3.11から8年、被災地の若者の「今」――記憶の行く先と、震災が残したもの

3.11から8年、被災地の若者の「今」――記憶の行く先と、震災が残したもの

城山公園の墓地から見た大槌町。震災直後でも墓参りに来ていた人が多かった

東日本大震災から8年が経過した。

今年もまた写真家・八尋 伸(やひろ・しん)は、1月と2月に計三度、被災地の変遷を追うために東北を訪れた。

一昨年から始めた、二重露光という手法を用いて1枚の写真の中で被災地の変化を表現する撮影方法をブラッシュアップするとともに、八尋は今年、ひとつ新たなテーマを設けることにした。

8年前に震災を経験した子供たちが、今、どうしているのか。

2011年3月11日直後の被災地と、8年後の同じ場所に写る若者たちを1枚に収めた「記憶の変遷」写真が、われわれに伝えてくれるものとは――。

* * *

■清水まな(18歳) 4月から専門学生

震災当時は小学4年生でした。

地震が起きたときはHRの時間で、すぐに防寒着、防災頭巾をかぶって高台に避難しました。黒い波が来るというより、海のかさがどんどん増していく感じで、私が住んでいた鹿折地区をのみ込んでいくのが見えました。

震災後、母の実家がある福島県いわき市に1年くらいいました。小学6年生のときに気仙沼に戻ってきたけど、そのときの私には気仙沼が自分のふるさとという感覚がありませんでした。震災前の地域のつながりや身近な人がいなくなった喪失感もあったし、まちが変わっていくことが悲しかった。

それから、気仙沼で学習支援をしていたNPOの人たちと出会ったり、アート活動をしている人と知り合ったりしたのもあって、変わっていくまちを記憶にだけでも残せればいいなと、仲間と古きよきまちの魅力を広める活動をしました。そうやっていろいろな人とつながることができたから、私は今の気仙沼が好きです。

高校では美術部に。そして今年、高校を卒業したら東京のデザイン学校に通います。

東京のいろんな個展に行きたいし、自分の感性を生かせることを仕事にしたい。そして誰かの記憶に残るようなものを作りたい。いつかこの気仙沼を、アートで盛り上げたいです。

■齊藤和希(17歳) 釜石商工高校2年

震災当時は小学3年生でした。

学校で地震に遭って、それから学校の後ろにある城山(公園)に避難しました。津波を見たときは最初、ドッキリを仕掛けられているのかと思って、後からじわじわと、これからどうなるんだろうという不安がきました。

食料もなかったので、2、3日はご飯も食べられなくて、食べられないということに慣れてくるんだなと思ったことは覚えています。

高校は釜石の高校に通っていて普通の学校生活を送れています。地元の大槌町は高校に入学する頃までほとんど何も建物がなくて、震災の後、大槌を出ていきたいと思っていました。田舎で遊ぶ所もないし、また津波が来るんじゃないかという噂もあって、東京に出て消防士になろう、と。

でも中学の頃に学校でふるさと科という科目ができて、大槌のことや防災について知る機会があって、地元と自分を見つめ直したりして、大槌だから経験できたこともあると気づいたんです。それで、地元で消防士になることに決めました。

震災前によくしてくれていた大槌の消防士の方が震災で亡くなっていることを知って、消防士って町の人を、命を懸けて守れる人なんだなと思って。僕も自分の家族や町を守れる消防士になりたいです。

●八尋 伸(やひろ・しん) 
1979年生まれ、香川県出身。2010年頃からタイ騒乱、エジプト革命、ミャンマー民族紛争、シリア内戦、東日本大震災、福島原発事故などアジア、中東の社会問題、紛争、災害などを取材、発表。東日本大震災の被災地には2011年、12年、14年、16年、17年、18年、19年と訪れ、1枚の写真で同じ場所を写す活動を続けている

★『週刊プレイボーイ』12号(3月11日発売)では、そのほか宮城県気仙沼市、宮城県本吉(もとよし)郡南三陸町、福島県双葉郡浪江町(なみえまち)で出会った若者たちの取材文と写真も掲載しています。

撮影・取材/八尋 伸

関連記事(外部サイト)