デビュー35周年を迎えるナンセンス下ネタ4コマ漫画の巨匠・岩谷テンホー「僕の漫画は『サザエさん』の世界にお色気を持ち込んだものなんです」

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東京スポーツ(東スポ)紙で連載中の4コマ作品『みこすり半劇場』でお馴染み漫画家・岩谷テンホー氏が、今年で漫画家デビュー35周年を迎える。

岩谷氏は高校卒業後、長崎県から上京。バーや喫茶店、印刷会社などでの勤務を経て、85年、麻雀雑誌で漫画家デビュー。その後、『週刊プレイボーイ』『東スポ』などで連載を開始し、ナンセンスな下ネタ4コマ漫画の作風を確立する。以降、数々の雑誌や単行本などで活躍し、なかでも『みこすり半劇場』は、隔週刊誌化されたり、オリジナルDVD化されるなどの高い人気を誇っている。

男性なら誰もが目にしたことがある岩谷氏の作品。しかし、本人が表に出てくることはほとんどない。そこで、岩谷氏にインタビュー。漫画家デビューの経緯から、ナンセンス下ネタ4コマ漫画の作画の秘密までを聞いた!

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――先生! 漫画家生活35周年、おめでとうございます!

岩谷 え!? あ、そうか。もうそんなになるんですね。ありがとうございます。いやー、あっという間だな。

でも、ここまでやってこれたのは週プレ(週刊プレイボーイ)のおかげ。週プレが僕を育ててくれたんですよね。

――先生には1986年から2002年まで、週プレで毎週2ページ連載していただきました。

岩谷 デビューして1年かな。駆け出しだった僕に、コシノさんって編集の方が声をかけてくれてね。女房と娘を食わせられなくて苦しんでたから、本当に感謝しましたよ。

――もともと先生はどんな経緯でマンガ家になったんですか?

岩谷 僕は印刷会社で働いていてね。毎日、現場に届く漫画原稿をよく読んでたんだけど、これなら俺でもやれるんじゃないかと思ったんです。

というのも当時、4コマ漫画ブームってのがあって、いろんな出版社が4コマ誌を出していたんです。でも雑誌が多かったせいか素人目にもイマイチだと思う作品も多くて。それで投稿を始めました。もう31歳だったけど、カミさんも後押ししてくれたし。

――もともと漫画を描くのが得意だったんですか?

岩谷 全然。絵は中学校で褒められるレベル(笑)。でも自分は、昔から人を笑わせるのが得意でね。水商売をやってた時期もあって、人を楽しませるのも好きだった。だから変な自信があったんです。もちろんすぐ、そんなに甘い世界ではないってわかるんだけど。

ーーそうしたら週プレで仕事するようになったと。

岩谷 そう。しかもコシノさんは元『少年ジャンプ』出身でね。アドバイスをいっぱいくれるんです。特に覚えてるのは「仕込みが大事」ってひと言。思いつきに頼るのではなく、常にいろんな情報を仕入れてそれを引き出しながら描かなきゃいけないって。週刊連載の大切な心得ですよね。他にもたくさん勉強させてもらいました。

――先生はナンセンスな下ネタが特徴的ですが、それもコシノさんからのアドバイス?

岩谷 いや、描く内容そのものに関しては何も言われなかった。下ネタは東スポで描くようになってからですね。週プレの連載開始後、しばらくして仕事依頼がきたんです。最初は週一で始まり、やがて毎日になって。

で、当時、東スポの4コマってアダルト欄にあってね。なので、漫画はお色気ネタでって言われたんです。しかも東スポの担当さんが厳しい方で。毎日描いたのをバイク便で送るんだけど、つまらないとやり直し。おかげで相当、鍛えられました。

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――週プレで漫画家としての基礎を作り、東スポさんで下ネタギャグを磨いて、現在のスタイルが出来上がったと。それにしても、先生は普段、どんな風にネタを考えるんですか?

岩谷 それよく聞かれるけど、自分でもわからないんですよね。ある時、パッと頭の中でひらめくのを描いてるだけで。

例えば「ハイキング」で描こうと決める。山歩きでクマに襲われる女→胸と尻をえぐられる→でも無傷だった→なんだ、ただのスケベクマか......みたいな。状況を転がしていくといつの間にか形になるんです。

――なるほど。でもそんなにパッパッと浮かぶものなんですか?

岩谷 そんなわけないでしょ(笑)。調子のいい時もあるけど、大体はもがきまくってます。描きだしたもののオチがつまらなく思えて、イチからやり直すなんてこともしょっ中だし。

ーー描いてて過去のモノとかぶることは?

岩谷 やっぱりありますよ。その時は別のオチにしようと、より気をつかいます。ダッチワイフネタなんてそれこそ100本以上描いてるけど、オチは全部違う。考えるのも必死ですよ。

――先生の漫画は家庭、職場、スポーツ、時代劇、警察ネタ......。いろんなシチュエーションがありますよね。それがすごいというか。

岩谷 それはただ飽きっぽいだけです。逆に植田まさしさんの『コボちゃん』みたく、ひとりのキャラクターを主人公に描くのはできない。雑多だから常に新鮮な気持ちでやってこれた気がします。

――それにしても下ネタギャグを描き続けるって大変じゃないですか? エロって時代によって変わりますよね。ダッチワイフも今はラブドールなんていって、すごくリアルなものになってたりするし。それでいて新聞の連載なんて、特に時事性は取り入れなきゃいけないし。

岩谷 流行りのモノは扱わないようにしていますね。マッチングアプリなんてさっぱりわからないし(笑)。

ただ時事性は考えます。今だと小さなマスクをつけてるOL達の姿をオヤジが見て、「小さいっていいよな〜」なんて言いながら、小さな下着をつけてる姿を妄想してひとり喜ぶ、みたいな。ま、無理なくやってますけどね。

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――先生の漫画は時代を超越した面白さがありますけど、それはあえて流行とは一線を置いてるってのが大きいんですね。

岩谷 あと普通ならエロを感じないところに、エロを差し込んでいるせいもあるでしょうね。家庭だったり、時代劇だったり。特に1コマ目でハダカの絵を描くと、最初から読み手の頭は「これはエロだな」ってなるでしょ。そうするとオチが決まりにくくなる。僕の漫画ってエロからスタートのモノはほとんどないんです。だから時代には関係ないんじゃないですかね。

――つまり下ネタの漫画でも、エロではなくあくまでオチで笑わせていると。

岩谷 そう。言っちゃえば『サザエさん』の世界にお色気を持ち込んだものですよ。父と娘、兄と妹、あるいは学校や会社とか......それらは一見、エロと関係なさそうでしょ。でも小さい頃、家族にキレイなお姉ちゃんがいたらなとか思うわけで。そういうのを妄想に繋げていきなりオチにする、みたいな。

――ちなみに特定のキャラはいないとおっしゃってましたけど、昔からヒゲのオジさんがよく出てきますよね。もじゃもじゃ頭でメガネかけてる。あれにモデルはいるんですか?

岩谷 自分ですね。昔は髪もヒゲももっと黒々していたんです(笑)。家、オフィス、スポーツ、いろんな場で出てきますが、あのオヤジが出る時は、自分がそうなりきってネタを考えます。

――オジさんと娘との下ネタも多いですよね。それもモデルはご自身ですか?

岩谷 いや、それはただの妄想です(笑)。でもそういう親子の下ネタって最初は週プレでよく描いてたんだけど、当時、長女が小学生でね。こういうのを見ることはないだろうと思ってたんだけど、いつの間にか大人になってて見てるんですよね!

――お父さんの仕事ですし、気になるでしょうね。それに今はネットでもなんでも見ようと思えば見られるし。

岩谷 でも娘のパンツをかぶったり、クンクンしてるオヤジの話とかですよ? すっとぼけてたけど一時期、どうしたものかなって。当たり前だけど子供は成長するんだよね。何も考えてなかったよ!!

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――改めて35年の月日を感じます(笑)。この先もナンセンスな下ネタ路線を?

岩谷 そうですね。もう違う路線を描くなんて無理だし(笑)。体力と気力が持つ限りは、延々と下ネタを描き続けていきたいですね。

――最後にひとつ。東スポさんで現在も連載し、先生の代名詞でもある作品『みこすり半劇場』のタイトルはどこからつけたんですか?

岩谷 高校時代、友達と話してたら誰かが「俺、自分でやると早いんだよね。みこすり半でさ〜」ってぽろりと言ったのが、たまたま思い浮かんだんです。でも、その言葉自体にあまり深い思い入れはないかな。

――「みこすり半」ってある意味、若さの象徴ですよね。みなぎってるみたいな。

岩谷 言われてみれば確かにそうですよね。でもまぁ、実際のところは若い頃に限らず、いまだに「みこすり半」なんですけどね(苦笑)。

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■岩谷テンホー(いわたに・てんほー)
1954年生まれ、長崎県出身。大手印刷会社で製版の仕事に勤め、1985年、漫画家デビュー。1986年から週刊プレイボーイで4コマ漫画『マグニチュード9.99』の連載を開始。80年代後半より東京スポーツで連載を開始し、そちらは現在も継続中。ナンセンスな下ネタの4コマギャグ漫画家として不動の地位を確立している。代表作は『テンホーのみこすり半劇場』。近著に『大盛!! みこすり半劇場突進』(ぶんか社)など。

取材・文/大野智己

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