なぜ「言ってはいけない」ことを書き続けるのか?――橘 玲インタビュー【その1】

なぜ「言ってはいけない」ことを書き続けるのか?――橘 玲インタビュー【その1】

複雑で残酷な現代社会のタブーにメスを入れる橘玲氏のインタビュー(※写真はイメージです)

「1%と99%の『知能の格差』」「死刑はほんとうに『極刑』なのか」「『いじめ防止対策』すればいじめが増える?」「『教育無償化』は教育関係者への巨額の補助金」

......など、目次に刺激的な言葉が並ぶ新著『事実vs本能 目を背けたいファクトにも理由がある』(集英社)を上梓した作家の橘 玲(たちばな・あきら)氏。ベストセラー『言ってはいけない』『もっと言ってはいけない』(共に新潮新書)でも話題となったエビデンスベースの"不都合な事実(ファクト)"をもとに、複雑で残酷な現代社会のタブーに切り込んでいる。

刊行記念インタビュー第1回、テーマは「なぜ『言ってはいけない』ことを書き続けるのか?」。常に賛否両論を巻き起こす橘氏の本心が明らかに!

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――『事実vs本能』の冒頭では、OECD加盟国の大人を対象として知的能力(読解力、数的思考力、ITスキル)を調査した「PIAAC(ピアック)」の結果がくわしく紹介されています。

これが相当に衝撃的で、日本人の成績は多くの分野で先進国ナンバーワンですが、それでも「日本人のおよそ3分の1はまともに日本語の文章を読めない」「日本人の3分の1以上は小学校4年生以下の数的思考力しかない」「パソコンを使った基本的な仕事ができるのは日本人の1割以下」というのが現実である、と。

 PIAACの話は『もっと言ってはいけない』でも一部書きましたが、今回の『事実vs本能』では問題例も加えてさらに詳しく紹介・分析しています。『もっと言ってはいけない』が出た後、日本においてPIAACの調査実施を主導した文部行政の元幹部の方から感謝のメールをいただきました。苦労して大規模調査を行なったにもかかわらず、4、5年もの間ほとんど黙殺されて落胆していて、それが"発掘"されたことがうれしかったそうです。

――『もっと言ってはいけない』が出た後、世間の反応はどうだったんでしょうか?

 シリーズ前作の『言ってはいけない』のときもそうだったのですが、新聞やテレビといったいわゆる「公的空間」に属するメディアの書評やインタビュー依頼はほぼゼロでした。批判もなければ評価もなし、です。一方、ネットではいろんな人から面白いと言っていただき、そのなかでも予想外だったのは、子育てに悩んでいる母親からの反響が大きかったことですね。

いまでは自閉症やADHD(注意欠陥・多動性障害)は遺伝率がきわめて高いことがわかっていますが、それにもかかわらず「子育て万能神話」の社会では、「ちゃんと子育てしていればあんなふうにはならないでしょ」と言われてしまいます。そんなつらい思いをしていた親たちが、「子育てには意味がない(子どもの人格形成に親はほとんど影響力を行使できない)」という話を読んで、救われたと思ったのではないでしょうか。

――両作で橘さんは「知能は遺伝する」「知能には生まれつき差がある」といった話を、エビデンスをもとに書いています。確かに、肌感覚として「人前で言うのははばかられる」ような話かもしれませんが、それがメディア上でもタブーに当たるということですか?

 知能の生得的な差異に言及すると、「努力すればなんでもできる」「頑張れば必ずうまくいく」という幻想が打ち砕かれてしまう。だからすごくイヤな感じがするんだと思います。

PIAACとは別に、子供の学習到達度を国際的に調査した「PISA(ピザ)」があるんですが、こちらはメディアでも大々的に取り上げられています。なぜなら、子供の学習到達度の違いは「教育問題」だから。学校でちゃんと勉強しましょう、その機会をみんなが持てるようにしましょう、そうすればもっと平等な社会が実現します、というのは安心できる話ですよね。

もちろん、そうした努力に意味がないとはいいません。ただ、PIAACの結果を見てしまうと、「教育は万能だ」という話はウソだと思います。

40代、50代で、あるいは20代や30代でもいいですけど、小学校4年生以下の数的思考力しかなかったり、まとまった文章を読めない人に対して、再教育によって学力≒知能が大きく向上したというエビデンスはありません。若年層の失業が深刻化したイギリスでは、ブレア政権時代にものすごいお金をかけて再教育プログラムをやって、それなりに成果はあったということになっていますが、それでも救えない人たちがたくさんいる。

トランプ大統領の選出やイギリスのブレグジット、フランスのジレジョーヌ(黄色ベスト)デモなどに共通するのは、先進国には知識社会からドロップアウトしてしまった人たちがものすごくたくさんいて、教育ではもはやどうしようもないという現実です。ポピュリズムというのは、知識社会に対する反乱なんですね。

――しかし、そうなると「じゃあどうすればいいんだ!?」という声が聞こえてきそうです。

 先日、ある新聞社の記者と話したんですが、これはどちらが正しいとかではなくて、役割の違いだと思います。公共のメディアは、「社会はこうあるべきだ。そのためにはこうすべきだ」と提言しなきゃいけない。

しかし私は、欧米や日本のような先進国では解決できる問題の大半はすでに解決されていて、「夫婦別姓」のように制度を変えるだけですぐに実現できるものもありますけど、残されているのは「老後2000万円不足問題」のような解決できない、あるいは解決策はあるけれどそれを実行することがほとんど不可能な問題だと考えています。しかしその現実を認めてしまうと、「どうすることもできもない」というニヒリズムにしかならない。だから、こういう話が扱いづらいというのはよくわかります。

それに対して私のような物書きは、本を読んでくれる読者にしかアプローチできない。読者が私に求めているのは「この社会をどう改革すべきか」という理想論ではなく、「どうすればもっと幸せになれるか」「どうすればもっとゆたかになれるか」という実践的なアドバイスでしょう。

そんな読者に向けて「こんな方法があるよ」とか、「こんな考え方をしてみたら」という有益な情報を提供することが私の役割なんだろうなと思います。それ以外の人はどうでもいいというわけではありませんが、本を読まない人にはアクセスする方法がないわけですから。

あと、一方的で偏向した主張だけしかないよりも、エビデンスに基づいた多様な言論があるほうがよりよい社会ですよね。「現実はわかった。だったらこんなふうに変えていこう」と考える若い人たちが出てきたら、それは素晴らしいことだと思います。

私が今回の本で――というより昔から一貫して書いていることは、幸福になるには、まず自分がどういう世界に生きているかを理解すべきだ、ということです。どんなゲームでもルールを理解していなかったら攻略できないですよね。自分はこういう世界に生きている、そこではものごとはこんなふうに決まっていく、じゃあ自分や家族が幸せになるにはどうしたらいいんだろうと考えて、はじめて人生を攻略する戦略が決まるんだろう思います。

――その点について『事実vs本能』では、世界的ベストセラー『FACTFULLNESS(ファクトフルネス)』(日経BP)の一節を引用しています。

〈たとえば、カーナビは正しい地図情報をもとにつくられているのが当たり前だ。ナビの情報が間違っていたら目的地にたどり着けるはずがない。同じように、間違った知識を持った政治家や政策立案者が世界の問題を解決できるはずもない。世界を逆さまにとらえている経営者に、正しい経営判断ができるはずがない。世界のことをなにも知らない人たちが、世界のどの問題を心配すべきかに気づけるはずがない〉

これを個人の生き方に当てはめるなら、人生における「正しい地図」を手に入れるためには、まず「事実」を知らないといけないということですね。

 『事実vs本能』というタイトルの「本能」を「進化論的な合理性」、「事実」を「論理的な合理性」と言い換えることもできると思います。ヒトの脳はものすごくよくできたマシンですが、同時にそれは間違いなく旧石器時代の生活に最適化されたものです。

集団のルールを犯した者を罰することが快楽だったり、いったん手にした財産や既得権に極端に執着したり.........といった行動は、旧石器時代を生き延びるために必要だったことで、そこには「進化論的な合理性」があります。私たちはこうした「本能」に従って日々、物事を判断したり行動したりしています。

ところが、ヒトの脳のこうした機能は、急速に高度化している現代の知識社会とはしばしば衝突します。進化論的な合理性(本能)を、知識社会を生き延びるのに必要な「論理的な合理性」(事実)に変換できる人って、実はそんなに多くない。

直感だけで生きていると、相手からすればどのように選択・行動するかをあらかじめ予測できるわけですから、それを利用しようとする人たちのカモになってしまいます。政治から保険などの金融商品の勧誘、キャバクラやホストクラブまで、意識的であれ無意識的であれ、ヒトの脳のゆがみみたいなものを逆手にとったビジネスモデルが氾濫していますから。

人は誰でも99%(あるいはそれ以上)、直感に従って生きています。それは私も同じで、すべての選択をいちいち「これは合理的か?」なんて考えていたら生きていけません。この本のシリーズ前々作にあたる『バカが多いのには理由がある』(集英社文庫)でも書きましたが、その意味で人はみんな「バカ」なんです(笑)。ただ、その「バカ」の程度に若干の違いがあるだけです。

しかし産業革命以降、急速に発達した知識社会では、その若干の違いがものすごく増幅されてしまう。いつも直感的に判断する人と、ときどき「あれ、本当にこれでいいのか?」と少し立ち止まれる人とで、結果が全然違ってくる。そして、人間が持っているさまざまな能力のなかで、きわめて限定的な言語運用能力と数学的・論理的思考能力に優位性を持つ人間だけがとてつもなく有利になっていく。

これまで人類が体験したことのない知識社会が成立してから、たかだか200年くらいしかたっていません。しかも近年では、AI(人工知能)やブロックチェーン(ビットコイン)、遺伝子編集(クリスパー・キャス9)といった、技術なのか魔術なのかわからないイノベーションが次々と現われて知能の格差=経済格差がますます拡大している。

高度化した知識社会のなかで一人ひとりが自由(自己実現)を追求するのが後期近代で、それによって近代は「完成」に向かっていくのだと私は考えていますが、われわれはその時代に生きていくしかないんです。じゃあその世界はどんな場所なんだろう、ということを『事実vs本能』では書きました。

●橘 玲(たちばな・あきら) 
作家。1959年生まれ。2002年、国際金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が累計30万部超、『言ってはいけない』(新潮新書)が50万部超のベストセラーになる。近著に『もっと言ってはいけない』(新潮新書)、『働き方2.0vs4.0』(PHP研究所)など

■『事実vs本能 目を背けたいファクトにも理由がある』
(集英社 1400円+税) 
年金問題の本質は? 教育無償化は正しい? 日本人は本当に右傾化している? 人気作家・橘 玲が、複雑で残酷な現代社会のタブーに次々とメスを入れる週刊プレイボーイ人気連載の書籍化第4弾。シリーズ先行作『不愉快なことには理由がある』『バカが多いのには理由がある』『「リベラル」がうさんくさいのには理由がある』(集英社文庫)も好評発売中

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