入社しても9割が辞める。余命3年の建設会社社長が、それでも出所者を積極採用する理由

入社しても9割が辞める。余命3年の建設会社社長が、それでも出所者を積極採用する理由

「ひとつだけ言えるのは『ここが最後と思って頑張ります!』と言う人は100%辞めます(笑)」と語る小澤輝真氏

北洋建設(北海道札幌市)は刑務所などからの出所者を積極的に採用する建設業者だ。小澤輝真(おざわ・てるまさ)社長(44歳)のもとには毎日受刑者から「御社で働きたい」との手紙が届き、そこに更生への意欲を見いだせば、小澤社長は自ら刑務所に面接に赴く。現在、社員約60人のうち3分の1が出所者だ。

ただし、この活動は期限付きだ。7年前、小澤社長は体の機能が徐々に衰える難病「脊髄(ぜきずい)小脳変性症」に罹患(りかん)し、余命10年を告げられた。今は歩けなくなり、指の震えでペンを持てず、発声も不明瞭だ。それでも出所者採用を続けるのは「仕事さえあれば人は再犯しない」との信念があるからだ。

実際、出所者の約半数が再犯を重ねる理由のひとつは、出所後に就職できず、あえて微罪を犯し刑務所に戻るからだ。小澤社長は出所者の身元引受人となり社員寮を用意し、その更生に尽力する。

だが、その努力を無にするように、入社した出所者の約9割は突然いなくなる。それでも「少数でも定着するのがうれしい」と小澤社長にめげる様子はまったくない。その思いの丈をつづった『余命3年 社長の夢〜「見えない橋」から「見える橋」へ』を上梓した小澤社長に聞いた。

* * *

――北洋建設はいつから出所者の雇用を始めたのですか?

小澤 僕の生まれる前年の1973年、父が会社を創立しました。当初から出所者を雇い、目的は更生よりも人材確保でした。昔はいわゆる「流れ者」が建設業に数多くいたけど、父のいいところは出所者を家族として扱ったこと。父が毎晩、彼らと酒を飲み交わし、彼らのけんかの仲裁に入るのは、幼い僕には日常の光景でした。

――その父親が若くして亡くなられるわけですね。

小澤 僕と同じ病気で50歳で死去しました。僕は当時、高校を中退し製版会社に勤めていたけど、新社長に就任した母(現在、会長)を助けるため、18歳で北洋建設に就職したんです。

――母親からも学んだことはありますか?

小澤 母は社長就任後に「補導委託」活動を行なっていました。これは非行少年を預かり、仕事を通じた生活指導をします。その結果で、家庭裁判所が少年院送致か不処分かを決定する制度です。

預かった31人のほとんどが更生しました。その過程で、悪の道に戻りそうな少年たちを母は涙をボロボロ流しながら叩きまくっていた。そうした姿を見て、愛情を持ってぶつかる大切さを学びました。それが今にも生きていますね。

――その子たちは今?

小澤 ちゃんと就職し、ウチから巣立って起業した人もいます。今でも1月の母の誕生日と5月の母の日には全国からプレゼントが届きますよ。

――2013年に社長に就任しますが、当初から出所者採用を決めていたのですか?

小澤 僕の発病はその前年。発病時は「とうとう来たか」と落ち込みましたが、そのうち「余命があるからこそ生きた証(あかし)を残そう」と決めました。それが「仕事を与えての出所者の更生」です。意外だったのは、その活動は多くの会社が普通にやっていると思っていたら、ほとんどゼロだったこと。なおのこと「僕がやろう」と思ったんです。

――出所者が更生できる社会環境は整っていないと?

小澤 全然です。数字でいえば、17年の検挙者約22万人のほぼ半数が再犯者で、そのうち72%が逮捕時には無職です。出所者が刑務所を出るときに手にする現金は数万円にすぎません。

保証人がいなければアパートも借りられず、住所がなければ就労もできない。所持金が尽きると、屋根と食事のある刑務所に戻るためにあえて微罪を犯す。

だから仕事です。僕は彼らの身元保証人になり、社員寮も用意し、仕事や生活に必要な身の回り品をすべて支給します。

――そうまでして雇っても、9割の出所者がいなくなるようですが、がっかりしませんか?

小澤 彼らが続くかどうかは、実際に働かないとわからない。ひとつだけ言えるのは『ここが最後と思って頑張ります!』と言う人は100%辞めます(笑)。というか、ある日突然いなくなる。それでも、残る1割の社員の成長を見るのがうれしいですね。

――法務省は何か策を講じているのでしょうか?

小澤 法務省も無策ではありません。例えば「協力雇用主」制度です。出所者を雇用すれば、その会社に最長6ヵ月間は月額最大8万円、以後3ヵ月ごとに2回最大12万円と、年間で最大72万円の奨励金が支給される制度です。

ところが、昨年4月1日時点で2万704社が登録しても、実際に雇用したのは887社だけ。また面接のため刑務所へ向かう交通費などへの助成もありますが、その予算はたったの1100万円。年度早々には予算切れとなり、僕は刑務所には自費で行きます。

車椅子なので同行社員の分も含めると2倍の金がかかる。費用工面のため所有していたマンションも売りました。今までざっと2億円は出所者採用のために費やしています。

――本には、法務大臣への2度の直談判も書かれていますね。

小澤 北洋建設は一昨年、全国の刑務所に「社員募集」のポスターを送付しました。だが「札幌は遠いので出所者は行くはずがない」と張り出していない刑務所が複数あるとわかった。

遠い札幌だから、地元に戻れない出所者には都合いいのに。そこで元衆議院議員(当時)の鈴木宗男先生に動いていただき、昨年4月、上川陽子法務大臣(当時)に直談判できました。

大臣は善処を約束し、今は全刑務所で張り出されています。今年1月には山下貴司法務大臣に出所者を雇用する企業への助成を訴えました。実現を待つばかりです。

――しかし、北洋建設だけが頑張る活動ではないと思います。

小澤 そうです。僕がいなくなっても、多くの会社が普通に出所者を雇うのが願いです。実は、日本財団の取り組みで「職親プロジェクト」という協力雇用主とほぼ同じ制度があります。

全国で約130社が参加しています。北海道ではウチだけなので、これを広げようと、今年7月4日に札幌で説明会を開いたら実に多くの会社が集まりました。皆この活動に関心はあってもノウハウがない。今後は情報共有に努めたいと思っています。

――一番大切なノウハウは?

小澤 僕は時間があれば社員と飲み交わします。北洋建設=出所者との印象が強いですが、出所者ではない社員のほうが多いので、出所者だけに寄らず、どの社員にも分け隔てない態度で接し、家庭のような会社をつくることが大切だと思います。

●小澤輝真(おざわ・てるまさ)
1974年生まれ、北海道出身。北洋建設株式会社代表取締役社長。1991年、創業者の父の死に伴い、18歳で北洋建設入社。2012年、父と同じく進行性の難病である「脊髄小脳変性症」を発症し、余命10年と告げられる。13年より現職。「仕事があれば再犯をしない」との信念のもと、余命宣告以後、より積極的に受け入れを進めると同時に、大学院へ進学し「犯罪者雇用学」を専攻。09年、放送大学教養学部卒業。12年、日本大学経済学部卒業。15年、放送大学大学院修士課程修了。東久邇宮文化褒賞、法務大臣感謝状など受賞・表彰多数

■『余命3年 社長の夢〜「見えない橋」から「見える橋」へ』
(あさ出版 1400円+税)
出所者の約半数が再犯を重ねる原因のひとつは、出所者が働こうと思っても、住所が定まっていなければ就労もできないといった社会の壁があるからだ。社長自ら身元保証人になり、住居も用意し、会社全体で出所者を歓迎する会社は少ない。北洋建設はこれまで500人以上の出所者を雇用してきたが、雇っても9割が姿を消す。小澤輝真社長は、不治の難病に罹患し「余命3年」となった今も、出所者が当たり前に働ける環境づくりに尽力している。小澤社長いわく「最初で最後」の著書には思いの丈がつづられている

インタビュー・文・撮影/樫田秀樹

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