「やんちゃなヤツほどマジメに働く」ーー出所者も採用するリユース業界の雄、浜屋の“個を活かす”経営術

「やんちゃなヤツほどマジメに働く」ーー出所者も採用するリユース業界の雄、浜屋の“個を活かす”経営術

中古家電のリユース業を世界30ヵ国で展開する浜屋の搬送トラックには「もったいないを広めよう」との会社の理念がプリントされている

中古家電を回収業者(業界用語で『買い子』)から買い取り、輸出販売を行なうリユース事業を展開している浜屋(本社・埼玉県東松山市)は、1991年に5人のメンバーで会社を設立して以降、右肩上がりに売上げを伸ばし、今では取引き先は世界30ヵ国、年間売上げは100億円を超す業界随一の企業に成長した。

そんな浜屋の原動力のひとつになっていたのが社員の挨拶だ。浜屋の社員は初対面の記者にもハキハキと気持ちのいい挨拶を欠かさない。そこには小林茂社長のこんな思いがあった。

「人は誰でも人に喜んでもらいたい自分というのを持っている。それに応えてあげたいと思うから元気に挨拶するし、公正な取引きをする。それがオレの理念」(前回記事『リユース業界随一の浜屋はなぜ社員が気持ちのいい挨拶をするのか?』参照)

小林社長はその理念を貫き、販路をフィリピン、ナイジェリア、ミャンマー、アフガニスタンなど約30ヵ国に広げた。

それらの国の買取り業者の中には、コンテナが到着するのを待つだけではなく、わざわざ埼玉・東松山市にまでやってきて、浜屋の寮に長期滞在して交渉する業者までいる(ただし、いいとこ取りをさせないために個別の品物は選ばせないらしい)。

これだけ販路が広がった理由を小林社長は以下のように説明する。

「いいものを送っていることに尽きます。それまでは、中古家電はどちらかというと日本にやってくる海外の船員たちに売ることが多かった。つまり、船員たちが一番いいものを持っていって、海外に輸出される品は劣悪なものがほとんどだった。

でも、ウチの会社が輸出するのは一番いいものです。日本製の良質な中古家電を向こうの一般市民が入手できるようになったことで人気になったようです」

もうひとつ、理由がある。商売の世界では「安く買って高く売れば儲かる」というのが通説だが、浜屋では一貫して「高く買う」ことを原則にしているのだ。

「例えば、2万円で売れるアンプがあるでしょ。他の業者なら5千円で買って2万円で売る。でも、ウチなら1万5千円で買って2万円で売ります。理由は簡単で『買い子さんが喜ぶから』です。買い子さんが喜んでくれればオレらも嬉しい」

これには小林社長自らがスクラップ回収業者として買い取り業者の買い値に一喜一憂していた経験があるからだ。買い子の気持ちがわかるからこそ自信をもって「喜んでくれる人がいるところに人は行く」――。

実際、買い子のほうでは浜屋をどう評価しているのだろう? 浜屋が業界内でダントツの売り上げを記録できるのは買い子の多さに尽きる。そのひとりが浜屋を選ぶ理由をこう語ってくれた。

公正。そのひと言だね。私ら毎日、中古家電を集めてるけど、ちょっとしか集まらない時もある。そんな時、私の地元の買取り業者はぼったくるけど、浜屋は一台であれ、不況であれ、いつも一定の適正価格で買ってくれる。あと、ここではいつでも気持ちのいい挨拶をしてくれる。だから、多少遠くても浜屋に来るんだ」

もうひとりの買い子もこう語った。

「浜屋はみな一生懸命にやっているのが好きです。私は以前、運送業をやっていたけど、よくお客さんから中古家電の廃棄を頼まれました。家電の廃棄にはお金がかかる。でも、お客さんだから断れないでしょ。結局、自腹を切るしかなかったんです。

でも、今はこうして浜屋が中古家電を引き取ってくれる。おかげで運送業に見切りをつけて、今はこれで生活が安定しました。本当にありがたいことです。ここでは気持ちよく仕事ができるのもいいね」

そんな小林社長は社員にも好かれている。こんなことがあった。数年前、ひとりの社員がある悪さをして鑑別所に行ったという。

「保護監察官から問われました。『彼をまた雇うか』と。私はもちろんと答えました。ウチには昔、ヤンチャやってたのが何人かいるけど、彼らこそまじめに働くことをオレは知っているんです。学校の勉強ができるできないじゃない。経験をどう活かすかです」

これと似たようなケースで、社員のAさんがこう打ち明ける。

「随分と前の話ですが、ヤンチャをして鑑別所に行って、その時に再逮捕されて。留置所に入って、また鑑別所に戻って少年院に行きました」

出所後はマジメに生きようと、新聞の折り込みで浜屋の求人を見て応募した。浜屋ではその過去を問われなかったそうだ。

採用されたAさんは、初めは現場の仕事をこなしていたが、その仕事の中で彼が「気が利く」ことを小林社長は見逃さなかった。ある時、現場の片づけをやらせてみたところ、Aさんがきれいにやってのけたのだ。

「きれいに片づけができるヤツは仕事もできる。そして彼の力の適材適所を考えた時、管理者がいいと読んだんです」

その後、Aさんは事業責任者に昇進するが、この情報を知った東松山警察署が小林社長を呼び出したそうだ。そこで、何かを問われる前に逆に尋ねた。

「何か問題ありますか?」

「いえ、問題ありません」

警察署は、小林社長がAさんの過去を知っているかを確認したかったのだ。

Aさんは「この会社は私の能力を正当に評価してくれた。それが嬉しい」と、働き続ける意欲を示している。

だが、こうしたエピソードはAさんに限ったものではない。

浜屋の現場は、夏は暑く、冬は寒い。だが、創業から26年余り。辞めた社員は少ない。彼らの共通した意見は「会社が楽しいから」だ。本社近くの本店で働く関口公平さん(29歳)も「この会社で働き続ける」と決めている。

「職場の雰囲気が楽しいことと、なんでもやらせてくれるからですね。他の会社なら、買い子さんが荷物を持ってきた時に『ハイ、そこに卸して』『ハイ、そこに並べて』と、ただ作業的にこなせばいいだけなのかもしれません。でも、ここでは買い子さんたちが荷物と一緒に持ってくる情報から、これをやるべきとの提案書を本社に提出することができます。

例えば、私なら、天体望遠鏡の買取りや社員が帽子につける名札の定位置を提案しました。ええ、どちらも採用されました」

やはり本店勤務で、高卒後に入社した小川直樹さん(25歳)は「常に客がどう喜ぶかを自分で考える」ことを意識して働いているという。「それがこの会社に入ってから教えられたことで、社長がいつも言うことなんです」

実際、入社以来、先輩たちがどの買い子にも元気に挨拶する姿を見て気持ちがよかった。「これは接客業でもあるんだ」と学んだという。

「気持ちのいい挨拶をする。丁寧に接する。ひとりひとりの買い子さんと向き合い、話をする。それができる自分たちだからこそ、遠くからでも買い子さんたちはやってくるんです。ただ、お金を渡すから商売が成り立つわけではないんだと思っています」

小林社長は仕分けの現場にフラリと現れては「誰かメシでも食べに行く?」と社員を誘う時がある。社長との距離の近さ――ここに魅かれる社員は少なくない。

だが、そんな小林社長でも、過去にたった一度だけリストラをしたことがある。

「2008年のリーマンショックで年間97億円の売り上げが70億円台に落ち、数人しかいなかった地方の買い取り店舗を閉めた時、転勤できなかった社員と本店で3人のリストラをしました。すると、『本社事務所の社員はリストラしなくてもいいのか』との声が私の耳に届き、まずいと思いました。事務所だけ無傷のままにすれば全体の士気に関わると、そこも3人をリストラしたんです。

結局、リーマンショックから半年経ったら、またドルが世界中に回るようになって持ち直した。もう少し我慢すればよかったと後悔しましたが、それからですね、何があってもリストラしないと決めたのは」

この話をする時の小林社長は本当に悔しそうだ。以後、浜屋はリストラを行なったことがない。

●続編⇒「無茶な残業をしたら、次にもう働く場所はない!」ーーリユース業界の“ホワイト企業”浜屋の社長が唯一、ブチ切れたのは…




(取材・文・撮影/樫田秀樹)?

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