社会不安に襲われた大衆は「差別」というダークサイドに落ちる

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『週刊プレイボーイ』で「挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンが、新型コロナウイルスで露になる「差別意識」について語る。

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世界中で新型コロナウイルスの感染拡大とその経済的なダメージが明らかになるなか、日本でも、これまで多くの人々が見ないようにしてきた「格差」や「差別」がむき出しになってしまうような気がしてなりません。

先日、ある居酒屋の店主がSNSに「もう続けられない!」と嘆く書き込みをしたところ、「甘えるな」「自業自得だ」といった類いの反論が集中するという騒ぎがありました。

僕にはこれがネットの片隅にたまたま表れた事件であるとは思えず、今後はある種のスタンダードになってしまうのではないかと感じています。

あちこちで苦境が報じられている飲食店や観光業界に限らず、すでにさまざまな業界で個人事業主やフリーランス、非正規雇用の人たちに厳しい現実が突きつけられていることと思います。

多くの人々が社会から「ふるいにかけられる」ような状況になると、自分だけはギリギリ踏みとどまるために、なんとかしがみつこうとしている人たちを蹴落とそうとする――そんなイヤな空気が生まれることを危惧しています。

今、多くの人々が貧困に落ちそうになっているとしたら、その理由はなんでしょう? もちろん第一にウイルス、そして第二は、そうなってしまう社会構造でしょう。

にもかかわらず「気合いや努力が足りない」と一斉に叩く――こうした大衆の行動は、古今東西あらゆる所で顔を出してきました。飢饉(ききん)や感染症、紛争などの社会不安に襲われたとき、人は"ダークサイド"に落ち、スケープゴートを集団で排斥するのです。

欧州では長年、ユダヤ人やロマ民族がその標的にされ、政治家もそれをポピュリズムの小道具にしてきました。

ロマが貧しいのは、彼らが怠惰で努力をしないからだ――これを"正論"だと感じる人々は(残念ながら大勢いますが)、ロマが歴史的経緯やその境遇から教育機会に恵まれず、社会の下層から這(は)い上がることが許されないという「構造」に疑いを持とうとはしません。

例えばフランスでは、サルコジ元大統領(在任2007〜12年)がロマ排斥で右派の支持を集め、野党時代はそれを批判した左派のオランド前大統領(同12年〜17年)も、13年には過去最多となる年間2万人ものロマを出身国のルーマニア、ハンガリーなどへの国外退去処分にしています。

もちろんそれに異を唱える良識派も大勢いたとはいえ、この政策はおおむね仏国民から支持されたということです。緊縮財政で社会保障がカットされ、自分たちも苦しいのに、なぜ仕事もしようとしない輩(やから)(=ロマ)を助ける必要があるんだ、と。

日本でも、「総中流社会」という建前で見ないようにしてきた経済格差が露(あらわ)になり、社会不安が増したとき、人間の意識の下にある――ミルクレープの上の層を数枚削ると出てくる差別意識が顔を出さないという保証はどこにもありません。

われわれはそれをデモクラシーという包み紙で隠してきたけれど、新型コロナによりその"深部"が暴かれようとしている、ともいえます。

社会不安でまず削られるのは「社会の寛容さ」です。このことに抗(あらが)うのがいかに難しいかは歴史を見れば明らかですが、せめて個人個人が"不寛容というダークサイド"に落ちないよう心がけてほしい。それが社会を保つための第一歩だと思います。

●モーリー・ロバートソン(Morley Robertson)
国際ジャーナリスト。1963年生まれ、米ニューヨーク出身。『スッキリ』(日テレ系)、『報道ランナー』(関テレ)、『水曜日のニュース・ロバートソン』(BSスカパー!)、『Morley Robertson Show』(Block.FM)などレギュラー出演多数。2年半に及ぶ本連載を大幅加筆・再構成した書籍『挑発的ニッポン革命論 煽動の時代を生き抜け』(集英社)が好評発売中!

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