愛犬10年物語(1)「ただ見ているだけで幸せ」障害も日常に

愛犬10年物語(1)「ただ見ているだけで幸せ」障害も日常に

[写真]愛犬10年物語(1)「ただ見ているだけで幸せ」障害も日常に

●フレンチ・ブルドッグ『ベーブ』(14歳)

 犬は人類の最古にして最高の仲間だと言われるが、家庭犬の存在は比較的新しい。我が国で、庭先に繋がれた番犬や猟犬に代わって、家族の一員として家の中で人と同じように暮らす犬が当たり前になったのは、ここ10年余りのことだ。ターニングポイントとなったのは、2000年代のペットブームであろう。そこから現在に至る『愛犬10年物語』。「流行」を「常識」に変えたそれぞれの家族の10年を、連載形式で追う。(内村コースケ/フォトジャーナリスト)

8年ぶりの再会

 僕が初めて車いすで元気に海岸を走り回るフレンチ・ブルドッグのベーブくんに会ったのは、2008年2月27日のことだ。それから8年半余りの歳月を経て再会した彼は、だいぶ老犬らしい顔つきになっていたけれど、愛嬌のあるベビーフェイスは相変わらずだった。いや、若い雄犬特有のギラギラ感が抜けて、むしろ愛らしさが増しているように感じた。なんせ14歳である。小型犬の中では比較的短命とされるこの犬種としては、かなりの大御所だ。

 「ヘルニアの持病があるからといって、決して短命だというわけではないんですね」。少々失礼かつ的外れな質問だとは思いつつ、同じフレンチ・ブルドッグの飼い主として、14歳で元気な様子が嬉しくなってついそう口にしてしまった。「過保護にしているからでしょうかね。ヘルニアになった分、無理をさせていないから」と、ベーブを肩に抱え続けてすっかり腕が屈強になったという石川雅之さんは言った。

 雅之さんと奥さんの東西(はるあき)さん、ベーブは、神奈川県葉山町の海辺の一軒家に暮らす。雅之さんは趣味のカヌーを颯爽(さっそう)と乗りこなすが、もともと湘南ボーイだったわけではない。ベーブを迎えて2年後の2005年に埼玉県から越してきた。「犬を飼いたかったのは僕です。湘南にあこがれていたのはこっち」と、東西さんを指す。雅之さんは実家で小型犬を飼っていたこともあり、ブームだったし、なんとなく、しかし「とにかく犬を飼いたい」と強く思った。何軒かペットショップを巡り、ベーブに一目惚れした。「私は動物と暮らしたことがなかったから、正直嫌でした(笑)」と東西さん。「自分で世話をすると言っていましたが、昼間家にいるのは私。結局私が世話をするのは分かりきっていましたから」。「まるで小学生だな」雅之さんも苦笑いだ。

湘南への引っ越し

 僕自身もそうであるように、2000年代のペットブームの頃に犬を飼い始めた人は、特に家の中で犬と一緒に暮らすのは初体験だった場合が多い。「(フレンチ・ブルドッグは)吠えないと聞いていたのに、全然鳴くじゃん!と(笑)」。東西さんは生後3か月のいたずら盛りの子犬のパワーに圧倒された。当時は団地タイプの集合住宅に住んでいた。日中の世話を任された東西さんは特にベーブの鳴き声に途方に暮れ、いたたまれなくなって一人で家を飛び出してしまったこともあったという。「そんなこともあったね。懐かしいね」。ベーブは成長と共に落ち着き、結果的にしつけで特別苦労することはなかった。今となっては、未熟な飼い主だった14年前のことはすっかり笑い話になっている。

 もともと東西さんが抱いていた「湘南の海辺でゆったり暮らしたい」という夢は、やがて「ベーブにのびのびとした環境を与えたい」という思いと重なってゆく。ベーブ2歳の時に移住を決意。別にバリバリのサーファーというわけでもなく、通勤もずっと不便になった。「それでも、ただ海の近くに住んでみたかったから」と、雅之さんは照れながら言うが、「犬のため」という側面も相当に決断に影響したはずだ。雅之さんは、やがてカヌーなどのマリンスポーツにはまり、今やすっかり湘南ライフをエンジョイする。一方、ベーブは水が大嫌いで、海には絶対入らないというのはご愛嬌。何はともあれ、明るい陽の光が降り注ぎ、潮風香るのんびりとした環境は、以前の団地での息を潜めるような暮らしとは雲泥の差だった。

 異変が起きたのは、葉山に移ってから2年余りが過ぎたある朝のこと。「おはよう」と言ったその先に、その場に座り込んで固まって震えるベーブの姿があった。「少なくとも、僕たちが気づく兆候はありませんでした。いきなりでした」。ヘルニアだと分かると、当時は「48時間以内に手術しないと回復が難しくなる」という説が有力だったこともあり、とにかく一番近い動物病院に駆け込んで手術を決断。しかし、退院後もベーブは後ろ足で立ち上がることはなかった。

それも「彼の一部」

 犬が重い病気にかかったり大きな怪我をすると、飼い主はとかく「自分のせいでこうなってしまった」と自責の念にかられたり、「果たして自分の対応は正しかったのか」と自問自答しがちだ。この感情は、子を持つ親のそれと全く変わらない。

 二人にとって救いだったのは、ベーブ本人がそれまでと変わらず元気で明るかったことだ。退院してすぐに前足を上手に使って動きまわっていたし、食欲も旺盛。1年ほど続けた鍼治療も嫌がることはなかった。今も使っているオーダーメイドの車いすに初めて乗った時も、「固まってしまう犬も多いのですが、ベーブは最初からグルグルと駆けまわって、他の犬を追いかけたりしていました」と雅之さんは述懐する。「とにかく本人が明るかったのに救われました」と、ヘルニア発症後、ベーブの世話をするために数か月仕事を休んだ東西さんは言う。

 「障害は乗り越えるものではない。共に生きるもの」と言うが、やがて夫妻もベーブのヘルニアを、「それも彼の一部」だと受け容れることができるようになった。それからの10年余りの日々は、平穏に優しく過ぎていった。「たまに旅行に連れて行くくらいで、特に一緒に何かをするわけでもない。ベーブがいるのが当たり前な生活。普通の日常が幸せです」と雅之さんは言う。「特にフレンチ・ブルドッグって愛嬌があって動きが面白いじゃないですか。寝ている顔が面白かったり、くしゃみをして床にあごをぶつけたりとか、そういうのを見ているだけで十分です」

癌の手術を経て

 あくまで自然体な石川一家だが、僕が密かに驚いたことが一つだけある。「暑い所には出しません。若いころからそう。夏場は車にも乗せず、実家に連れて行くのも控えるくらい」。9月上旬に行ったこの日の取材も、雅之さんのリクエストで早朝に手早く外での撮影を済ませ、その後のインタビューはずっと冷房の効いた自宅で行った。それが直接の要因かは分からないが、無理をしない、させないという断固としたポリシーが、長寿の秘訣(ひけつ)なのかもしれない。

 そんなベーブだが、湘南に来て10年が過ぎた今、癌との戦いが始まっている。今年5月、外耳炎の治療で動物病院に連れて行った際に、口の付近にメラノーマという黒っぽい悪性の腫瘍が見つかった。除去手術を行ったが、その後肺へわずかに転移していることが分かり、口の中に新たな腫瘍ができた。今のところ小康状態で体調そのものに大きな変化はなく、食欲は旺盛だ。

 日本の犬は、家庭で大事に扱われるようになった結果、年々長寿になっている。近年の死因のトップは、寄生虫による病気「フィラリア症」や交通事故に代わり、癌である。ほとんどの飼い主が愛犬の伝染病の予防や病気治療に熱心になったため、癌にかかる前に亡くなるケースが減ったという言い方もできる。これは、人間の場合と同じだ。癌を老化現象の一つと捉えれば、ベーブの場合も、14歳という年齢を考えれば致し方のないところかもしれない。

14年目の大旅行

 「メラノーマが消える可能性があるのなら」と、この夏、放射線治療を決断。先日最後のセッションが終わったが、残念ながら目に見える効果は伺えなかった。「積極的な治療をしないで自然に任せるという判断もあったと思います。でも、年老いて以前より活発に駆けまわることが少なくなった今、ベーブの最大の楽しみは食べること。口の中の腫瘍なので、進行して食べられなくなってしまうのはかわいそう。できるだけのことはしていくつもりです」と、雅之さんは言う。

 先日、思い立って愛車のフォルクスワーゲンのバンをフルフラットに改装。3人揃って約1週間の車中泊旅行に出かけた。暑い季節にはベーブを車に乗せないというポリシーを破ったかと思いきや、東北自動車道を一路北へ。2日目にはフェリーに乗ってすっかり秋めいてきた北海道に上陸した。そして、約一週間かけて函館、小樽、洞爺湖と道南を周遊。ベーブにとっては、こんなに長く家を離れるのは初めてのことだった。

 旅の終わりが近づいた9月の最終日。旅先の家族写真が届いた。そこに写っていたのは、いつものベーブと石川夫妻の笑顔だった。

【ベーブ】2002年生まれ、14歳のフレンチ・ブルドッグの男の子。名前は、ブルドッグに似た風貌で愛された野球の神様ベーブ・ルースから。湘南で暮らしているが、プールで溺れた幼少時のトラウマから水が大嫌い。4歳の時にヘルニアを患い、特注の車いすで駆けまわる。健康的な食事と無理をしない生活が長寿の秘訣。

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■内村コースケ(うちむら・こうすけ) 1970年生まれ。子供時代をビルマ(現ミャンマー)、カナダ、イギリスで過ごし、早稲田大学第一文学部卒業後、中日新聞(東京新聞)で記者とカメラマンをそれぞれ経験。フリーに転身後、愛犬と共に東京から八ヶ岳山麓に移住。「書けて撮れる」フォトジャーナリストとして、「犬」「田舎暮らし」「帰国子女」などをテーマに活動中