わり、ケジラミ、淋病(りんびょう)......と、ひととおり病気をもらって、結局病院代が高くついたわ(笑)」(Bさん)

ただ、その景気も長くは続かなかった。万博の数年前に広島から出てきたCさんの話。

「広島から親戚が万博を見に来たときは、当時住んでた4畳半の部屋に何人も雑魚寝したなあ。でも、オイルショック(73年)の頃から景気が悪くなって、仕事も減った。郊外の宅地開発が一段落して、大きい会社が仕事を全部取っていくようになってな。それで、バブルがはじけて(90年代初頭)からはまったく仕事がなくなって、恥ずかしい話、公園でテント生活や」

では、万博で再び大阪は盛り上がるのか? 北海道出身で、今は生活保護を受けているというDさんは言う。

「もう、あんなに景気がよくなることはないでしょう。でも、若者は都会に出るべきです。何か得るものがある。あの頃は楽しかった。仕事はしんどいし、汚れる。でも、みんな笑顔でした。その後、仕事のない日々はつらかったですが、私は宗教と出会って救われました」

おしまい。

取材・文・撮影/ボールルーム

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